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   教会では毎週日曜日に礼拝が行われま
す。

 それは私たちが全能主(神)を誉め称える時です。

 又、聖書の中からお話しがあります。

 その中で毎週更新されるメッセージをご覧下さい。



                                  
              2025年11月23日 

『人間の我を通そうとする思いを砕き、
主に全てを任せ切った心で生きて行く事』

ヨナ書 4:1~11


(起) ヨナ書から、「自分は出来ない」という思いや「それは嫌だ」という、人間の我を通そうとする

思いを砕き、「主に全てを任せ切った心で生きて行く事」を学びたいと思います。


(承)さて、ヨナは、ヤロブアム2世がイスラエルを治めていた時代の預言者です。全能主はヨナに

「アッシリアのニネベに行って、心を替えて悔い改めるように語りなさい」と言われました。しかし、

ヨナはイスラエルの敵国であるアッシリアに行くのが嫌でしたので、ですから、彼はニネベとは正反対

方向のタルシシュへ逃れようと船に乗り込んだのです。すると、全能主が嵐を起こした為、ヨナは海に

投げ込まれて魚に飲み込まれてしまいました。ヨナは三日三晩、魚の腹の中で「私の魂は衰え果てた」

(2:7)と叫び、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされました。彼は全能主に「私の誓いを果たしましょう。

救いはヤハウェのものです」と悔いた為、ヤハウェは魚に命じてヨナを陸地に吐き出させました。そこで、

ヨナは全能主に言われた通りニネベに行き、「40日すると、ニネベは滅ぼされる」と触れ回ったのです。

すると、ニネベの人々は悔いて心を変えてしまったので、全能主はニネベに災いを下すことを思い直され

たのです。すると、ヨナは敵国のニネベが滅ぼされなかった事を怒り、「私の命を取って下さい。死んだ

方がましです」
と、全能主に対して悪態をついたのです。そして、彼は町から出て仮小屋を作り、様子を

(うかが)
っていると、全能主が日除けとして「とうごま」を生えさせて下さいました。すると、ヨナはそれを

喜んで不機嫌を直しました。しかし、今度は全能主がたった一夜でその「とうごま」を枯らしてしまわれた

時、ヨナはまた激怒して、「私は生きているより死んだ方がましだ」と暴言を吐いたのです。すると、

全能主は「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこの「とうごま」を惜しんで

いる。まして、わたしはこの大きな町ニネベを惜しまないでいられようか」
と言われたのです。このように、

全能主は
イスラエル人だけではなく異邦人に対しても、同じように心をかけておられたということ

でした
。なぜなら、イスラエル人も異邦人も、すべてを含めて全能主が造られた命だったからです。全能

主は全ての人間に対して、我を砕いて遜り、「全能主を全能主として認める心を持つ者」としての交わりを

願っておられたからです。一概に「異邦人だから受け入れない」というのではなく、もし彼らが遜って心を

変えるなら、その「砕かれた心」を(さげす)まれないのが、全能主の御心であったのです。


(転)さて、私達はこの御言葉を通して、「私達の命を創り、すべての自然界も創って支配しておられる

御方に対して、悪態をつく事がどれほど恐ろしい事か」
を学び、遜るべきです。ヨナは全能主の預言者

でしたが、その心は決して正しくありませんでした。彼は、自分の命は自分の物だと思い、「自己実現する」

というのが当たり前になっていたからです。
しかし、私達の命は、「自分で創った自分の所有物」では

ありません。私達を創られた御方がいらっしゃるのです。それなら、創って下さった方の考えに従うのが

筋です。私達は、決して自分の命を自分の思い通りにはできないのです。この事が分かったら、私達が全能

主を第一にして行くのは当然の事です。
「自分は出来ない」という思いや「自分は嫌だ」という思いを

通そうとする我を、自らが自分の意志で砕き、全能主の前に遜るべきです。そして、「全能主のお考え

通りにして下さい」
と、お任せする気持ちを持って行くのです。すると、たとえ患難時代の中で、「大迫害」が

起こったとしても、全能主の前に冷静に受けとめて行く事ができます。ヨナのように「嫌だ」と思ったら、

すぐに肉を働かせて全能主に反抗し、「こんな目に遭うのなら、死んだ方がましです」と言えば、永遠の

ゲヘナに落ちるだけです。全能主が創って下さった命なのですから、「私達が幸いの中を歩もうと、災いの

中を歩もう」と、「全能主の御心のままに」と任せ切って行くべきです。
このような心持ちが常に働いて

行けば、どんなにかストレスのない、幸いな生き方ができるでしょうか。私達はそれをこの地上で目指して

行くのです。


(結)私達の命は、自分で創ったわけではなく、創って戴いた命です。にもかかわらず、私達は、「この命を

取って下さい。生きているより死んだ方がましです」と言い切ってしまうような、恐ろしい傲慢な心を

持っている者です。ところが、本当に命を取られて地獄の裁きの中に投げ込まれたら、永遠の中で苦しみ

(もだ)
え、うめき、呪い、全能主から完全に見放された者として、望みの無い永遠を過ごして行く事に

なるのでしょう。しかし、私達が肉の「面子」や自分の「我」を砕き、「主にお任せします」という心に変える

なら、全能主のもとに引き上げられ、主の交わりの中に入れられるのです。こんなすごい約束の下にある

なら、たとえ、この地上で災いが来たとしても、主の前に心を開き、そのまま素直に受けとめて行く

べきです。すると、人知では計り知れない平安があるでしょう。私達が全能主と繋がって行く道はここに

あります。どうか、「自分は出来ない」という思いや「それは嫌だ」という思いを通そうとする我を砕き、

全てを主に任せ切った心で生き抜く生涯を、貫いて行きましょう。


 
 

                                  

 定期メッセージは他にもあります。

下記のメッセージのタイトル(下線)をクリックしてください。



     2025年    
 NO.913
「聖書の理屈に立ち、自分の意思によって、『全能主に従い、信頼して行く』
生き方を始め出す」
2025年11月16日
  NO.912
「全能の御方がいらっしゃるという
前提の上で考え、遜って主の御心を
受け止めて行く事」
2025年11月9日
  NO.911
「全能主の懐に飛び込んで、
その心に合わせていく」
2025年11月2日
 
 NO.910
「たとえ、泥を被るはめになろうとも」
2025年10月26日
 
 NO.909
「泥を被ってでも、イエス様を見上げる純を通して行く
2025年10月19日
NO.908
「魔物の心を退け素直に主を信頼して歩んで行く事
2025年10月12日
 
NO.907
「自分に対してではなく、全能主に対して
生きる残りの生涯と心の中に入れて、
信仰の歩みを全うする全うする」
2025年10月5日
 
 NO.906
「主の前に遜り、
どこまでも主を信頼し続けていく
厚い信仰を通して行くこと」
2025年9月28日
 
 NO.905
「無条件で主に従って行く一途な心で、
どこまでも、自分の心の本心を
通して行く」
2025年9月21日
 
 NO.904
「全能主に対して、
丸ごと信じて従って行く一途な信仰」
2025年9月14日
 NO.903
「どんなことがあっても、
主を信じるのは当たり前の生き方」
2025年9月7日
NO.902
「頭をこねて疑うのを止め、
主に100%の信頼を寄せて、大胆に
信仰によって歩んでいく」
2025年8月31日
 
 NO.901
「自分の考えを横に置いて、『聖書、
全能主、イエス様は正しい』という目線で、全能主の側に立って物事を見ていく」
2025年8月17日
 NO.900
「イエス様の命のパンを頂いた者として永遠に命のパンを食べ続け、
永遠に生きて行く事。」
2025年8月10日
 NO.899
「頭の考えから離れて、新しく生まれた
霊で、キリストの考えに立って
主を第一にして行く事」
2025年8月3日
 NO.898
「全能主から発した者として、この体と命を主の為に用い、キリストの為に行き、
全能主にお仕えする一本道」
2025年7月13日
 NO.897
「御霊と御力によって、
全能主を信じる者とされた特権を感謝し
胸を張って堂々と信じ続けて行く」
2025年7月6日
NO.896
「捻くれ根性を粉砕し、
全能主を単純に信じていく事」
2025年6月29日
 
  NO.895
「全能主第一の信仰を持ち、
大胆に全能主に近づき、
主に信頼して従って行く事」
2025年6月22日
  NO.894
「心を尽くし、思いを尽くし、
力を尽くして、主の御心に従います」
2025年6月15日
 NO.893
「我を砕き、全能主の言葉を
そのまま素直に受け止めて、
信頼して従って行く事」
2025年6月8日
 NO.892
「新創造の命を頂いた者として、
主に心を向け、主に信頼し、主が成し遂げて
下さるという生き方を始め出す」
2025年6月1日
 NO.891
「全能主の啓示である御言葉を
そのまま信じる」
2025年5月25日
 NO.890
「キリストと共に、蘇り、新しい命の中で生きているという全能主から
啓示された立場で生きる」
2025年5月18日
 NO.889
「『肉の我を砕き、全能主の力によって
やります』と定め、主の御心が成し遂げ
られる戦いに向かっていく。」
2025年5月11日
 NO.888
「肉の我を折って
天に突き抜ける信仰を持ち、
主に信頼して、主に任せきる生き方」
2025年5月4日
 NO.887
「優位に立ちたい、認めて欲しいという
我を折り、主に信頼し、
主が成し遂げてくださるという
信仰の醍醐味を味わう」
2025年4月27日
 
 NO.886
「自分を優位に保とうとする自我を折り、
全能主のお考えに合わせていく」
2025年4月20日
  NO.885
「生まれ持つ自分の『我』を折り、
主を信じた者の前向きな心へ転換する」
2025年4月13日
 NO.884
「『聖なる都エルサレム』を目指す
地上の歩み方」
2025年4月6日
 NO.884
「自分の都合、思い通りに生きようと
することを止め、主に委ね、任せ、
明け渡していく生き方」
2025年3月30日
 NO.883
「殉教の覚悟をもって
主に従い通すこと」
~サルデスの教会に宛てた手紙より~
2025年3月23日
 NO.882
「律法から解放された自由の中で、
全応手から絶対に離れないで
信じ続けて行く生涯」
2025年3月16日
 NO.881
「『自由の律法』の中に入れられていても、
肉にあって生きているクリスチャンは、
どのような信仰の歩みをするのか」
2025年3月9日
 NO.880
「目に見える自分の経験ではなく、
目に見えない全能主、イエス様、
永遠に変わらない主の言葉(聖書)を
信じていく」
2025年3月2日
  NO.879
「この世のルールではなく、
聖書のルールに従って、
主に信頼する高尚な生涯を目指す」
2025年2月23日
 NO.878
「砕かれた悔いし心の土台を持って、
主に信頼し、主に成し遂げていただく
という信仰の歩み」
2025年2月16日
 NO.877
「自分の罪を正直に認め、
どこまでも主を信じる心を表して行く」
2025年2月9日
  NO.876
「新しい契約に預かった者は、
人間が隠し持つ損得の不純な心を捨て、
全能主を信頼する信仰の一本道を通す」
2025年2月2日
 NO.875
「新しくされた
クリスチャンの生き方」
2025年1月26日
  NO.874
「信仰の大見得を切る」
~覚悟を持って歩む信仰の神髄~
2025年1月19日
 NO.873
「嘆かず、大見得を切って、
『信仰による、なにくそ精神』で
どこまでも主を信頼していく」
2025年1月12日
   2024年  
   NO.872
「困難の中にありながらも、
最後まで信じ通し、
死に至るまで忠実である信仰」
2024年12月22日
 NO.871
「疑う心を砕き、聖書の理屈に基づいて、
ことごとく信じる道を通して行く事」
2024年12月15日
  NO.870
「純真な心とは」
2024年12月8日
 NO.869
「この世に対して迎合する考え方
ではなく、全能主から受け入れられる
考え方とは」
2024年12月1日
 
 NO.868
「この世に対して通用する生き方では
なく、全能主とイエス様に対して
通用する生き方をする」
2024年11月24日
 
 NO.867
「聖霊の働きによって、
本物の救い、本物の福音を語り、
本物の信仰の生き方をして行く事」
2024年11月17日
 NO.866
「与えられた能力を精一杯、
主の為に用いて行く事」
2024年11月10日
NO.865
「聖書からの真理の二面性の理解」
2024年11月3日
 
 NO.864
「『辱められるに値するクリスチャン
とされた事』を喜んで
伝道していく生き方」
2024年10月27日
 NO.864
「信仰に、もし行いがなかったら、
何の役に立つでしょうか」
2024年10月20日
 NO.863
「全能主の前に、
罪人の主権を明け渡していく」
2024年10月13日
 NO.862
「信仰の初めの一歩」
2024年10月6日
 NO.861
「信仰の一丁目一番地」
2024年9月29日
 NO.860
「天の御国で輝く良い麦として、
御言葉を聞いて悟る者となる」
2024年9月22日
NO.859
「肉のプライドを砕き、完全降伏し、
狭い門から入り、御国に与る者となる」
2024年9月15日
 
 NO.858
「贖いと御国の約束の故に
地上の事は主にお任せし、
まず第一に全能主の国とその義を
追い求めていく」

2024年9月8日
NO.857
「研ぎ澄まされた信仰」
~全てをイエス様に懸けて行く事の幸い~

2024年9月1日
 
  NO.856
「肉の妨げを砕いて、
イエス様にお任せしていく信仰道」

2024年8月25日
 NO.855
「反発、反抗の心を砕き、
従順に主にお従いしていくこと」

2024年8月18日
NO.854
「自分の罪を自覚し、反抗の霊を砕いて、実践し、悔いし砕かれた心の信仰が
通用する確信を掴む」

2024年8月11日
 
 NO.853
「生まれながらに持っている反抗の霊を
砕いた上で、キリストの贖いを受け取り、
本物の救いを味わう」

2024年8月4日
 NO.852
「反抗の霊を砕き、
どこまでも全能主のお考えを
受け入れて、信じ通していく信仰」

2024年7月28日
NO.851
「信じたのなら、トコトン信仰を追求して全能主に懸けて行く事」
2024年7月21日
 
  NO.850
「罪人の自分だからこそ、
どこまでも信じ続けて行く信仰を
確信を持って貫いて行く」

2024年7月14日
 NO.849
「反抗の霊を砕いて、
全能主に懸けていく信仰」

2024年7月7日
 NO.848
「第Ⅰヨハネに記されている
『愛』とは」

2024年6月30日
 NO.847
「主の再臨の時に、
旧約新約の聖徒たちと共に
天に上げられる望み」

2024年6月23日
 NO.846
「自分感情を横に置き、
言われた通り聞いて、相手の言わんと
する真意を受け止め、従って行く事」

2024年6月16日
NO.845
「肉の力で仕上げるのではなく、
御霊によって歩み、
御霊によって仕上げて頂く」

2024年6月9日
 
NO.844
「自分に対して生きて行くのではなく、
全能主に対して生きて行く、
信仰の従順な心」

2024年6月2日
 
  NO.843
「全能主に対して生きている
信仰の歩みを、地上の現場で実践し、
本物の信仰を証ししていく」

2024年5月26日
 NO.842
「ロマ書の書かれた目的
『信仰の従順』」

2024年5月19日
 
NO.841
「信仰の戦いを勇敢に戦い抜き、
走るべき行程を走り終え、
主を信じ煽ぐ心を守り通す」

2024年5月12日
 
 NO.840
「悪魔に騙されず、惑わされず、
御霊様の声を聞き、
その判断に身を委ねる」

2024年5月5日
  NO.839
「幼子のように主に信頼し、
主に聞き従って行く」

2024年4月28日
 NO.838
「たとえ排斥されても、
肉的な価値観から霊的な価値観へ」

2024年4月21日
  NO.837
「聖霊によって信じさせて頂き、
救いを戴いたので、最後まで
聖霊の導きに従う生き方をする」

2024年4月14日
 NO.836
「ダニエル書から紐解く黙示録」
2024年4月7日
 NO.835
「小羊の花嫁として、
聖なる都へ迎えられる者となる秘訣」

2024年3月31日
 NO.834
「私達の求めるところ、思うとこよりも
遙かに超えて
成し遂げて下さる全能主」

2024年3月24日
 NO.833
「主に信頼し、主が成し遂げて下さる
という信仰のあり方を
地上の現場で実践する」

2024年3月17日
 NO.832
「自分を見切るという決断の大切さ」
2024年3月10日
 NO.831
「肉に頼る意識を捨て、ただ主に頼り、主が成し遂げて下さった
という信仰を体験する」

2024年3月3日
 
 NO.830
「被いを取り除かれた顔で、
主の栄光を反映させ、
主と同じ似姿に変えられて行く」

2024年2月25日
 
 NO.829
「私たちが、全能主の為に生きて行く
生涯のあり方」

2024年2月18日
 
NO.828
「信じるとは、地上の現場で
信仰の行為を表わし続けていく事」

2024年2月11日
 
 NO.827
「永遠に生きておられる
全能主に対して生きる者」

2024年2月4日
 NO.826
「信じる者に働く全能主の力が、
いかに偉大なものかを味わう」

2024年1月28日
  NO.825
「心の関所を砕く」
2024年1月21日
 NO.824
「天に意識を向けた精錬された信仰」
2024年1月14日
2003年~2023年  
  2023年礼拝メッセージ  2022年礼拝メッセージ 2021年礼拝メッセージ
 2020年礼拝メッセージ 2019年礼拝メッセージ  2018年礼拝メッセージ 
2017年礼拝メッセージ  2016年礼拝メッセージ   2015年礼拝メッセージ
2014年礼拝メッセージ 2013年礼拝メッセージ 2012年礼拝メッセージ 
 2011年礼拝メッセージ  2010年礼拝メッセージ 2009年礼拝メッセージ
2008年礼拝メッセージ 2007年礼拝メッセージ 2006年礼拝メッセージ
2005年礼拝メッセージ 2004年礼拝メッセージ  2003年礼拝メッセージ 

全能主のことばは生きていて、力があり、

両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、


関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、

心のいろいろな考えやはかりごとを

判別することができます。

      【ヘブル4:12】

 
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