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   教会では毎週日曜日に礼拝が行われま
す。

 それは私たちが全能主(神)を誉め称える時です。

 又、聖書の中からお話しがあります。

 その中で毎週更新されるメッセージをご覧下さい。



                                  
              2026年4月5日 

『自分自身を生きた聖なる供え物として献げ、
全能主にあって、この尊い命を使って頂く』


ヨハネの黙示録 21:8、ローマ12:1


(起) 黙示録21章8節とローマ12章1節の御言葉から、疑いと(ひね)くれた心からではなく、素直に

信じる心で、「自分自身を生きた聖なる供え物」としてささげ、全能主に使っていただく事を学んで

行きたいと思います。


 さて、創造主の存在について、まず世界の地層はどのように出来たのか考えていきます。聖書にはノアの

大洪水によって全世界が大水に覆われ、この大激変の際に土砂が掻き回され、短期間の内に地層が水平に

出来上がったことを示しています。一方、進化論に立つ科学者は、地層が1m出来るのに1万年~10万年

ほどかかると見積もり、下にいくほど古い年代の地層だと仮定して、何億年前からという年代表まで作り

上げます。果たしてそうでしょうか。今日(こんにち)、水平地層は世界中で確認できますが、それが見事に確認

出来るグランドキャニオンでは、深いところで1.
8kmもの厚さの地層を観察できます。これらの地層は

非常にきれいに重なっており、水平でまっすぐであることが分かります。この地層の出来方は、実験でも

再現できます。色々な種類の土砂を水と一緒に瓶に入れてかき混ぜますと、翌日には、土砂の種類ごとに

水平な層が何層も出来上がっているのです。そして、層と層の境は、自然界にある地層とそっくりです。

これは地層がノアの洪水時のように大量の水によって出来たことを示しています。一方、進化論科学者の

言うように、地層が何万年もかかって出来たとするなら、その間に風雨による浸食などで盆地や池、

川などが出来てでこぼこになり、地表面を水平に保つことは不可能です。さらに言えば、地質年代表の

順番通りの地層は、自然界に存在しません。その証拠に、エベレストの頂上付近でも、アンモナイトの

化石が見つかっているのです。これは、進化論者には説明できません。しかし、ノアの洪水後に起こった

隆起であるならば、説明出来ることです。即ち、化石も地層もその激変時に出来たのであって、ノアの

大洪水の爪痕(つめあと)であることが分かります。このように、自然界の観察によれば、聖書の記録が創造主に

よる疑いのない真実であることが見えてきます。即ち、自然界は
創造主の存在を明白に証言しているの

です。


(承)さて、創造主が存在していること、また、グランドキャニオンのような大きな水平地層が存在して

いる事を見て行きますと、その存在を証言している書物は、聖書しかありません。という事は、私達の地球

上で起こっている出来事の根拠を、聖書はハッキリと証言しているという事です。私達人間の命を見て

みても、驚くほど複雑に仕組まれていますが、こんなにすごい仕組みを持った人間が、何故偶然に存在

できるのでしょうか。偶然には秩序はありません。しかし、人間の命と地球上は法則と秩序で満ちており、

偶然の代物ではありません。人間の命の元素は、地の塵です。そのことは、聖書を見ると「唯一の全能主が、

土の塵で人間を形造(かたちづく)り、命の息を吹き込んだ」
と書いてあります。土の(ちり)自体はただの物質ですが、

そこに命を吹き込む事のできる、力ある全能主がおられるなら、土の塵で形作られた人間が生きる者となる

事は可能です(創世記2:7)。ですから、私達は「全能の御方がおられる」という前提で、地層の事も

人間の命の事も理解する事ができるのです。


(転)しかし、これを信じるか信じないかはその人次第です。全能主は私達の命を創られましたが、

だからと言って、強制的に信じさせて従わせるような事はされません。そのことを、信じる者もいれば、

信じない者もいます。しかし、クリスチャンは信じる者となったのです。信じる者には、全能主の素晴らしい

幸いな約束が黙示録の中に記されています。それは、「全能主の幕屋が人と共にあり、全能主が人と共に

住み、人は全能主の民となり、全能主自ら人と共にいて、人の目から涙を全く(ぬぐ)い取って下さる。

もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない」(21:3~4)
、という世界に入れて下さるという

約束です。今この地上では、辛い事や悲しい事ばかり起こります。しかし、全能主がおられるなら、

この約束は実現されます。即ち、全能主を信じ、「勝利を得る者」となれば、こういう世界に入れて

(いただ)けるという事です。まさに、「私達の国籍は天にあります。そこから、救い主、主イエス・キリストが

来られるのを、私達は待ち望んでいます」(ピリピ3:20)
というのが、クリスチャンです。この事を

受け入れるか受け入れないかは、私達一人一人の心に掛かっています。どこまでいっても、心を開いて

信じる者だけが、この世界に入れて貰えるのです。信じなければこの約束は私達にはありませんし、イエス

・キリストを待ち望む事もできません。即ち、イエス・キリストが私達の罪の償いを全部成し終えて下さった

という事も、私達にとって関係のない事になってしまうのです。普通なら、「聖書に書いてある事はその

通りだ」という事を理解できれば、そこには理屈がありますから、それをそのまま受け入れて信じます。

ところが、それでも受け入れないで疑う人は、捻くれているのです。そういう人は永遠に疑い続けて行き

ます。「臆病な者、信じない者」(黙示録21:8)は、天に繋がりません。しかし、事実を事実として

受け留める誠実さを持って、それを信じると決めれば、素直な心を持って受け入れるでしょう。その素直な

心を持って受け入れる者だけを、全能主は集めようとしておられるのです。


(結)全能主がおられるという事は、否定できない事実です。もしそれを否定したら、私達にとって自分の

存在の意味は、たまたま生まれてきた者にすぎなくなります。そこには、生きて行く目的もありません。

しかし、私達はそのような「彷徨(さまよ)う者」ではなく、はっきりと命の主に(かえ)ることを目的として、

全能主を信じて、天を目指して行く事のできる者なのです。ならば、「後ろのものを忘れ、前のものに

向かって懸命に努力し、ひたすら目標を目指して走って行こうではありませんか」(ピリピ3:13~14)。

そして、全能主のために、自分自身を「生きた聖なる供え物」としてささげて行きましょう。これは律法

ではなく、全能主の恩寵(おんちょう)による勧めです(ロマ12:1)。即ち、全能主が私達に心を掛けて

下さったが故の勧めです。どうか、疑い、(ひね)くれて行く世界ではなく、素直に信じる心で「自分自身を

生きた聖なる供え物」
として献げ、全能主にあって、この尊い命を使って頂こうではありませんか。


                                  

 定期メッセージは他にもあります。

下記のメッセージのタイトル(下線)をクリックしてください。



     2026年    
 NO.929
「いつ死んでも後悔しないように、
今を信仰によって生き抜いて行く事」
2026年3月29日
 NO.928
「勝利を得る者とは、全能主を信頼して懐に飛び込み、全能主の集大成のため
命を使っていただく事」
2026年3月22日
  NO.927
「世の終わりの中にあって、強く雄々しく全能主を信頼して信じていく信仰」
2026年3月15日
 NO.926
「自由をもたらす完全な律法とは」
2026年3月8日
  NO.925
「ひたすら全能主に心を注ぎ、
献身を全うする事」
2026年3月1日
  NO.924
「罪人の自分には一切頼れないと悟り、
とことん全能主に信頼して行く」
2026年2月22日
  NO.923
「信仰の純度を高めて行く事」
2026年2月15日
 
  NO.922
「自由人にふさわしい行動とは何か」
2026年2月8日
 
 NO.922
「自分の正義感は偽善であると
正直に認め、全能主に『素直に信頼する
純な心』を貫いて行く事」
2026年2月1日
 
  NO.921
「幼子のように、全能主が言われる事を
そのまま聞いていく」
2026年1月25日
 
 NO.920
「全ての事に関して主に信頼し、
委ねていく一方通行の心で、
自分の生涯を主にお捧げする事」
2026年1月18日
 
 NO.919
「『恐れないで、ただ信じていなさい』と言われたイエス様を当然のように信じ、
信頼して前に進んでいくこと」
2026年1月11日
 
   2025年  
  NO.918
「主に全てを委ね、お任せし、
信頼するという信仰の勇気」
2025年12月21日
 
 NO.917
「主に委ね、信頼し、主が成し遂げて下さるという信仰を勇気を持って始めだし、
全能主の栄光を表していく教会となる」
2025年12月14日
 NO.916
「いつ死んでも後悔しないように、
キリストにあって今を生き抜く、
信仰の一本道」
2025年12月7日
NO.915
「とことん全能主を信頼し、
全能主に懸けて行く生涯を全うし、
天での交わりを持たせて戴く者となる」
2025年11月30日
 
 NO.914
「人間の我を通そうと知る思いを砕き、
主に全てを任せきった心で生きて行く事」
2025年11月23日
 NO.913
「聖書の理屈に立ち、自分の意思によって、『全能主に従い、信頼して行く』
生き方を始め出す」
2025年11月16日
  NO.912
「全能の御方がいらっしゃるという
前提の上で考え、遜って主の御心を
受け止めて行く事」
2025年11月9日
  NO.911
「全能主の懐に飛び込んで、
その心に合わせていく」
2025年11月2日
 
 NO.910
「たとえ、泥を被るはめになろうとも」
2025年10月26日
 
 NO.909
「泥を被ってでも、イエス様を見上げる純を通して行く
2025年10月19日
NO.908
「魔物の心を退け素直に主を信頼して歩んで行く事
2025年10月12日
 
NO.907
「自分に対してではなく、全能主に対して
生きる残りの生涯と心の中に入れて、
信仰の歩みを全うする全うする」
2025年10月5日
 
 NO.906
「主の前に遜り、
どこまでも主を信頼し続けていく
厚い信仰を通して行くこと」
2025年9月28日
 
 NO.905
「無条件で主に従って行く一途な心で、
どこまでも、自分の心の本心を
通して行く」
2025年9月21日
 
 NO.904
「全能主に対して、
丸ごと信じて従って行く一途な信仰」
2025年9月14日
 NO.903
「どんなことがあっても、
主を信じるのは当たり前の生き方」
2025年9月7日
NO.902
「頭をこねて疑うのを止め、
主に100%の信頼を寄せて、大胆に
信仰によって歩んでいく」
2025年8月31日
 
 NO.901
「自分の考えを横に置いて、『聖書、
全能主、イエス様は正しい』という目線で、全能主の側に立って物事を見ていく」
2025年8月17日
 NO.900
「イエス様の命のパンを頂いた者として永遠に命のパンを食べ続け、
永遠に生きて行く事。」
2025年8月10日
 NO.899
「頭の考えから離れて、新しく生まれた
霊で、キリストの考えに立って
主を第一にして行く事」
2025年8月3日
 NO.898
「全能主から発した者として、この体と命を主の為に用い、キリストの為に行き、
全能主にお仕えする一本道」
2025年7月13日
 NO.897
「御霊と御力によって、
全能主を信じる者とされた特権を感謝し
胸を張って堂々と信じ続けて行く」
2025年7月6日
NO.896
「捻くれ根性を粉砕し、
全能主を単純に信じていく事」
2025年6月29日
 
  NO.895
「全能主第一の信仰を持ち、
大胆に全能主に近づき、
主に信頼して従って行く事」
2025年6月22日
  NO.894
「心を尽くし、思いを尽くし、
力を尽くして、主の御心に従います」
2025年6月15日
 NO.893
「我を砕き、全能主の言葉を
そのまま素直に受け止めて、
信頼して従って行く事」
2025年6月8日
 NO.892
「新創造の命を頂いた者として、
主に心を向け、主に信頼し、主が成し遂げて
下さるという生き方を始め出す」
2025年6月1日
 NO.891
「全能主の啓示である御言葉を
そのまま信じる」
2025年5月25日
 NO.890
「キリストと共に、蘇り、新しい命の中で生きているという全能主から
啓示された立場で生きる」
2025年5月18日
 NO.889
「『肉の我を砕き、全能主の力によって
やります』と定め、主の御心が成し遂げ
られる戦いに向かっていく。」
2025年5月11日
 NO.888
「肉の我を折って
天に突き抜ける信仰を持ち、
主に信頼して、主に任せきる生き方」
2025年5月4日
 NO.887
「優位に立ちたい、認めて欲しいという
我を折り、主に信頼し、
主が成し遂げてくださるという
信仰の醍醐味を味わう」
2025年4月27日
 
 NO.886
「自分を優位に保とうとする自我を折り、
全能主のお考えに合わせていく」
2025年4月20日
  NO.885
「生まれ持つ自分の『我』を折り、
主を信じた者の前向きな心へ転換する」
2025年4月13日
 NO.884
「『聖なる都エルサレム』を目指す
地上の歩み方」
2025年4月6日
 NO.884
「自分の都合、思い通りに生きようと
することを止め、主に委ね、任せ、
明け渡していく生き方」
2025年3月30日
 NO.883
「殉教の覚悟をもって
主に従い通すこと」
~サルデスの教会に宛てた手紙より~
2025年3月23日
 NO.882
「律法から解放された自由の中で、
全応手から絶対に離れないで
信じ続けて行く生涯」
2025年3月16日
 NO.881
「『自由の律法』の中に入れられていても、
肉にあって生きているクリスチャンは、
どのような信仰の歩みをするのか」
2025年3月9日
 NO.880
「目に見える自分の経験ではなく、
目に見えない全能主、イエス様、
永遠に変わらない主の言葉(聖書)を
信じていく」
2025年3月2日
  NO.879
「この世のルールではなく、
聖書のルールに従って、
主に信頼する高尚な生涯を目指す」
2025年2月23日
 NO.878
「砕かれた悔いし心の土台を持って、
主に信頼し、主に成し遂げていただく
という信仰の歩み」
2025年2月16日
 NO.877
「自分の罪を正直に認め、
どこまでも主を信じる心を表して行く」
2025年2月9日
  NO.876
「新しい契約に預かった者は、
人間が隠し持つ損得の不純な心を捨て、
全能主を信頼する信仰の一本道を通す」
2025年2月2日
 NO.875
「新しくされた
クリスチャンの生き方」
2025年1月26日
  NO.874
「信仰の大見得を切る」
~覚悟を持って歩む信仰の神髄~
2025年1月19日
 NO.873
「嘆かず、大見得を切って、
『信仰による、なにくそ精神』で
どこまでも主を信頼していく」
2025年1月12日
2003年~2024年  
   2024年礼拝メッセージ
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全能主のことばは生きていて、力があり、

両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、


関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、

心のいろいろな考えやはかりごとを

判別することができます。

      【ヘブル4:12】

 
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