教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室


2025年6月1日

『新創造の命を頂いた者として、主に心を向け、主に信頼し、
主が成し遂げて下さるという生き方を始め出

ローマ人への手紙11:33、第Ⅰコリント15:50~54 


(起) 第Ⅰコリント15章51節から、「新創造の命を頂いた者として、主に心を向け、主に信頼し、

主が成し遂げて下さる」
という生き方を、この地上で勇気を持って始め出す事を学びたいと思います。


(承)さて、まず「人体の不思議発見」という本の38ページを見て行きますと、「生命の起源は海の中?」

とあります。進化論の世界ではそのように言われているのですが、それは何故かと言うと、太陽の光の中

には有害な紫外線が含まれており、生物にとってそれを直接浴びると生命は死んでしまうからです。

その為、バリアが必要になります。紫外線は、海水1mの深さで無害となり、海水が紫外線のバリアの

役目をしています。ならば、生命は本当に海の中で発生したのでしょうか。例として、人間の命は1つの

受精卵から始まり、その細胞が40兆個にまで増え広がって、私達のような体の仕組みが出来上がります。

その仕組みは、全細胞の核の中に入っている設計図から作成され、塩基の3文字の組み合わせによって、

どのアミノ酸を造るかが指定され、特定の1つのアミノ酸が作られます。次に、そのアミノ酸が50個

以上繋がって、体を構成するいろいろなタンパク質が作られます。例えば、アミノ酸が574個繋がり、

1つのヘモグロビンというタンパク質が作成され、そのタンパク質ヘモグロビンが、2.8億個繋がって、

1つの赤血球になります。血液の1mmリットル(1リットルの1000分の1)の中には、50億個の

赤血球が含まれています。また、その他の多くのタンパク質で、心臓なら心臓、目なら目というように、

人間の体が形造られて行くのです。ですから、まずは土台となる20種類のアミノ酸を造って、それぞれの

機能を持つタンパク質の為に、アミノ酸を並べて行かなければなりません。そんなことが海中で出来るで

しょうか?たとえ、一つのアミノ酸が出来ても、海の中で設計図通り並べていくことは不可能です。水は

何でも溶かしてしまいますし、海の水はいつも動いていますから、集め並べた瞬間にばらばらになります。

ということは、海の中で徐々に生命が発生して行く事は不可能です。では、この地上ではどうでしょうか?

聖書では、人は土の元素((チリ))身体(からだ)が形作られ、その中に全能主が「命の霊魂」を吹き込み、その

瞬間に生きる者となったとあります
。これなら、生きる者となった瞬間に空気中の酸素を吸って活動し、

紫外線は皮膚によってバリヤされ、生命(いのち)は酸素によって破壊されることなく生き続けられます。

このように、実に全能主の叡智の設計と、全能主の全能の力による方法でないと、生命は発生できません。


(転)では、それを理解した上で、私達の命を創られた叡智と力に富んだ全能主が、私達人間に対して、

どのような生き方を求めておられるのでしょうか。それは、第Ⅰコリント15章50節を見て行きますと、

「生まれながらの血肉は、全能主の国を継ぐことができず、朽ちるものは、朽ちないものを継ぐことが

できません」
とあります。私達の身体は全能主が創って下さいましたが、私達が罪を犯してしまった結果、

このままでは全能主のもとへ行くことはできません。なぜなら、生まれながらの血肉、この身体は、朽ちる

ものになってしまったからです。しかし、次を見て行きますと、「私はここで、あなた方に奥義を告げま

しょう。私達は皆、眠ってしまうのではなく、終わりのラッパの響きと共に、まばたきする瞬間に、

一瞬にして変えられるのです。ラッパが吹き鳴らされると、死者は朽ちない者に復活し、私達は変えられる

からです」
とあります。即ち、「私達は、生まれながらの血肉、朽ちる身体を脱ぎ捨て、朽ちない御霊の

身体に一瞬にして変えられる
」とあります。それが、私達の命を創られた全能主の目的だからです。

全能主は新しい天と新しい地を(つく)り、そこに私達を迎え入れて、永遠の交わりを持つ事を計画され

ました
その為に、今現在、私達は罪人の身体(からだ)、生まれながらの血肉を持って生きている私達を

選んで贖い、イエス・キリストによって身も魂も(きよめ)て、永遠の御国に入れて下さるのです。この全能主の

天からの啓示は
、この地上の理屈では理解出来ないものですが、人間の知識を(はる)かに()えた取り

扱いが、聖書の御言葉によって解き明かされているのです。それならば、全能主とイエス様を信じた私達は、

この地上で御言葉をそのまま信じて、歩んで行くべきです。即ち、この地上の価値観、地上の常識に

捕われて生きて行くのではなく、新しい御霊の身体を頂く者として、全能主に全てを委ね、お任せし、

信頼して従って行くのが私達の生き方です。


(結) 私達は、つい地上のルールや価値観に捕われて、地上的な物の見方、考え方に傾いてしまいます。

それは御言葉から離れる事ですから、全能主が下さった救いを放棄することになります。私達は聖書の

御言葉を信じたのですから、聖書を信じたそのままの生き方を、勇気を持って始め出すのです。すると、

「そんな甘い物じゃないよ」と悪魔の(ささや)きも聞こえてきます。しかし、ジョージ・ミュラー氏は、

その生き方を勇気を持って始め出し、信じ切って天に召されました。私達もその生き方を真似て行くの

です。信じた者は、もはや自分の利得のために生きないのです。すべて、主に任せて行くのです。クリス

チャンは、御霊によって新しい生き方をします。それは、主に心を向け主に信頼し主に成し遂げて

貰う
生き方です。決して、信仰と地上の損得を混ぜて生きて行くのではありません。信じた者は、全能主が

創って下さった命を全能主の為に使い、全能主の為に生きて行きます。この道を歩んだ者が、全能主の

御国に入れて貰えるからです。どうか、御言葉通りの生き方を勇気を持って始め出しましょう。


 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室