宮城県登米市東和町米川
1716から1735年にかけてキリシタンの処刑が行われた場所です。120人もの信徒がここで切り捨てられ、
「三経塚」の名前の由来は、処刑後の遺体を「三ヶ所に分け、お経とともに埋葬した」ためと言われています。
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・切捨場霊場・
処刑が行われたといわれる場所
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・三経塚・
森の中にひっそりとあります。
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大籠のキリシタン
1639年から1642年の約3年ほどの間に、岩手県一関市藤沢町大籠という地域で
キリシタンの大量処刑がおこなわれます。この時、処刑された方々は、309名にのぼりました。
その当時の処刑にまつわる史跡が、街道沿いに点在しています。
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・地蔵の辻・
この場所は街道沿いにあります。ここで、
計178人のキリシタンの方が処刑されました。
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・大柄沢キリシタン洞窟・
信徒たちが禁制の時代に、わざわざミサをする
ために通っていた山の中の洞窟です。
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・上の袖首塚・
地蔵の辻で処刑されたキリシタンの遺族の方が、
夜に闇にまぎれてその首を袖の下に隠して
持ち帰り、ここに埋葬した
といわれている場所です。
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・架場(ハシバ)首塚・
処刑したキリシタンの首をここで晒し首にし、
埋葬したとされる場所です。
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宮城県仙台市
広瀬川に架かる青葉城へ向かう大橋の下 |
広瀬川の殉教地 |
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近くの公園内にある殉教碑 |
寛永元年(1624年)に、ポルトガル人のカルバリオ神父と8人の日本人キリシタンが捕らえられ、
大橋の下で冬の広瀬川に浸される責め(水牢)を二度も受け、殉教しました。
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石巻市
慶長使節船ミュージアム
(慶長使節の旅)
1613年10月28日、支倉常長ら一行180余人を乗せた慶長使節船「サン・ファン・バウティスタ」は、
月浦から遙か異国の地、ローマを目指し出帆しました。
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復元されたサンファン・バウティスタ号
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当時に思いを馳せて湾を眺める。 |