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2025年5月25日

全能主の啓示である御言葉をそのまま信じる』

ローマ人への手紙1:17、第Ⅰコリント2:10 


(起) ロマ書1章17節と第Ⅰコリント2章10節の御言葉から、「全能主の啓示である御言葉は、

人知では知ることの出来ない全能主の秘め事を、全能主は自らが人間に対する愛の故に(おお)いを除いて

現すこと」(広辞苑)とありますから、「そのまま御言葉を受け留め、信じて生きて行く事」を学んで

行きたいと思います

(承)さて、ロマ書1章20節を見ますと、「全能主の目に見えない本質、即ち、全能主の永遠の力と

全能主の性質とは、天地創造以来このかた、被造物において知られ続け、明瞭に認められており、真理を

阻む人間に言い訳がたちません」
とあります。これはどういう事かと言うと、全能主という御方は目には

見えませんが、今現在、「永遠の御方として、在って在る御方として存在している方」であり、全ての

生き物の仕組みを創造された方だということです
。その生き物の仕組みを見て行く時、人間の知識を遙かに

超えた微細構造で創られ
、その仕組みの複雑さに驚かされます。それらのすべてが偶然などとは考え

られず、常識ある人間なら「叡智ある方の作品だ」ということが一目瞭然で分かります。ですから、人間の

知識を遙かに超えた創り主がおられる事は明らかだという事です。そこで、今日は人間の細胞について見て

行きますと、まず人間の体は、約40兆個の細胞で構成されており、1個の受精卵の細胞の大きさは、

0.2mm程と言われています。その小さな細胞の中には、100分の1mmの核があり、その核の中に、

人間を造り上げる設計図(DNA)が入っています。なんとDNAの太さは100万分の2mm(髪の毛の

4
万分の1の太さ)
、長さは1.5~2mです。その2mのDNAが体中の40兆の細胞の中にあり、全部合わせると

800
億万Kになり、地球から月まで往復10万回分の長さが、人間の体に仕舞い込まれているのです。

それが絡まる事なく仕舞い込まれているというだけでも気が遠くなります。これだけの仕組みはあまりにも

複雑で、人間の知性では絶対に造り上げる事はできません。もちろん自然界の業でも、また偶然の業でも

ありません。これは、本当に頭のいい、叡智に富んだ御方でないと、ここまでの仕組みを考えて、造り

上げる事はできません。
ですから、私達の命はこんな()(てつ)も無い能力を持った全能主によって創られ、

生かされているのです。だからこそ、このように、全能主の存在が明らかなのです。また、私たちの命は、

私たちのものではなく、全能主のものということです

(転)では、私達の命を造られた叡智に富んだ全能主は、人間に対してどのようなお考えをお持ちなので

しょうか。
実は、それを知る事のできる書物が聖書です。第Ⅰコリント2章10節には、「全能主は、

御霊によってそれらを私達に
啓示して下さいました」とあります。また、ロマ書1章17節を見ますと、

「福音の中に、全能主の義が
啓示されている」とあります。この「啓示」とは、「人知を以て知る事の

出来ない、全能主の秘め事を、全能主自らが示す事」
です。これが、全能主の言葉である聖書なのです。

そして、それを御霊によって私達に明らかにして下さったという事です。即ち、私達は、聖書を開いて、

初めて全能主のお考えを知ることが出来るのです。そして、その聖書の中に、「二千年前のイエス・キリ

ストの十字架は、私達の罪の為だった」という記事がありますが、それは、あまりにも突飛(とっぴ)な内容で、

思いもよらない事柄で、簡単に理解できる事ではありません。しかし、私達は、その全能主の啓示を、

全能主の御霊によって受け留める事が出来、そして、キリストの救いを信じることが出来ました。

このように、全能主の啓示が記されている聖書を読む時は、生まれながらの肉の考えでは、とても理解

出来なくても、「全能主はそのようにお考えなのだ」と、御霊の示しによって理解させて頂けるのです。

ですから、全能主の言葉は、そのまま受け留めて行くものです。例えば、第Ⅱコリント5章17節を

見ますと、「誰でもキリストにあるなら、その人は新しく創造された者です。古いものは過ぎ去りました。

見よ、すべてが新しくなったのです」
とありますが、この事は、自分自身の現在の状態から見ると、

現実的ではありません。しかし、これが全能主のお考えであり、全能主はそのように見て下さって

いますので、「新しく創造された者として生きて行きなさい」と言われている全能主のメッセージを、

アオリストの救いの故に、そのまま受け留め、そのまま信じた生き方を具体的に体現していくのが、

信仰なのです
。私達の命を造られた御方がそのように語っておられるのですから、そこに肉の考えを

入れたり、肉の思いで聖書の言葉を否定してはいけません。「罪人の私達にイエス様のアオリストの

贖いがある」という秘め事を、全能主は明らかにして下さいました。それを感謝して信じた者なら、

どこまでも全能主の言葉である聖書を受け止めて、「主に信頼せよ、主が成し遂げて下さる」と信頼して、

日常の問題を乗り越えて行くのです。それが、クリスチャンの正しい信仰の在り方です。しかしながら、

今現在、生まれながらの肉を持っている事も事実です。ですから、悪魔はその部分を()っついて来ます。

「お前は全能主から聞いた通りの救いを今持っているのか。お前は、今尚、罪人の心を持って生きて

いるじゃないか」
と訴えてきます。しかし、その悪魔の声に騙されてはいけません。実際にこの体が

贖われ、救いの実体を味わうのは、キリストの再臨の時ですから(第Ⅰヨハネ3:2)、その時までは、

ロマ書6章11節にあるように「一方では罪に対して死んだように、他方では全能主に対して生きている

者であると、認め続けなさい」
という中で生きて行くのです。すなわち、古い肉の中で生きて行くのでは

なく、新しく創造された者として、聖書の考え方で生きて行くのです


(結)このように、私達は全能主が明らかにして下さった真理を、また全能主のお考えを、御霊の助けに

よって知らされました。そして、全能主が成して下さった贖いの啓示を信じて受け取りました。ならば、

信じた後も、御霊の助けによって聖書(全能主の啓示)をそのまま信じて受け留めて行く事が、私達の

信仰の在り方です
。私たちの命は、私たちの創造主が創られたものです。ですから、最後の最後まで

全能主に寄りかかって、聖書の御言葉を信じて行きましょう。余分な肉の考えに目を向けず、全能主の

啓示である御言葉を、御霊によってそのまま受け留め、私たちの献身の生涯を、全うして行きましょう。


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