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2024年11月17日

聖霊の働きによって、本物の救い、本物の福音を語り、
本物の信仰の生き方をして行く事』

使徒の働き 19:13~20


(起) 使徒行伝19章18節に、「信じた者達の多くが次々とやって来て、公に罪を告白し、自分達の

数々の行為を打ち明けた」
とある、この驚くべき出来事から、「聖霊の働きによって、本物の救い、

本物の
福音を語り、本物の信仰の生き方をして行く事」を学んで行きたいと思います。


(承)さて、使徒行伝では、使徒達が大胆に福音を語り始め、たくさんの人々が信じてバプテスマを

受け、
弟子に加えられて行きました。しかし、使徒達にとって全てが順調に進み、幸いばかり味わって

行った訳では
ありません。彼らの働きの裏では、必ず反対者が起こって、牢に入れられたり、(むち)打たれ

たり、(つら)い経験をしているのです。それは、地に下った悪魔が、空中の権威を持って、いつも私達を

見張り、主の働きの邪魔をしているからです。また、もう一つ注意しておくべき事は、「悪魔は、全能主の

働きを真似る」という事です。エペソで
パウロがユダヤ人の魔除(まよ)け祈祷師達に出会った時、それが

起こりました。魔除け祈祷師は、パウロの真似をして悪霊を追い出そうとします。すると、悪霊が

答えて、「イエスなら知っている。パウロもよく知っている。だが、
お前達は何者だ」と言って、逆に

魔除け祈祷師に飛びかかり、打ち負かしてしまったのです。
このように、悪霊に仕えている魔除け祈祷師が、

悪霊に憑かれている者の悪霊を追い出そうとして打ち負かされ
魔除(まよ)け祈祷師達は傷を負って、

逃げ出したのです。もしこの時、魔除け祈祷師が悪霊を追い出していたなら、魔除け祈祷師に働く強い

悪霊が神のようになっていました。
私達はこういう事があるということを明確に知っておく必要があり

ます
なぜなら、これから患難時代に入った時に、悪魔(666の強い悪霊)が、他の悪霊(神々)を

支配して、神のように
振る舞う時が来るからです。即ち、全能主の真似をして、しるしと不思議を

行って、人々を惑わすのです。
実は、今もう既に666の仕業が表に出始めており、患難時代に

向かって世界を支配しようとしているのです。人間は、しるしと不思議に弱く、知性では理解でき

ない神秘的な事が起こってくると、「これは聖霊の働きだ。
主の働きだ」と(あが)めてしまう傾向が

あります。しかし、このような「しるしと不思議は、全能主にしかできない事では
なく、悪魔も同じ事を

するのです。」
この事を決して忘れてはいけません。なぜなら、世の終わりには、サタンが聖徒達に戦いを

挑んで、勝つ事が許されている
からです。ここで「サタンの方が勝つ」という事は、クリスチャンが「しるしと

不思議に踊らされて、コロッとサタンの側について、背教してしまう可能性がある」という事です。


ですから、私達は、それが本物の聖霊の働きなのか、それとも悪魔の働きなのかを、しっかりと

見抜いて行く必要があります。


(転)では、それをどのように見抜いて行けばいいのでしょうか。まず、19章19節を見て行きますと、

「魔術を
行っていた多くの者たちが、それらの書物を抱えて集まり、皆の前で次々と焼き捨てた」

という驚くべき事が
起こってきます。確かに、「悪魔から出たものなら、悪魔の書物を焼くことは、

まずないでしょう。」
しかし、注目すべき点は、それ以上に、確かな聖霊の働きがあるところでは

「信じた者達の多くが、次々とやって来て、
公に自分の罪を告白し、自分達の数々の行為を打ち明けた」

ということが起こってくることです。これは、聖霊の
働きがないと、決して起こってこないことです。

なぜなら、公に自分の罪を告白し、自分達の数々の行為を
打ち明けることは、「自分の罪を指し示され、

心から魔術を嫌って、主を見上げた確かな信仰の行為から出たこと
だからです。それは、「決して見せ

かけでは出来ない、聖霊の働きです。」
しかし、悪魔が巧妙に働くところでは
「魔術を行っていた多くの

者たちが、たとえ書物を焼き捨てることがあったとしても、「みんなと同じようにやらないと
仲間に入れ

ないから」という義務感で行うという場合もあります。それは、外見上の出来事ですから、もしか

すると、焼き捨てた行為を見て、それが嫌嫌(いやいや)であっても、真実な心から出た行為だと信じて、

悪魔に騙されることもあるでしょう。しかし、信じた者たちの多くが、次々とやって来て、公に自分の

罪を告白し、自分達の数々の行為を打ち明けたという行為は
「決して見せかけでは出来ない、聖霊の

働きであった」
ということです。
なぜなら、一般的に、生まれながらの人は、自分の罪を告白する事を

嫌がります。もし、それをしたら、メンツを失い、恥をかき、人から(さげす)まれるからです。ですから、

わざわざ自分から罪を告白するような事はせず、むしろ隠して自分を守ろうとするのです。しかし、それが

聖霊の御業(みわざ)となれば、心の内側を探られ、「自分達の数々の罪の行為を告白し、悔い改めて主を

信じる」
というリバイバルが起こるでしょう。ここが悪魔の仕業と、聖霊の働きの大きな違いです。

なぜなら、悪魔は人々が全能主に対して罪を認めないように働き、地上のメンツを重んじさせ、恥を

かかないように、上手(うま)い具合に誤魔化そうとさせるからです。
しかし、そこに聖霊の働きが

あれば、全能主に対して自分の罪を誤魔化すことはできず、自分は罪人だという事を正直に認めさせ

ます。人にその自覚が起こってきたなら、本当は隠しておきたい事であっても、自分が罪を犯した

という事実から逃げ
出す事はできないでしょう。それが、たとえメンツを失うことであっても、全能主の

前に正直であろうとするからです
。ですから、恥をかこうが、自分の純な心が罪を告白させるのです。

それは、決して義務感からではありません。このように、自分の罪を正直に打ち明けたへりくだり

には、人知では到底(とうてい)計り知れない平安が与えられます。また、その平安には全能主から罪を

赦して頂いたという確信が与えられるのです。ですから、これが本物の聖霊の働きから出たものな

のか、あるいは悪魔の働きから出たものなのかを見分ける秘訣です。

(結)現在、全世界に騙しの福音が広がっており、しるしと不思議によって、如何にも全能主の

働きのように
見せかけて、人々の心を迷わせ、騙されてしまう人達がたくさんいます。しかし、聖霊に

よって心が打ち砕かれ
悔い改めさせられた魂は、その人の心を正直にさせ、心の中の罪はえぐられ、

メンツもプライドも砕いて、
自分は生まれながらの罪人である事を、無条件に認めるようになるで

しょう
そして、そこから来る救いはアオリストの救いであり、過去、現在、未来に渡っての救いで

あることを知らしめて下さいます。その事を知った者は
、主の赦しによって生まれ変わります。また、

100%罪人である自分を認めた上で、「主に信頼せよ。主が成し遂げて下さる」ということを

信じて、「一生懸命やって行こう」とする自発的な気持ちに変えられて行くのです。
すると、イエス・

キリストの十字架の贖いが、どんなに感謝な救いであるかを味わう事となるでしょう。私達の
本物の

信仰のスタートは、そこから始まります。どうか、聖霊の働きによって、私達自身が本物の信仰の生き方を


世の終わりまで証し、精進して行く純な信仰に立っていきましょう。


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