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2025年5月4日

肉の我を折って天に突き抜ける信仰を持ち、
主に信頼して、主に任せ切る生き方

マルコの福音書13:9~13


(起) マルコ伝13章11節の「人々があなた方を連れて行って引き渡す時、あなた方は何を言おうか

と、前もって心配してはいけません。また、思い巡らせてはいけません」という御言葉から、肉の我を

折って天に突き抜ける信仰を持ち
、主に信頼して任せ切る生き方を学んで行きたいと思います。


(承)さて、福音書には、必ず世の終わりの出来事について明確に出てきます。まずマルコ13章8節を

見ますと、「民は民に国は国に敵対して立ち上がります。またあちこちに地震があり、また飢饉

動乱が起こります」とあります。これは、既に現在起こっている事です。しかし、これらの出来事は、

「産みの苦しみの初めです」とあります。次に9節では「あなた方は、わたしのために
議会に引き渡され

会堂で打たれ
長官たちや王たちの前に立たされます」とあります。ここに書いてある「長官たちや

王たち」というのは、666の支配の中にある、サタンの側につく長官や王たちです。私達は、捕えられて

鞭打たれ、彼らの前に立たされるのです
。それを考えただけでも、恐れを抱いてしまいます。しかし、

それだけでなく、その後、荒らす憎むべきもの(666)が現れた時には、「創造の初めから現在に至るまで、

かつてなく、今後もないような患難が起こる」(13:19)
明確に書いてあります。そして、この

「荒らす憎むべきもの(666)」は神殿に立ち、全世界を自分の手の中に(おさ)めて、世界統一連邦政府

のサタンの王国を確立するのです。
これが、サタンの思惑です。この患難は全世界に及びます。そして、

私達はその世界に強制的に放り込まれます。クリスチャンも例外ではありません。その患難時代が、

もう直ぐやって来るのです。イエス様が来られるのは、「荒らす憎むべきもの」(666)が出現した後に

起こる事で、聖徒が迫害によって殺され、続いて患難の終わり頃には天変地異が起こります。その時に、

人の子のしるしが天に現れ、人の子が力と輝かしい栄光とを持って、天の雲に乗って来るのを見ます。


その(あと)で、地の四隅からキリストの選びの民が呼び集められます。ですから、クリスチャンの携挙は、

患難時代の最後です。これが、イエス様の預言です。これほどハッキリと聖書に記されているのに、

患難時代の前に天に引き挙げられると思わされているクリスチャンは、サタンに騙されて眠らされている

人々なのです。


(転)そこで、今日お話しする事は、「たとえ患難な時代が始まったとしても、心配したり、思い巡らせ

てはいけない」(13:11)
という事です。とは言え、「心配しない。思い巡らせない」と、自分に

言い聞かせれば、そのようにできる訳ではありません。では、「思い巡らせてはいけない」とはどういう

事かと言うと、「そこに自分の意識を留めない」という事です。例えば、666の前に立たされた時、

私達はつい自分の身を守ろうとして、心の中で「何を語ろうか。何を(あかし)しようか」と考えます。

しかし、考えた瞬間に不安が襲ってきます。ですから、666の前に立たされても、「何を語ろう、

どうしよう」と、
あえて考えないという事です。そして、主に任せ切るのです。その事の具体的な実践の

例をお(はなし)しましょう
私は牧師として、教会の運営はもちろん、伝道者、献身者の生活についても

考えなければならない立場にあります。しかし、私は教会の会計に関して、帳簿を見てやりくりを考える、

という事を一切していません。毎週、報告を受けるだけで、自分自身が教会の会計に関与して、気を遣う

という事をしていないのです
。何故でしょうか。それは、思い煩わないためです。まず第一に必要な事は、

「全能主の国と全能主の義」を求めていくことであって、必要なものは、全能主が与えて下さると信頼して、

任せ切っているからです。
これが私の信仰です。私達は、この生き方をして行く為に、自分自身の肉の

我を折る必要があります。なぜなら、肉というものは、いつも不安がり、安心な方法や楽に出来る方法を

考えて、自分でやろうとします。しかし、そのように肉の思いを働かせ続けて行くなら、そこに信仰は

出てきません。
即ち、主に信頼して任せ切るという事ができないのです。それでは、「創造の初めから

現在に至るまで、かつてなく、今後もないような患難」
が起こって来た時、「不安で怖くて、どうしたら

いいのか分からない」という事になってしまいます。ですから、私達は今の時に「肉の我を折って

そこから離れ
全能主を信頼して任せ切っていく」という、
天に突き抜けた信仰を持たなければなり

ません
。そして、自分の意識は、天だけに向けて、地上の事を考えるのを止めるのです。なぜなら、

誰しもが心配な事や恐れを感じる心を抱きますが、あえて、「そこに意識を留めない」という信仰の心

実践して行く為です。
心配事に目を留めて、思い巡らしていると、ストレスだけが()まっていきます。

しかし、あえて目を留めなければ、思い巡らす事なく、知らん振りできるのです。


(結)これからは、今までにない程のえげつない悪魔の支配の中に、世界中が取り込まれて行き

ます。そこに至るまでの事が、聖書にはっきりと記されており、私達は必ずその中に放り込まれて

行くのです。その中にあって、救いの道は一つしかありません。それは、主に信頼して任せ切る事

です。即ち、地上に目を留めて自分で「あれ・これ」するのではなく、天に突き抜ける信仰を持って、

主に委ねていくことです
その為に私達は、自分の強い肉の我を折ると決断して、決別するのです。

すると、平常心に戻れます。
いつまでも自分の感情に立ち、肉の中に留まって、肉で解決しようと

してはいけません。肉を折って天に突き抜ける信仰に立てば、たとえ患難時代に入っても、肉の

弱さに左右される事はありません。どうか、この肉の我を折って天に突き抜ける信仰を持ち、主に

信頼し切った生き方を通して行きましょう。


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