『イエス様の権威の中にバプテスマされた』
使徒行伝2章37〜42節
@ 天においても地においても、一切の権威を持つイエス様について考え、その権威の中に
バプテスマされた私たちの生き方について学びたいと思います。
A さて、使徒行伝を読んでいくと、「聖書のことば通りに成る」ことが、どんなに素晴らしい
ことか分かります。2章で聖霊のバプテスマがあった後、一日のうちに3000人の人々が救われ
弟子に加えられました。さらに、主は救われる人々を日々加えてくださったと記されています。
これは当然だと思いますが、「どうして私たちにはその通りならないのか?」と、首を傾げます。
そこで使徒たちが語っている言葉に注意してみると、イエス・キリストの御名によってバプテスマ
を受けるなら、聖霊の賜物が注がれ(38節)。また、イエス・キリストの御名によって生まれ
ながらの足なえが歩き出しています(3章6〜8)。又ペテロは、「天の下でこの御名の他に、
私たちを救うことの出来る名は、誰にも与えられていない。」と断言しています。
そこで、イエス・キリストの御名の力を知っておく必要があります。
B では、何故、イエス・キリストの御名に力があるのか、考えてみましょう。
マタイ28章18,19節で、甦られたイエス様が天に帰られるときに、弟子たちに次のように
語られました。「わたしは、天においても地においても、一切の権威が与えられています。
それ故、あなた方は行って、あらゆる国民を弟子としなさい。そして父と子と聖霊の御名の
権威の中に入れられるため、彼らにバプテスマを授けなさい。」と。ここから、イエス様には
全ての権威がある事と、クリスチャンたちは、バプテスマを受けたときにイエス・キリストの
権威の中に入れられている事が分かります。言い換えるなら、御名に権威があり、信じる私たちも、
その権威の中に所有されているという事です。ですから、キリストの名によって癒しがなされ、
悪霊が追い出されるのは当然のことです。ですから私たちは、怯えることはありません。
はっきりとイエス・キリストの権威に立てばよいからです。その権威の中で私たちは歩んでいけば
いいのです。それは、キリストを信頼し、キリストに聞いていくことです。キリスト以外のものに
頼っても力が無い事は、よく分かっています。ところが悪魔は、エバを欺いたように、私たちにも
自分に頼るように欺き仕向けます。ですから、たとい出来ないと思っても決して逃げないで、
「やります」と向かっていくことです。もし出来ないと言って逃げたなら、主との信頼関係は
切れてしまいます。ところが、信頼を表面だけで見せかけながら、しっかりと自分自身の存在を
第一にしている人は、自分に依存していますから、いざとなったら、自分の我を出して、プッと
横を向いてし反抗し、背信します。この「自分への依存心、自分を守ろうとする心、反抗心、
裏切りの心」を砕いていかなければなりません。これらは背教の種ですから、これらを持っていて
は、最後まで主を信じ続けて生きて行くことは出来ません。私たちは、天国への入門許可証を
頂き、御名の権威の中に入れられているのですから、自我(自分への依存心)を打ち砕き、御名の
権威によって悪霊に立ち向かい、一切の権威を持っておられる方に、とことん従い通して行く
ことが、主に信頼する者の生き方です。
C 私たちに語りかける背教の霊の声は、主の権威を持って追い出していきましょう。そして、
信頼する生き方を始めて行きましょう。たとえ主が沈黙されたとしても、また、何度失敗した
としても、私たちはやり続けていくだけです。「たとえそうでなくても、主に従います。」と、
自分を守ろうとする我を砕いて、この道へ向かっていきましょう。 |
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