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                        進化論の崩壊 NO 14
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種の不変          

しゅ     ふへん   
     
種の不変








 人間の形をした魚とか、人間の形をした馬が、よく

想像の産物として物語に出てきます。しかし、現実の

社会では、そんな生き物は存在しません。

ところがもし、進化論の考えに立てば、全ての生物は
しんせき
親戚であり、人間も過去には、動物であった時代が
    
あり、「合いの子」の人間が存在してもおかしくない

ことになります。


 しかし、聖書では、人間は創造主の手によって造ら

れ、創造の始めから人間は人間だったと言います。

      果たして、

どちらが自然観察に合うのでしょうか。


 さて、進化とは、
                きせきてきかんしょう
   「全く自然に、いかなる神の 奇跡的干渉 もなしに、どこか遠くの海の単一の生命体の

   先祖から、今日ある全ての生物が誕生したという変化の進行過程を示す。」
とあります。

 もし、この進化というものがあったなら、種は決して固定したことがなかったはずであり、現在

も固定していないはずです。ところが、今日、犬と猫の「合いの子」はいないし、ナスとキュウリ

の「合いの子」も存在しません。つまり、犬には50以上の品種が見られても、決して、猫との

「合いの子」は一匹も存在しません。それは、生物は本質的種が違うと、決して交配できないから
   いしゅ    せいしょく  
です。異種間交配は、生殖細胞中の染色体の数や型が違うために、生殖が不可能だからです。
                   せつり
これは自然界の秩序を保つための、大切な摂理であるはずです。






 ところが、まれに、近縁種間の場合、交配して子が生まれる例があります。

                     (例・ラバ、レオポン、キャタロー)

 しかし、その場合でさえ、生まれる子は生殖能力を持たず、あるいは、生殖能力を持って生まれ

てきても、その子孫は、親のどちらかの本質的種に戻ってしまうのです。


     たとえば、ウマとロバを交配すると雑種のラバが生まれます。

    しかし、雄のラバには全く生殖能力がなく、一代限りで絶滅するのです。

       

                   めす
        ところがまれに、雌のラバに生殖能力のあるものが生まれることがあります。
       おす              おす ・・
   そこで、雄ラバには生殖能力がないので、雄ウマと交配させるとウマが生まれてきます。
     おす・・
   又、雄ロバと交配させるとラバが生まれます。
          めす
   すなわち、この雌ラバは「ウマ」そのものなのです。




         きんえんしゅ
このように、まれに近縁種間で交配し、子が生まれても、

本質種に戻ってしまい、決して新しい種が生まれるという
               きけい         きわ
ことはありません。雑種は一種の奇形にすぎなく、極めて

不安定です。このことは、人間が人間であるためのすばら
                せつり
しい法則で、創造主の摂理だと思われます。
                            つな
もし、全ての生物が、一つの先祖からの繋がりを持つ
 けいとう
「系統的種」の一つであったなら、ある日突然、ブタ人間

が生まれたり、ウシ人間が生まれたりして、この世界は

混乱の世となってしまうでしょう。

しかし、「すべての動植物が秩序だった種に区別され、
                          へだ
それぞれの種の間には、越えられない隔てがあること」
            はんえい
こそ、この世界の繁栄と幸いを与えている土台だと言えま

す。なんでも、かんでも、進化という仮説に立って解明し

ようとすれば、この知的秩序に満ちた創造の世界を、

無意味なものにしていく危険がはらんでいます。



聖書には「神は、その種類に従って生き物を生じた。」

               ・・・とあります。


              けんしょう
 この考え方は、今日の生物学の検証に一番合います。そして、全ての生物が偶然の進化による

存在ではなく、英知を持つ人格者の手によって始めから人間は人間、サルはサルとして創造された

ということです。


 あなたは、偶然に単細胞が出現し、進化して動物になり、そして私という人間になったと考えら
                              いと
れるでしょうか。あるいは、「私は初めから人間であり、創造主の意図によって造られている」
                  きげん
考えられるでしょうか。どうか人の命の起源を聖書から発見して下さい。

命の主を発見した時、尊く造られたことを感謝されることでしょう。








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