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                        進化論の崩壊 NO 13
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神を信じたダーウィンの晩年           


チャールズ・ダーウィン
(1809〜1882年)



世界中の何百万もの人々に、大きな問題を提起したチャールズ・

ダーウィン(1809〜1882年)は進化論によって有名になり

ました。

彼は、1859年に有名な『種の起源』という本を発表しました。

この本は、多くの人々が唯物論者や無神論者となるほどに強い感化

を与えたものです。

  (初版第1刷1250部は、即日売り切れたと言われています)。


 世界中を揺り動かしたその彼も、晩年になって後悔し、ついに、

主イエス・キリストを救い主として信じて、世を去りました。

そこで、彼がどのようにして、神を信じる者となったかをお話し

たいと思います。




 彼は医者になろうとしましたが、途中から神学の学びを始め、聖職者を目指しました。しかし、

生物の生態に興味を抱くようになり、後に生物学者になったという人です。

 そんな彼は22才の時、ビーグル号(軍艦)に搭乗して5年間の遠洋航海に出かけました。

1831年〜1836年のことです。

 この時、彼は南アメリカの南端にあるティエラ・デル・フエゴに行き、初めてみた原住民を

「人間ではなく悪魔であった。」と報告しています。ダーウィンは彼らを人間とは認めず、動物の

ように見て、
「原住民たちが猿から人間への進化の移り変わりのつなぎである」 と考えたのです。

ところが、同じイギリス人の宣教師であるアラン・ガードナーがティエラ・デル・フエゴの宣教師

となって、1836年に働きを始めました。

それから20年後、再びダーウィンがティエラ・デル・フエゴを訪問した時、驚くべき事を発見した

のです。

それは、類人猿としてみてい

た原住民の姿が変わっていた

のです。この時、宣教の働き

によって原住民であったアメ

リカ・インディアンたちは、

神の偉大な祝福を受けている

事を、認めないわけにはいき

ませんでした。
                     

                                          
そして、ダーウィンの晩年のある日、ダーウィンが死の床に就いていた時、知り合いの作家ホープ

婦人は、ダーウィンが聖書を開いて、創造の物語を理解しようと熱心に読んでいるのを見て驚きま

した。ホープ婦人は、神の創造について説明しました。するとダーウィンは、顔にありありと苦悩

の色を浮かべ、激しく、もみ手をしながら言いました。

「私は、若かったのです。未熟な考え方をしていました。私は全てのものに対して常に疑いを持ち、

質問したり、示唆を与えたりしていましたが、そんな私の未熟な考え方は、またたく間に広がり、

人々はそれらを、彼らの宗教としてしまったのです。ああ、私がしてしまった事を、
もとに戻す

ことさえできたら!」と。


彼の進化論の教えは、彼自身をも満足させることができなかったのです。ダーウィンは、ホープ

夫人に、「もし聖書に関する教えと、イエス・キリストの救いについて知っているなら教えてく

れ。」と頼みました。
彼は地上の生涯の最後の数分間に、聖職者を目指した自分に立ち帰り、

長い間否定しつづけてきた聖書からイエス・キリストの救いを発見し、自らの休み場を見出したの

です。



口で語られ、ペンで記された全てのことばの中で、最も悲しい言葉は、

「・・・することができたら」
という後悔の一言です。
     ふきゅう
聖書は嵐で動かされたり、又、腐朽したりすることはない。

批判の風は、その聖なるページを汚すだろうが、


しかし、その中に真理があり、
道があり、いのちがある。

(ヘレン・フランジー・ボーウェル)







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