近所の道端に、小さな地蔵らしきものが祭られ、朝な夕なに供え物を捧げる一人の婦人の 姿がある。 その姿を見るにつけ、実に、もの悲しさを感じる。 石で造られた像が、おいしそうなメロンやリンゴ、バナナを、食べる訳もなく、一心に祈 る婦人に語りかけることもない。 |
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数日後には朽ちかけた、くだものだけが哀れに残されている。 いったい石で造られた像に祈りを捧げる価値があるのだろうか? |
ことわざ とが 「困った時の神頼み」という諺があるように、人間は、いとも簡単に偶像を拝み、心の咎 こ めをいやすために、神に許しを乞う。しかし、人間を守り、助け、救い出す力が石や像にあ るわけがない。偶像に手を合わせることが当たり前の世の中で育った私たちだが、
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ということを知る時、本当に祈りに答え、聞いて下さる方は、 当然天地万物の創造主なる神であり、人間の手で造った偶像 ではないことが分かってくる。 |
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ところが、偶像を拝むことしか知らなかった者にとって、『今さらそんなこと言われても』 と思われるでしょう。 しかし反発しないで下さい。天地万物の神は、こんな私たちを救うために、イエス・キリスト を送って下さったのです。このキリストは全人類の罪の代価をご自分の死を通して払って 下さった神の御子です。 あかし それは、キリストのよみがえりの事実を通して、全世界に証され、又永遠の滅び(地獄) に行くはずの私たちを、全く正反対の永遠の命(天国)へ入れて下さる保証となっているの |
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です。 あなたは、全人類のために罪の代価を払って下さっている 神の救いをご存じでしたでしょうか? |
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一度聖書の扉を開いて、すでにあなたの罪の代価が払われている歴史の記録に目を止めて 下さい。 そして、物言わぬ偶像ではなく、真の神様の方が、あなたの救われることを願っておられ ることを知って欲しいのです。 |
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