2026年9月13日
『思い煩うのを止め、まず第一に 全能主の国と義とを追い求め続けていく生き方』
マタイの福音書 6:31~34
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(起) マタイ6章31~34節の御言葉から、「思い煩うのを止め、まず第一に、全能主の国と全能主の
義とを追い求め続けて行く生き方」を学びたいと思います。
(承)さて、ここには「思い煩うのはやめなさい」と書いてありますが、なぜ私達は思い煩ってしまうので
しょうか。それは、自分の思い通りにしたいと思うからです。もし、私達がオールマイティーな人間で、
自分のやりたい事を何でも思い通りにする事ができるなら、思い煩う事はないでしょう。ところが、実際は
そうではありません。私たちは全能主によって創造された被造物であり、自分一人の力では生きて行く事の
できない者です。また、罪を犯したアダム子孫ですから、私達は母の胎の中にいる時から罪の下にあり
ます。その罪人の人間が全てを思い通り出来ないのは現実です。その事実を、悪魔は知っています。
ですから、悪魔はいつも私達を不安にさせ、「心配しなかったら無責任だ。自分の事は自分が努力し、
自分が心配し、悩み、苦労しなければならない」と思わせるのです。しかし、聖書に「あなた方の天の父は、
あなた方の必要をことごとく知っておられます」(32節)と書いてある通り、天の父は私達の命を創られた
御方ですから、私達に何が必要であるかを全部知っておられるのです。例えば、植物は、生育して行く
ために必要な栄養素を地から全て吸収することができますが、人間は生きて行くための栄養素を毎日食物
から摂取することによって、生きて行けるようにされています。即ち、人間は自分一人の力では、生きて
行く事ができないのです。この栄養素は、全能主から日々戴かなければ、死んでしまいます。人間を
創られた全能主は、もちろんそれを全てご存知ですから、必要は与えて下さる方なのです。例えば、イエス
様は弟子達を連れて旅をされました。その旅の間、弟子達は食べていくための仕事をしていた訳ではありま
せん。ですから、日毎の糧を戴かなければ、生きていけない状態でした。そのことをご存知である
イエス様は「弟子達の日毎の糧を今日もお与え下さい」と祈られたのです。その祈りに全能主が応えて
下さり、日毎の糧をきちんと与えて下さったが故に、彼らはイエス様と一緒に3年半も生活ができたの
です。この事を理解したのなら、私達も「全能主にすべてをお任せし、お委ねし、信頼して行こう」と思いま
せんか。その為には、「まず第一に、全能主の国と全能主の義とを追い求め続けなさい。そうすれば、
これらのものは、すべて添えて与えられます」(33節)とありますから、私達の必要をことごとく知って
おられる御方に、いつも祈り求めて行く心があれば、主は応えて下さるのです。
(転)しかしながら、「主に任せる、委ねる、思い煩わない」という事は、「自分は何もしなくてもいい」
という事ではありません。「働かざる者食うべからず」とあるように、会社に行けば、自分に与えられた
仕事は自分でしなければなりません。しかし、「全能主が全てを知っておられ、導いて下さる」と信頼した
中で、すべき事をして行くなら、やり方が変わってきます。やるべき事はやるし、考えるべき事も、主に
よって考えるのです。ですから、ここに二面性があります。「自分は何もやらなくていい」と言って、
ただ座って待っていればいい訳ではありません。この二面性があるという事をはっきりと認めるならば、
「大胆に主に信頼し、お任せし、お委ねして、その中で自分の遣るべき事は遣ります」という心で
仕事に打ち込める筈です。
(結)最後に、マタイ11章28~30節をお読みします。「すべて重荷を負って苦労している者は、
わたしの所に来なさい。そうすれば、わたしが、あなた方を休ませてあげましょう。…わたしのくびきは
負い易く、わたしの荷は軽いからです。ですから、わたしに学びなさい。そうすれば、あなた方は魂に
安らぎを得ます」とあります。私達が持っている重い荷、重い苦しみをイエス様の所に持って行きま
しょう。即ち、「考えるのを止め、心配するのを止める」と決めることです。「心配しない」という事が
「信じる」という事であり、それが「魂に安らぎを得る」秘訣です。それは、先程も申し上げたように
「全部棚に上げて何もしない」という事ではありません。私達は、やるべき事はやりますが、主に信頼しな
がらやって行くのです。私達は罪人ですから、主に助けていただかなければ何もできません。ですから、
何か任された仕事があるなら、主に頼って一生懸命やって行くのです。どうか、思い煩うのを止め、「明日の
事は明日が心配するから、何とかなる」と本気で主に信頼しましょう。そして、まず第一に、全能主の国と
全能主の義とを追い求め続けて行く生き方を始め出しましょう。
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