2026年10月4日
『世に迎合せず、全能主の裁きの時が始まる警告を
全世界に宣べ伝える預言者の働きについて』
マタイの福音書 20:17~19、26~28
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(起) マタイ20章の御言葉から、「世に迎合するのではなく、全能主の裁きの時が始まるという警告を
全世界に宣べ伝える預言者の働きについて」学んで行きたいと思います。
その前にまず、創造主の存在を「咀嚼」(歯のかみ砕き)の仕組みから見て行きたいと思います。
私達はアゴを動かして食事をしますが、アゴは筋肉で動きます。筋肉の運動は、三つに区別されます。
「随意運動」、「反射」、そして「半自動運動」です。食べる時は、この「半自動運動」が大活躍しています。
私達は、テレビを見ながら、或いは夢中でお喋りしながら食事をする時、意識しなくてもアゴは動き続けて
います。一見、簡単で当たり前のように思いますが、決して当たり前のことではありません。それは、脳幹の
中に「咀嚼中枢」という専門の司令所があり、ここから一定のリズムでアゴを動かすように指令が
送られるという仕組みがあるからです。実際、食べる時には、視覚や感覚器の情報を解析して「良く噛みな
さい」などと大脳から指示が出される随意運動、また不意に硬い物を噛んだ時、とっさに口が開くという
反射、そして、無意識に噛んでいる半自動運動、これらの動作が最適に組み合わさり、場面毎にスムーズに、
かつ瞬時に連動して機能しているのです。もし、食事の度事に意識しなければアゴが動かないとなれば、
一噛み一噛み、絶えずアゴを動かす事に集中しなければいけません。すると、食事が終わる頃には、重労働の
後のようにぐったりしているでしょう。しかし、実際はそんなストレスは皆無です。むしろ食事は楽しみの
一つです。私達の体には、初めから生活が豊かに、かつ楽しくなるよう配慮され、叡智に満ちた驚くべき
仕組みが備わっているのです。これこそ、まさに聖書が証言している通り、全能主が意図して設計された
ものでなければあり得ない仕組みです。これが、私たちの命の仕組みが創造された事の証拠なのです。
(承)このように全能主の意図によって創造された人間に対して、全能主から遣わされたイエス様は、
決して人間に媚びるような、また人間を喜ばせるような御利益的なメッセージを語られてはいません。
実際に福音書を読んで行きますと、イエス様は繰り返し御自身の受難と死を予告され、「自分は多くの人の
贖いの代価のために、この世で命を捨てる為に来たのだ」という前提の上で、御自分の死を覚悟した
メッセージを語っておられます。ですから、決してこの世に迎合するようなメッセージを語られなかったの
です。例えば、19章3節以降に離婚の問題が出てきます。そこには「全能主が合わせたものを引き離して
はならない。不品行以外の理由で離別はしてはならない。また、離別された女を娶る事は姦淫を犯す事で
ある」という内容です。それは、当時の男社会にとっては、自由が制限されるような教えで、決してこの
世に迎合するようなメッセージではありません。そこで、「それなら結婚しない方がましです」と言った
弟子達に対して、「結婚には、こういうメリットもあるから、良き伴侶を得なさい」という前向きな話はせず、
「独身者である事を受け入れられるならそうしなさい」と、淡々と話されました。これ一つとっても、
イエス様の考え方が決して地上的ではないという事が分かります。他にも、金持ちの青年に「自分の財産を
売って、貧しい人々に施しなさい」と命じられたり(19:16~22)、ゼベダイの子らの母の願いを
無視されたり(20:22~28)、イエス様は決して人々の歓心を買うような話はされませんでした。
イエス様は「自分はこの世で命を捨てる」と自覚しておられたので、地上の人間に媚びたり、取り入ったり
せず、人の歓心を買おうとは努めていませんでした。イエス様は、常に全能主から遣わされた御子として、
天の御国に関する価値観ではっきり語っておられたのです。
(転) そこで、今日のクリスチャンたちも、イエス様と同じような価値観で、天から見た考え方で生きて
行く事を明確にして行くべきです。そうでなければ、イエス様の意図に繋がらないことを、悟るべきです。
なぜなら、この世は確実に終わりに向かっているからです。先日、私たちはアメリカのノアの箱舟の実物大を
見てきました。その感想は、ノアの箱舟は救いのしるしではなく、全人類と、動物と植物の一切合切の
死滅のしるしであったことを思い知らされて、帰って来ました。現代の世相を見渡す時、まさしく
ノアの時代のように、自分中心に生きる人間の罪が満ちあふれ、秩序が崩壊しています。特に「アメリカは
終わりだな」と思わされてきました。それは、同性愛の牧師が当たり前のように就任しているからです。
ですから、今の時代は、地上の歴史がいつまでも継続して行く時代ではなく、ノアの時代のように世の
終わりの裁きが間近に迫っていることを、宣べ伝えて行く時代に入った事をつくづくと感じざるをえま
せん。まさに患難時代を通して、全世界の裁きがもう一度行われるという警告を教会が始め出す時が来たの
です。そういう時代に置かれている私達の使命は明確です。この世の幸いや自分中心な利益を求めて行く時
ではありません。イエス様のように天の価値観だけに目を向けて証をする時です。この命はそう長くはない
からです。ですから、残された自分の命を全能主のメッセージのために使って行くのです。それは、終わりの
時代にあって、預言者となって働いて行く事です。預言者は、地上のメリットを追い求めてはいません
でした。むしろ、天の全能主の考えをストレートに伝えて、警告を与えて行くものです。それが、これから
の私達に託された終わりの働きです。しかし、世の人々は、ノアの時代のように、世の裁きの時代が来る
ことを馬鹿にするでしょう。しかし、聞こうとしない人々に向きになって裁く言い方は慎むべきです。
全て聖霊の働きに任せて、謹んで語っていくべきです。
(結)ですから、私達は箱舟を造りたいと願っていますが、それは人を楽しませるテーマパークでは
なく、「全能主が全ての人間を滅ぼし、全世界の裁きが来る」という事を示すためのしるしとしての
箱舟です。そのためには莫大な費用も必要でしょう。しかし、私達は人間の力に頼る事はしません。
「与えて下さるのは全能主であって人ではない」事を、これからはっきりと示して行きたいのです。
私達は主を信じていますので、主に期待する心を持って、ビジョンの実現のために祈って行きま
しょう。世に迎合するのではなく、「全能主の裁きの時が来る」という警告を全世界に発信する
預言者として、本気で主を信じる人々が起こされる事を願って働いて行こうではありませんか。
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