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2026年7月5日

キリストの血による契約に与ったという
全能主の奥義に従い、
完全な確信を持って信じ続けていく事

コロサイ人への手紙 2:1~2 


(起) コロサイ2章2節の御言葉から、「私達は主イエス・キリストの血による契約に与った」のです

から、その全能主の奥義に従い、「完全な確信を持って信じ続けて行く事」を学んで行きたいと思います。


(承)さて、コロサイ2章2節を見ますと、「完全な確信から来る豊かな理解により、父なる全能主の

キリストに関する奥義を真に知ってもらいたい」
とありますが、この「完全な確信から来る豊かな理解」

というものは、私達自身の感情から来る確信ではなく、「全能主のキリストに関する奥義の理解」から来る

ものです。その奥義は何かと申しますと、「キリストの血による契約」です。それは、「キリストは私達の

ために死んで下さった。だから、キリストを信じれば天国に行ける」という、ただ(うわ)(つら)な奥義では

ありません。そうではなく、「イエス・キリストの血によって、契約の効力が発生した」という重みのある

奥義なのです。即ち、イエス・キリストの贖いの血が流されたことによって契約の効力が発生し、天にある

もの、地にあるもの、一切の被造物の清めが成されたという奥義です。しかも、全能主がイエス様によって

結んで下さった契約は、アオリスト形の動詞で過去に実現しており、しかも永遠に有効ですから、私達の

現在がどんな状態であろうとも、その契約の中に在るということです。ギリシャ語のアオリスト形の過去

動詞は、「現在の私たちの状況(じょうきょう)如何(いかん)(かかわ)らず、過去に既に起った事実の故に、イエス様によってなされた

贖いを信じた者には有効である」
ことを示す表現です。ですから、この契約は全能主から出た一方的な契約

であり、人間の側から見ても理解できないものであって、全能主の奥義なのです。即ち、地上的な見方で

考える御利益宗教ではないのです。つまり、私たちの救いは、イエス様が全能主に対して結んで下さった

契約による救いという一方的な罪の赦しなのです。それ故に、キリストの死によって流された血によって

契約の効力が発生し、信じた者はその契約(遺言)の中で、生きて行っていいということです。ですから、

契約の約束事は、罪人がキリストの贖いによって受ける永遠の命に(かかわ)ることであって、すべてイエス様が

成された贖いの御業を認め、信じる事が大事なのです。
自分に力があるとかないとか、強いとか弱いとか、

そんな事は一切関係ありません。
全部イエス様の一方的な契約によって、罪人が永遠の命の相続に預かる

という約束事です。そのイエス様がして下さった事を、ただ信じ続け、認め続けて行くのが「信仰の法則」

(ロマ3:28)
であり、それが「キリストに関する奥義」なのです。


(転)さて、この「キリストに関する奥義」の具体的な事柄とは何でしょうか。それは、「私達がキリストと

新しい契約を結んだしるしとして、バプテスマを受けた」
ということです。即ち、この「バプテスマ」は、

「私達がキリストと共に葬られキリストと共に甦らされた」のしるしです。旧約時代は、人間と全能

主の間で、律法に従うという条件の下で結ばれた契約のしるしが、「割礼」でした。しかし、その律法に

よる人間と全能主の契約は、人間の違反によって無効にされた為、全能主は新しい契約として、人間の

代わりにイエス様と全能主の間で結んで下さいました。それによって、人間が、新しい契約に預かった

というしるしが「バプテスマ」であったのです(コロサイ2:11~12)。それは、人間が直接に結んだ

契約ではなく、イエス様に全てが掛かっているのです。そこで、この契約の内容を簡潔(かんけつ)に記しますと、

「私たちは、キリストの死の中にバプテスマされたことによって、彼と共に葬られたのです。それはキリ

ストが死人の中から甦らされたように、私たちもまた、死人の中から甦り
新しい命の中で歩むためです」

(ロマ6:4)
という契約です。これは、「私たちの自我はキリストと共に死んだ者とみられ、新しくキリ

ストにあって生きる者」
とされたという内容です。何と感謝な事でしょう。その契約は、現在の状態の如何に

関わらず発生したのですから、自我は死んだ者としての生き方をしなさいという内容です。即ち、聖書の

言葉をそのまま信じて、「ただ全能主に信頼していく、大胆な生き方をして行きなさい」ということです。

たとえ、感情が聖書の言葉に付いて行かなくても、感情の自我は死んだものですから、「ひたすら、御言葉を

信じた新しい生き方をして行きなさい」というものです。例話として、「貧しい青年が親の遺言によって、

突然金持ちになって、全く新しい環境の中で新しい生き方が始まった」というようなものです。ですから、

この契約は夢のようですが、現実にキリストによって与えられたものです。ですから、感謝してそのまま

受け取れば良いのです。更に、コロサイ3章3節を見ますと、「あなた方は既に死んでおり、あなた方の命は、

キリストと共に全能主の中に隠されているのです」
とあります。つまり、私達の命は「死んだままの消え

去る命」ではなく、全能主の中にずっと保たれており、今現在も、全能主の中に隠されて生きている命なの

です。そして、その隠された新しい命を体験する日は、ピリピ3章21節にあるように、「キリストは、

万物をご自分に服従させることのできる御力によって、私達の卑しいからだを、御自身の栄光のからだと

全く同じ姿に変えて下さる時です。」
ですから、「キリストに関する奥義」は、今現在と将来に与えられる

二重の幸いが伴う契約なのです。つまり「今現在の罪の身体は、将来、一切の汚れから(きよ)められ、

栄光の姿に変えられる
」という、救われた者が本当に待ち望む姿です。今まで罪を犯してきた「この卑しい

からだ」
が、イエス様の栄光のからだと全く同じ姿に変えられるという契約が結ばれているのです。

何と有難い事でしょうか。


(結)この奥義は、私達の信仰に確信を与えるものです。これ以外の余分な事を考える必要はありません。

ですから、私達はこんな尊い救いを(ないがし)ろにしたら、どこに救いがありましょうか。ひたすら、「主を信じ続ける

戦いを立派に戦い抜いて、永遠の命を獲得すべきです」(第テモテ6:12)。即ち、いつ死んでも

後悔しないように、今を信仰によって生き抜いて行く、信仰の一本道を貫くのです。
どうか、私達は主イエス

・キリストの血による契約に与ったのですから、この信仰の奥義に従い、一人一人が「完全な確信から来る

豊かな理解」をもって、信じ続けて行こうではありませんか。


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