2026年6月28日
『聖書を読み込んで御言葉を理解し、 信仰の確信に立って、主の働きに用いて戴く事』
第Ⅰヨハネの手紙 2:1~2
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(起) ヨハネの手紙から「聖書を読み込んで御言葉を理解し、信仰の確信に立って、主の働きに用いて
戴く事」を学んで行きたいと思います。
まず初めに、全能主の存在を「肛門の仕組み」を通して見て行きたいと思います。肛門には脊髄の信号で
開閉する「内肛門括約筋」という不随意筋と、自分の意思で開閉出来る「外肛門括約筋」という随意筋の
2つの筋肉が備わっています。もし内肛門括約筋だけならば、便意を感じると自動的に開いてしまい、
トイレ以外でも便をしてしまいます。逆に外肛門括約筋だけならば、起きている時も寝ている時も、
常に閉める意識をしていなければ、便が漏れ出てしまいます。ですから、不随意筋と随意筋の二つの筋肉が
なければ、安心して生活ができません。更に肛門には「便」と「おなら」を区別するセンサーが備えられて
いるため、腹が張っても「便」か、「おなら」かを区別してくれます。そのセンサーがなければ「不安だから
毎回トイレに行かなければ」と、心配になってしまいます。しかし、センサーの御蔭で、「ガスだから大丈夫」、
「これは便だから、トイレに行こう」と判断してくれるのです。このように、普段当たり前のように「便」
や「おなら」をしていますが、この肛門の仕組みの巧妙さを見ても、実に偶然だとは考えられない仕組みが
あるのです。この素晴らしい仕組みを創って、生かして下さっている御方は、何と叡智に富んだ御方で
しょうか。これを創造された全能主を認め、全能主の存在あっての自分であることを感謝しましょう。
(承)さて、第Ⅰヨハネ2章1節を見ますと、「これらの事を書き送るのは、あなた方が罪を犯さない
ためです」とあります。ここを読むと、道徳的な意味で語られているように思い、つい律法的に捉えて
しまいます。ところが、よく読み込んで行くと、この手紙が書かれた目的から、その意味の正しい判断が
出来ます。そのポイントは、当時「イエス・キリストが肉体をとって来られた全能主の御子である事を
否定する反キリスト」(4:3)が出始めていた事です。3章6節を見ますと「すべて罪を犯す者は、
キリストを見た事もなく、キリストを知ってもいません」とありますから、この「罪を犯す者」とは、
この内容から見ていくと、はっきり言って未信者であり、反キリストでもあることが分かります。この
未信者たちや、反キリストたちは、「人間の形をとって来た者が、救い主になる訳がない」と思い、「どうして、
その方が全能主の子だと言えるのか」と簡単に否定します。ですから、「罪を犯す者」とは、キリストを
救い主であると認めない「キリストを否定する、反キリスト」の事を言っているのです。そして、その
「反キリストは、私たちの中から出て行きました」(Ⅰヨハネ2:19)とありますので、教会の中にいた
信者たちの間で「人間の姿をとって来られたイエスが、私達の救い主」というのは、「果たして本当の事
なのか?」という疑心暗鬼が生まれ、信じた聖徒の中から、信仰から離れて行く人達が起こって来たという
ことです。そして、皆が不信仰になって互いに裁き合い、教会の中がバラバラになってしまったのです。
当時、このような問題が起こり始めていたので、ヨハネは「互いに愛し合いなさい」と何度も強調して
語ったのです。即ち、「キリストのアガペーの愛の中に留まり、裁き合ってはいけません」というメッセージ
だったのです。
(転)このような反キリストの惑わしは、現代にも起っています。例えば、「全能主は御自分の御子を罪の
肉の姿をもって遣わし…」(ローマ8:3)と聖書にはっきり書いてあるにも関わらず、無意識にその
御言葉から離れ、「イエス様を罪人扱いしてはいけない」といって「イエス様は救い主だから、罪とは全く
関わりのない聖なる肉体を持って来られたのだ」と考えているクリスチャンがたくさんいます。しかし、
聖書はそのようには証言していません。むしろ、「この大祭司は、私たちの弱さを思いやることの出来ない
方ではありません。罪は犯されませんでしたが、全ての点で、私たちと同じように試みに会われました」
(ヘブル4:15)とあり、また、「全能主はご自分の御子を罪の肉の姿をもって遣わし、私たちの罪の
ために、肉をもって罪を処罰して下さったからです。」(ローマ8:3)とあるように、イエス様は、
罪深いマリヤから生まれましたが、御霊によって罪は犯されませんでした。ですから、罪深いマリヤの
肉を荷なって私達の罪の贖いをして下さったのです。ですから、「キリストが肉体を取って来られた
全能主の御子であることを告白する霊は、全て全能主から出ている者です」(Ⅰヨハネ4:2)。しかし、「キリ
ストが肉体を取って来られた方と告白しない霊は、全て反キリストの霊です」(Ⅰヨハネ2:19)、という
ことが明確に記されているのです。このことを教会から離れて未信者となった人々が逆手にとって、「肉体を
もったイエスが、罪の贖いは出来ない」と否定して、反キリストの側に回った者たちがいたのです。
このように、反キリストはクリスチャンをターゲットに絞って信仰を揺さぶって来るのです。しかし、それは
当然の事だと思って下さい。5章19節にある通り、「全世界は悪しき者の支配下にある」からです。そして、
悪しき霊がクリスチャンを惑わし、信仰を揺さぶる事を、全能主は、あえて許しておられるのです。なぜなら、
その揺さぶりを通して、私達が本気で「イエスをキリスト」として認めて信じて来るのか、どうかを見て
おられるからです。即ち、本物の信じる心を自分の意志で表すかどうかを、全能主は見ておられるのです。
ですから、私達は今、一人一人が信仰の確信を持たなければなりません。そのためには、聖書を読み込んで
理屈で理解して行く必要があります。ただメッセージを聞いて「そうか」と感情で思うだけではいけません。
感情で理解したものは、その時その時の気持ち次第で変わってしまうからです。ですから、聞いた後で、
もう一度聖書を読んで確認する事が大切です。そのように聖書を読み込んで行く事によって、私達の信仰に
確信が生まれ、キリストに留まって行く事ができるのです。
(結)全能主は、「キリストが敵である悪魔を足台として置かれる時まで待っておられます」(ヘブル
10:12)。そして、私達がどのように信じて来るのかをじっと見ておられます。しかし、かつて
全能主はバビロンのネブカデネザル王を「わたしのしもべ」と呼び、彼の宝物倉からペルシャの
クロス王を通して、財宝をユダヤ人に返し、クロス王を奮い立たせて神殿を再建させたように、
全能主は未信者や敵をも動かして御自身の御心を成し遂げられる御方です。ですから、私たちも
同じように、時が来たら、バイブルランドの働きの為に用いられて行くのです。そのために、今、
一人一人が聖書を読み込んで御言葉を理解し、確信を持ってキリストに留まって下さい。その確信の
中で、終わりの時の働きに用いて頂こうではありませんか。
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