2026年6月14日
『私たちの信仰告白する大祭司イエス様に心を集中し、
自我から離れて、全能主ファースト・ イエス様オンリーで生きて行く事』
ヘブル人への手紙 7:20~28
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(起) ヘブル書3章と7章の御言葉から、「私達の信仰告白する大祭司イエス様に心を集中し、自我から
離れて、『全能主ファースト・イエス様オンリー』で生きて行く事」を学んで行きたいと思います。
まず、全能主の存在から学びます。「太陽光と地磁気の(ファイン・チューニング)の働き」を見て
行きますと、太陽の光は、生命にとって必要不可欠であり、人間にとって幸いをもたらします。それは、
日光浴をすると、幸せホルモンの「セロトニン」が分泌されたり、ビタミンⅮが生成されたりなど、
人体にとって優れた影響を及ぼすからです。また、植物の光合成や、生物の生育サイクルにも欠かせま
せん。しかし、実のところ、太陽は非常に危険な星です。太陽は核融合反応によって熱を生み出されますが、
これは原子爆弾よりも大きなエネルギーを生み出します。同時に大量の放射線も放出しています。太陽の
大きさは地球の109倍もあり、まるで、むき出しの超巨大原子炉のようなものです。ここから放出される
エネルギーは100万度を超える高温の太陽風(プラズマ流)で、秒速400㎞~700㎞もの速さで
地球にやってきます。例えるなら、一秒で名古屋から福島まで届くような激しい雷が、絶え間なく地上に
降り注ぐようなものです。これをまともに受けたら、地球の大気は吹き飛ばされ、生物はたちまち死滅して
しまいます。それなのに、なぜこれほど危険な太陽光を浴びても、地上の生物は死なないのでしょうか。
それは、地球が巨大な地磁気で覆われているからです。北をN極、南をS極として、巨大な磁場が発生して
います。この地球を覆う磁場がバリアとなって、地球の外側を流れる太陽風の危険な放射線をカットして
くれるのです。また、この地磁気の強さは絶妙で、強すぎれば生物に悪影響を及ぼし、弱ければ太陽風を
まともに受けてしまいます。ところが、絶妙な地磁気の強さ(ファイン・チューニング)のおかげで、
私たちは、太陽光を安全に浴びることが出来、また生物が生きることのできる環境が保たれています。
全能主ヤハウェは、人の住みかとして地球を創られました。(イザヤ45:18)それは無秩序なものでは
なく、考え抜かれた、全能主の叡智による傑作なのです。その御蔭で私達は安全に生かされて
いるのです。
(承)このように、天地万物の被造物は、イエス様によって全能主から命じられて造られたものであり、
今もイエス様が全能の力を持って保っておられます。また、イエス様は私たち罪人の為に御自身の命を
かけて、「人間の罪のきよめのわざを成し遂げて」救いの道を開いて下さいました(ヘブル1:3)。
しかし、当時のユダヤ人クリスチャン達は、この教えを理解する事ができませんでした。なぜなら、彼らは
律法主義的な意識が強く、「自分の行いによって全能主に受け入れられよう」とする考えを持っていたから
です。そのため、イエス様の贖いの理解が、曖昧になっていたのです。そこで、ヘブル書では、「律法は
全能主に近づく人々を、完全にすることは出来なかった為、世の終わりに、御自身をただ一度だけ生け贄
として献げて、罪を取り除くために、公に現れて下さった」(ヘブル10:2,9:26)と、明確に
解き明かされているのです。この全能主の御心によって、全能主から送られた聖なる大祭司こそ、キリスト
であり、律法を廃棄された方です。このキリストは、永遠の大祭司として私達の全ての罪のきよめを成し
遂げて下さった御方です。
(転)それでは、その詳しい内容を見て行きましょう。イエス様は、ダビデが詩篇の中で預言していた
通り、「メルキゼデクに等しい大祭司」としてこの世に来られました。このメルキゼデクは、父もなく、
母もなく、系図もなく、生涯の初めもなく、命の終わりもない、全能主の子のようであり、また族長アブラ
ハムから、メルキゼデクは10分の1を受け取られた方です。即ち、この方は、人間よりも偉大な全能主の
大祭司であり(7:3~4)、イエス様は、そのメルキゼデクのような、永遠の大祭司として預言されて
いた方です(6:20)。即ち、「レビの家系でなければ祭司職には就けない」という律法があったにも
関わらず、全能主はご自分の誓いによって、ご自分の御子であるイエス様を大祭司として遣わされました。
そして、イエス様は「大祭司として、山羊や子牛の生け贄ではなく、御自身という完璧な生け贄をただ一度
ささげる事により、私達の罪に対する贖いを永遠に成し遂げて下さったのです」(7:27)。それだけで
なく、人間は肉の弱さを荷っている為、主御自身もこの地上に来られた時、人と同じように肉を担われ、
私達の弱さや苦しみを全てご存知の者として、私達と全能主との仲介者となって下さり、人の執り成しも
して下さっているのです。そのおかげで、私達はイエス様によって全能主に大胆に近づく事ができます
(7:25)。なんと感謝な事でしょうか。
(結)こういう訳で、私達はイエス様の血によって永遠の贖いがされているのですから、「救われているか、
救われていないか」と疑ったり、不安に思ったりする必要は一切ありません。ロマ書6章11節の信仰の
法則に基づいて、「一方では罪に対して死に、他方ではイエス・キリストにあって生きている者であると
認め続けなさい」とありますから、私たちは、イエス様の完全な贖いを受けたものとして、「信仰の法則」
に従って生きて行けば良いのです。ですから、良い行ないは、律法の法則からするものではなく、信仰の
法則に立ってするものです。もし失敗をし、罪を犯した場合、自我によって自分を庇ったり、弁解したり
する必要はありません。それはイエス様の救いをないがしろにする事です(2:3)。私たちは、自分の
肉のダメさ加減や罪は、一生涯負い続けて行くべきものです。ですから、その報いは当然の如く受け入れ、
悔いて、正直に認め、下へ下へと心を低くして行く時、イエス様の救いの素晴らしさが、心に染み渡って
くるのです。どうか、「信仰の法則」の確信を最後まで持ち続け(3:14)、完成に向かって進みま
しょう(6:3)。そのために、私達の信仰告白する御方、大祭司であるキリスト・イエスに心を集中させ
(3:1)、キリストと共に死んだ自我を認めて、「全能主ファースト・イエス様オンリー」で生きて
行こうではありませんか。
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