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2026年3月15日

世の終わりの中にあって、強く雄々しく、
全能主を信頼して、信じていく信仰

ヤコブの手紙 4:5~10 


(起) ヤコブ4章6節から、「世の終わりの中にあって、強く雄々しく全能主を信頼し、信じて行く

信仰を表し、『全能主は高ぶる者を退け、遜る者に恵みを賜う』という幸いを味わって行く事」を学びたいと

思います。


(承)まず、創造主の存在を、「血液から不要物を取り除く臓器の腎臓、を通して紐解いていきます。
腎臓
(じんぞう)
には、

心臓からの血液が20%程度流れて、血液の濾過(ろか)が行われます。この濾過(ろか)組織には、()球体(きゅうたい)という

毛細血管が集まった糸玉のような組織があり、ここで血液を一気に濾過し、老廃物と水分・塩分・ブドウ糖を

含む
原尿がつくられます。この濾過(ろか)された原尿はボーマン(のう)という組織が受け止め、尿細管という

管へと送られます。この尿細管では、原尿に含まれている有用な物質(水分・塩分・ブドウ糖)を、併走

する毛細血管が再吸収します
。この再吸収と分泌の働きは、汗をかく量や体の疲れ具合などの体調の変化に

即座に対応し、水や塩分などの回収量を精密制御します。人の手による腎臓の人工透析では、老廃物と

水分を抜く機能だけに特化し、塩分やブドウ糖などの再吸収する調整はできません。また、腎臓は人が

どれだけ動き回っても正常に働き続けますが、人工透析装置は、病院内で行う半日仕事となり、通常生活を

送れるような安易な装置ではなく、またメンテナンス不要で動作するようなものでもありません。しかし、

人体の腎臓は、超高性能な濾過(ろか)装置と調整システムが自動制御されており、これらの仕組みを人工機器

では再現できないのです。
まさに、人知をはるかに超えた知的デザイナーが存在し、「腎臓という仕組みを

意図して創られた」と考えなければ理屈に合いません。
この点を聖書は、はっきりと「全能主は御旨のままに

器官をそれぞれ体に備えられた」(第Ⅰコリント12:18)
と告げ、全能主であるヤハウェが、叡智を以て

最適な仕組みを創り上げられたと語っています。人間の身体に仕組まれたこの驚くべき血液浄化装置は、

人が生かされている事実を通して、私達の存在が決して偶然や進化による命ではなく、全能主の創造による

であることを指し示しているのです。


(転)さて、このように、私達の命は決して自分で創ったものではなく、また、たまたま出来上がったもの

でもありません。疑いもなく、叡智ある全能な御方によってファインチューニングされた特別な命なの

です。という事は、この命は「自分のものではなく」、また「自分が主人公でもない」という奥義が見えて

来るのです。人間は、自分の生まれた意味が分かりませんので、たまたま生まれて来た自分が主人公で

あるかのように思っています。しかし、現実は、自分の命を自分の思い通りにはできないもどかしさがあり

ます。しかし、元々自分の思い通りにしたいと考えること自体が間違っているのです。何故なら、人間の

有様は「罪を犯したアダムとエバの子孫である」と聖書は解き明かしているからです。ですから、人は

生まれながらに自分勝手な高慢さに流され、「自分にとって都合の良いものは信じるが、都合の悪いものは

信じない」
という傾向があります。これは創造主の前に決して健全な意識ではありません。ある意味で

病気なのです。命の全能主を無視し、自分の思いを通して行こうとする高慢は、私達の一番の病気の根源

です。これを治すには、まず自分自身が病気である事をはっきりと自覚し、命の主権者である全能主に

対して遜り、全面的に自分が高慢であったことを認めるべきです。そして、全能主を信じる生き方に変える

べきです。
クリスチャン達の実生活でさえ、自分に出来る事はするが、自分は駄目だとか、怖いとか、

できない
と思うことには、心を向けず、自分勝手な意識を当然のように擁護しています。しかし、それは

当たり前ではありません。それは、全能主を信じているのではなく、自分を信じている事です。そして、

その心が全能主を裏切り、全能主を排斥する不信仰に繋がって行くのです。
私達は、多くの不安を抱える

ものです。しかし、主に心を向け「信頼してお委ねします」という信仰に立てば、その瞬間に不安は

解消されるのです。「人が主に向く時には、心の被いは取り除かれるのです」(第Ⅱコリント3:16)

と書いてある通りです。私達の心の中で、主を信じる気持ちが先立てば、「この御方に委ね、信頼し、

従って行こう」という気持ちになって、思い煩いも全部任せ切って平安な心になります。それが、全能主の

前に遜った者の心です。私達は、その心を持って全能主に近付くのです。そうすれば、全能主は私達に

近付いて下さいます(ヤコブ4:8)。
また、私達の内には全能主が下さった御霊が住んでおり、全能主は

その御霊を妬むほどに愛しておられますから(ヤコブ4:5)、御霊の声は毎日聞いて行くべきです。

そして、御霊の声を聞いたならば、そこには全能主の御心と意思が示されますから、信じて行動を起こすの

です。すると、「全能主は更に大いなる恵みを注いで下さいます」(ヤコブ4:6)。即ち、御霊に満たされて

行くのです。

(結)今この地上では、聖書に書いてある事がどんどん現実的になって起こり始め、世の終わりは目の

前に来ています。今は、世の終わりの終わりです。その世の終わりの中にあって、私達は強く雄々しく

全能主を信頼し、信じて行く信仰を通して行くのです。「全能主は高ぶる者を退け、遜る者に恵みを下さい

ます。」
どうか、一人一人がこの幸いを、信仰に立って味わって行こうではありませんか。


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