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2025年8月3日

頭の考えから離れて、新しく生まれた霊で、
キリストの考えに立って主を第一にして行く事』

ヨハネの福音書 3:1~15 


(起) ヨハネ3章5節と第Ⅱコリント5章17節の御言葉から、「新しく生まれる」とはどういう事かを

考え、
「頭の考えから離れて、新しく生まれた霊で、キリストの考えに立って主を第一にして行く事」

学んで行きたいと
思います。


(承)さて、今日はまず人間の呼吸の仕組みを見て行きます。人間は、呼吸をする事によって、必要な

酸素を
取り入れ、不要な二酸化炭素を排出しています。そのガス交換の働きをしている器官が肺です。

肺の仕組みは
、1000分の1ミリというミクロの世界で出来上がっており、直径0.1ミリ~0.2ミリの

肺胞というブドウの房のような小さな袋があって、そこに100分の1ミリの毛細血管が張り付いてガス

交換を行っています。そのため、肺胞は
左右併せて6億個もあり、その肺胞の表面積を全部合わせると、

なんと畳37畳分にもなります。それを言い
換えると、なんと女性の体の表面積の37人分にもなります。

それだけの面積の広さのものが、二つの肺の中におさめられているということです。誰がそんな精密な

仕組みを考え、創り上げる事が出来るのでしょうか?決して
自然界の偶然の作業で出来上がる代物では

ありません。
正に、サムシング・グレイトと云われる、全能主の知恵と創造力が存在しなければ、出来上がら

ない代物です。
しかも呼吸は、5分間止まれば、脳は二酸化炭素だらけとなり死んでしまいます。ですから、

そのシステムは命の存在と同時に出来上がらないと生命は存在しないのです
。という事は、もし、人間が

何億年もかかって少しずつ進化した物と考えるなら、その仕組みが出来上がる前に死んでしまいます。

それだけ繊細(せんさい)で細かい仕組みの命を、私達は持っているのです。当然、この私達の命は、自分で造った

ものではありません。
という事は、私達の命を、叡智(えいち)を持って造り、生かして下さっている全能主が

おられるということです。
即ち、私達の命は全能主次第なのです。ですから、私達はいつも、この全能

主を
中心に物事を考え、判断し、生きて行かなければなりません。これは、全能主によって造られた私達に

とって、基本中の基本です。


(転)では、全能主を中心に物事を考え、判断し、生きて行くとは、具体的にどういう事でしょうか。

ヨハネの福音書3章5節を見ますと、
「誰でも、水と御霊によって生まれなければ、全能主の国に入る事は

できません」
とあります。まず、「水によって生まれる」とは、人間が羊水の中から生まれ出て来るという、

肉の現象です。もう一つは、
「御霊によって生まれる」という事ですが、それはキリストによって新しく

生まれる
という霊の現象の
ことです。それはどういう事かといいますと、第Ⅱコリント5章17節に、

「誰でもキリストにあるなら、その人は新しく創造された者です。古いものは過ぎ去りました。見よ、

すべてが新しくなったのです」
とあります。即ち、羊水から生まれてきた命は、古い肉のままの命ですが、

キリストを信じた者たちは皆、「新たに全能主の御霊によって生まれ出て来るもの」ということです。

この御霊は風のように、目には見えませんが、確かに存在し、信じた者を
御霊によって生かし続けて下さる

のです。即ち、キリストによって生まれ出る人々は、全能主の御霊によって生きていける新しい命を貰うの

です。私達はこの御霊の働きによって初めて、『信じます』という心を頂きました。ですから、クリス

チャンは、生まれながらの肉の判断によって生きるのではなく、心の内に入られた御霊によって
考え、

判断して物事を決めていくのです。しかし、実際には今も尚、古い肉を持っており、古い性質の自分が

「過ぎ去った」という事を経験している訳ではありません。しかし、これはアオリスト形で書かれています

ので、全能主は肉の現実があっても、キリストによって生まれ出た、新しい命の霊がある者として

宣言しています。
ですから、私達クリスチャンは、古い人間的な思いで物事を考えて行くのを止めて、

キリストによって新しく
生まれた心で、全能主の考え方が正しいと認めた生き方をして行くべきです。

即ち、「御霊によって歩む」という
ことは、自分の頭をごちゃごちゃ使って考えるのを()める事です。

蛇である悪魔は、全ての問題を頭で解決する
ように仕向けて、命令してきます。しかし、クリスチャンは、

その頭の考えに(あらが)って、心の中にある御霊の心に従うのです。私達がイエス様から貰った
「新しい命、

御霊による物の見方と考え方」
は、頭の中に入ったのではなく、心の中に入ったのです。ですから、頭で

考え、頭で解決するのではなく、心で考え、心で解決するという事をして行くのです。実例として、

イエス様が5つのパンと2匹の魚で五千人を養われた箇所を見る時、ピリポは、「どこからパンを買って

来て、この人々に食べさせたらよいか」とイエス様から尋ねられた時、一生懸命自分の頭で考えて答えよう

としました。しかし、最終的に、「できません」という答えしか出て来ませんでした。ところが、もし

その時に、心の中に入っている御霊の考えに立つなら
、主を信じた心で「イエス様、あなたはお出来に

なります」と言うことが出来た筈です。「主に信頼しよう」と思った瞬間に、私達の心は軽くなり、嬉しく

なるのです
これが「キリストによって新しく生まれた霊で生きる」という事です。私達は、いつも

この心で物事を考え、判断して行かなければなりません。

(結)私達は、頭で生きて行くのではありません。どこまでいっても、頭は、古い肉の考えでしかありま

せん。それは、蛇がエバに入れた悪魔的な物の見方なのです。しかし、それはイエス様に在って死んだもの

として、もう使わないようにすべきです。ということは、いつまでも自分の頭で考える古い習慣から離れ、

自分の損得で決める()り方から離れて、全能主を信頼するところから考えて行動するようにするのです。

そして、自分の心の
中に入れられた新しい霊の思いで生きて行くのです。それは、全ての面において、主に

信頼して任せ切って、どこまでも全能主を第一にして行く生き方です
。その気持ちに切り替えると、平安が

来ます。どうか、もう自分の
頭の考えに立つ事を止めて、「キリストによって新しく生まれた霊」で考えて

判断し、行動するように始め出そうではありませんか。


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