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2025年12月7日

『いつ死んでも後悔しないように、
キリストにあって今を生き抜く、信仰の一本道

エペソ1:17~19、ピリピ1:20~21 


(起) ピリピ1章21節「私にとっては、生きる事はキリストであり、また死ぬ事は益です」という

御言葉から、天に希望を置いた喜びの生き方を世界中の人々に宣べ伝え、「いつ死んでも後悔しないように、

キリストにあって今を生き抜いて行く、信仰の一本道」
を学びたいと思います。

 まず、創造主の傑作である、呼吸の仕組みについて見ていきます。呼吸は、肺を膨らませたり縮めたり

して行います。しかし、肺には筋肉がなく、実際に肺を動かしているのは横隔膜(おうかくまく)肋骨(ろっこつ)の間に

ある呼吸筋(こきゅうきん)です。この筋肉がゴムのような肺を自在に動かし、ほとんど無意識に呼吸をしているの

です。しかし、よくよく考えると、これは凄いことなのです。何故なら、無意識に呼吸ができないと、

眠ってしまった時に酸欠に気付かず、死んでしまうからです。しかし、実際には、体内の血中酸素や二酸化

炭素の濃度を自動的に測定しているセンサーがあり、睡眠中でも動脈に3箇所、延髄に1箇所で常時測定

しています。このセンサーから、血中の情報が神経を通して絶えず脳の延髄にある呼吸中枢に送られて

います。そして、呼吸中枢は、その情報を分析し、すぐさま呼吸筋に指令を送り、呼吸間隔や呼吸の深さ

などを調整しています。こうして自動化を実現しているのです。こんなシステムは偶然には出来上がりま

せん。東京の山手線でさえも、多くの人間が携わってコントロールし、事故なく運営しています。しかし、

これよりも遙かに凄い仕組みが私たちの身体の中にあるのです。この仕組みは誕生と同時に自動で働き

始め、80年間も正確にコントロールしています。これは決して人間が製作したものではありません。

では一体誰が仕組んでいるのでしょうか?自然には理性がありません。ならば、この仕組みを設計された

御方がいるはずです。その方こそ、人知をはるかに超えた創り主、「全能主、ヤハウェ」なのです。

(承)では、この地上に住んでいる私たちが、「人知をはるかに超えた創り主」を知ることが出来るので

しょうか?人間は、この地上に住んでいる限り、この地上を超えてあらゆる真理を理解することは不可能

です
。例えば、「宇宙の初めを存在させた物質は何か」と、あれこれ想像することは可能でしょう。しかし、

原因・結果から考えて行くと、「その初めの物質を存在させた原因は何か」を探るのは、科学の世界では

不可能です。何故なら、人間には宇宙の始まりの以前を見ることが出来ないからです。科学の世界は、

今日
(こんにち)
現存するものからしか、科学できないのです。ですから、宇宙を存在させた、その偉大な原因

(偉大な力)を知る方法はありません。残念ながら、科学者は、「こうであっただろー」と信じるしか

ないのです。しかし、宇宙が存在する以上、また人間が存在している以上、そこには存在させた「偉大な

何か」があったはずです。その初めは、何もなかったのならゼロです。ゼロなら、「ゼロをいくつ足しても

永遠にゼロです。」しかし、偉大な何かが、「ゼロにαを足せばαは存在します。」この事は、万物を

創造した全能主を知れば、理解出来ることです。ですから、「人知をはるかに超えた呼吸の仕組みの世界」を

理解するには、偶然には出来上がりませんから、人間の身体の偉大な仕組みを存在させた、天からの「啓示」が

必要です。その啓示を知るためには聖書という書物を通して知る事ができます。エペソ1章17節では、

この全能主を知るために「知恵と啓示の御霊を授けて下さいますように」とあります。この全能主の知恵と

啓示を戴く事によって、世界の仕組みの真理を理解し、全能主との繋がりを持つ事ができます。私達は皆、

生まれながらに「善悪を知る知識」を戴きました。しかし、私達の心の中には魔物が住んでいるため、

(ねた)
み、(うら)み、(そね)みなど、悪の意識が自然に出てきます。即ち、「善悪を知る事はできても、

その善を行う事はできない」という不自由さを抱え込んでいるの
です。というのは、私達は、私達を創って

下さった全能主の下に身を置かなければ、(いただ)いた知恵も啓示も正しく理解する事ができません。

いくら努力しても、また良い事をしたつもりでいても、それは「自分が勝手に良いと思ってやっていた

だけの事」であって、独善的なものばかりです。という事は、自分勝手な義を通していただけで、全能主

には通用しません。ですから、死んだ後どこに行くかと言えば、地獄しかないのです。地獄に行ってから、

「自分が良いと思ってやってきた事は全部無駄だった」と気付くことになるでしょう。


(転)では、全能主に通用する生き方は、どういう生き方でしょうか。それは、「私にとって、生きる事は

キリストであり、また死ぬ事は益です」(ピリピ1:21)
という生き方です。先程も申し上げたように、

聖書を通して全能主と繋がり、全能主の下に置かれた時に、初めて与えられた知恵を正しく使う事ができる

ようになります。それは、御霊が知恵を使わせて下さるようになるからです。その時から、「私にとって、

生きる事はキリスト」
になるのです。なぜなら、御霊とキリストは結びついているからです。そして、

「霊の目が光に照らされて、聖徒が受け継ぐべき全能主の御国が如何に栄光に富んだものであるか、また

全能主を信じる者にとって、全能主の偉大な力が如何に偉大なものであるか」(エペソ1:18~19)を

知るようになるのです。人間は、自分の目に見える地上の世界の中で、自分が持ち合わせている僅かな

知恵で、真理を知ろうとしますが、「知恵と啓示」は全能主が授けて下さるものです
。ですから、私達が

それを祈り求めて行くならば、全能主は教えて下さいます。そればかりか、イエス・キリストの救いが

アオリストの救いである以上、大胆に信じ続けて行けるのです。即ち、私たちの霊の目が光に照らされて、

私達にとって、キリストにあって生きて行く事が最高の生き方であり、死ぬ事も益になるのです。


(結)もし、私達が全能主とイエス様に出会わなければ、罪人の悪知恵と偽善の中で苦しんで終わりでした。

しかし、私達は聖書を通して全能主の知恵と啓示の御霊を(いただ)いて、キリストにあって生きる者とされた

のです。それだけでなく、死んだ後に栄光に富んだ全能主の御国に入ることが許されるのです。ですから、

私達にとって「生きる事はキリストであり、死ぬ事は益です」という世界があります。ならば、死ぬ事は

怖くありません
。どうか、天に望みを置いたこの喜びの生き方を、世界中の人々に宣べ伝えて行く伝道者と

なりましょう。そして、「いつ死んでも後悔しないように、キリストにあって今を生き抜いて行く、信仰の

一本道」
を通して行こうではありませんか。


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