2025年11月30日
『とことん全能主を信頼し、
全能主に懸けて行く生涯を全うし、 天での交わりを持たせて戴く者となる』
使徒の働き 24:14~15
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(起) 使徒行伝24章15節から「死んだ義人も悪人も必ず甦るという望みを、私は全能主に対して
抱いているのです」という御言葉によって、「何があっても、とことん全能主を信頼し、全能主に懸けて
行く生涯を全うし、天でイエス様と交わりを持たせて戴く者となる事」を、学んで行きたいと思います。
(起)まず、創造の御業について、免疫のしくみを見ていきます。体の中には、外敵から身を守るために
働く細胞が何種類もあり、それぞれ役割分担をしながら、実に組織的に働いています。それはまるで警察の
組織のようです。体内に細菌が侵入すると、まずはパトロール部隊である好中球やマクロファージが排除
します。それでも対応できない場合、マクロファージが細菌の抗原をもって、リンパ腺にやってきます。
そこで対応するのはT細胞です。これはまるで警察署で待機する上層部や県警のエリート捜査官のよう
です。T細胞は抗原に結合すると増殖を始め、臨戦態勢に入ります。まるで捜査本部の立ち上げのよう
です。そしてB細胞に指令を出して、抗体を造らせます。この抗体が細菌に結合すると無毒化されて、
再び好中球やマクロファージが排除できるようになるのです。最後に、この細菌の情報はメモリーT細胞に
記憶され、また同じ細菌が来ても、より迅速に、抗体を産生し、排除できるようになります。実に組織的な
働きです。この組織というものは、目的を達成するために分業して、一つの役割を達成する集団のことを
言います。これは決して無秩序な集まりではありません。警察組織が、政府の役人たちの知恵によって
創り出されたように、免疫の組織的な仕組みも、叡智を持った御方が、身体全体を守るために創り出した
ものです。そうでなければ、この組織的な分業に秩序は生まれないからです。詩篇には「あなたは私に
奇しい(人知では計り知れない)ことをなさって、恐ろしいほどです」とありますが、この組織を創って
身体の調和を保ち、生かして下さった御方こそが、人知では計り知れない叡智を持った方、すなわち、
命の創り主である「全能主、ヤハウェ」なのです。
(承)さて、このように、私達の命は全能主が私達一人一人に異なった性質を与え、ご自分の如くに創造
されました。それは、私達をご自分の側に置いて、交わりを持ちたいと考えられたからです。全能主は、
その目的で人間を創られました。それなのに、もし「自分の命は自分の物だ」と考え、自分の損得で
思い通りにならないと腹を立てて文句を言い、全能主に逆らって生きて行くなら、この肉体が死んだ後、
全能主がその者の霊魂を火と硫黄の燃えるゲヘナの中に投げ込み、処分されてしまうのです。そればかりか、
私達の命は死んで終わりではありません。なぜなら、全能主が創って下さった命は、霊魂だからです。
私達の肉体は、土の塵で創られているので、死んだら塵に帰ります。しかし、霊魂は燃やされても物質では
ないので、たとえ死んでも無くなりません。霊は永遠のものです。ですから、どんな人間も、死んで終わり
ではなく、死んだ後に必ず甦る事が定まっています。その事について、聖書は「死んだ義人も悪人も必ず
甦るという望みを、私は全能主に対して抱いているのです」(使徒24:15)とあります。
(転)では、「甦ることに望みを持てる人」とは、一体どういう人でしょうか。それは、全能主から
愛されている人です。先程も申し上げたように、全能主が人間を創られた意義は、ご自分の側に置いて
交わりを持てる相手なのです。その全能主の真の意図を受け止め、地上において、とことん全能主を
信頼して歩んで行ったなら、死んで甦った後、天に引き上げられ、全能主の許で生きる幸いを味わう
ことでしょう。その時には、新しい御霊の体を貰って、永遠に全能主との交わりの中に置かれるのです。
それこそが、私達の望みです。しかし、地上において、全能主の御心に従って歩まず、「できない」「嫌だ」
という自分の我の中で生きて行った人は、甦った時に、「嫌だ」「出来ない」と拒否した生き方の報いを、
全部、自分が被る事になります。即ち、燃える火の中で全能主を呪い、苦しみ悶えながら永遠に
生きて行くのです。こんなところに望みがある訳がありません。ですから、今、一時の命の価値を、
自分勝手な生き方に望みを置いて行くなら、イエス・キリストによる永遠の望みを失い、ただ一時の損得の
ために、大きな間違いを犯す事になるのです。そのような自分勝手な感情で永遠の幸いを失うこと程、
馬鹿らしい事はありません。
(結)私達にとって一番大切な事は、私達を創られたお方の目的に沿って生きて行く事です。確かに、
この世で生きていれば、嫌気をさして、「もうできない」と思う事もありますが、心の中には、「全能主
しかない」という変わらない思いがあります。ですから、いつもそこに戻って、主にあって生きて行くべき
です。即ち、「自分の中に望みはないからこそ、全能主に信頼し、いつ死んでも後悔しないように、今を信仰に
よって生き抜く」という事です。私達は、毎日毎日、その時その時を、信仰によって生き抜くのです。
どうか、何があっても、とことん全能主を信頼し、全能主に懸けて行く生涯を全うして、天で永遠の交わり
を持たせて戴く者となりましょう。
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