2025年11月9日
『全能の御方がいらっしゃるという前提の上で考え、 遜って主の御心を受け止めて行く事』
使徒の働き10:9~16
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(起) 使徒行伝10章9~16節のペテロが見た幻の記事から、「全能の御方がいらっしゃる」という
前提の上で考え、「遜って主の御心を受け留めて行く事」を学んで行きたいと思います。
まず、天地を創造された、全能主なるヤハウェの御業を「潮汐作用」から見て行きます。
潮干狩りは、浜辺の潮が引いて一気に広がった浅瀬で、アサリやハマグリを捕って楽しみます。この潮の
満ち引きは、「潮汐作用」と言います。それは、ただ貝を捕るために起きている訳ではありません。海の水が
動くことで、水は淀むこと無く攪拌され、きれいに保たれているのです。海水を動かす作用は、
他にもあります。地球の自転で対流を起こし、海は激しく動きます。ことに潮汐作用は、これらの働きの
届かない、深海さえも攪拌して行きます。このように、海全体を動かしている巨大な力の源は何で
しょうか?それは、地球と月・太陽の相対的な位置関係によって引き起こされるものです。月と地球との
距離は、約38万kmですが、これほど離れたところから、月は地球の生き物たちを守るための働きかけを
しており、しかも、宇宙から働きかけるので、地球全体に影響を与えます。もし互いの距離間が近かったり、
遠かったりすれば、潮汐力がランダムになり、海洋生物の産卵時期に重大な影響を及ぼします。しかし、
実際はすべてが規則的であり、ランダムな出来事ではありません。ここには、すべて法則されたファイン
チューニングによって、全能の力と叡智の存在していることを垣間見るのです。それ故に、サムシング
・グレイトといわれる設計者がおられなければ、全てが偶然となり、秩序は生まれません。この秩序を
与えているサムシング・グレイトこそ、聖書はハッキリと「全能主、ヤハウェである」と証言しているの
です。
(承)さて、この全能主は天におられますので、地上の人間の発想ではなく、天の発想の中で真理を語られ
ます。そのため、私達人間にとっては、語られている内容を理解する事が難しい場合も多々あります。今回
お読みしたペテロの幻の記事もそうです。ペテロは、夢の中で「地上のあらゆる種類の四つ足の動物、
野の獣、這う物、空の鳥などが入った敷布のような入れ物が、天から降りて来るのを見て、『ほふって食べな
さい』という声を聞き、『それはできません、私は今まで、汚れた物や清くない物を食べた事がありません』
と断ると、『全能主が清めた物を、汚れているなどと言ってはならない』という幻を見ました。」しかし
ながら、元々、律法の中で「汚れた動物を食べてはならない」と命じられたのは全能主です。その全能主の
お考えに反して「食べなさい」と言われているのですから、地上的な人間の発想から考えると、「悪魔が自分を
騙しに来たのだ。自分は呪われているに違いない」と思ってしまうのです。そこで、私たちは、「今まで
正しいと言われてきた事に反する事を命じられた場合」、どうしたら良いのでしょうか。ただ、思い悩み、
私たちの不信仰の所為だと諦めてはいけません。その霊的な判断はどうして行くべきでしょうか。
(転)そこで、この場合私たちも、初めはペテロの時と同じように「思い巡らす」ことでしょう。それは、
全能主の権威を完全に否定することはできないからです。クリスチャンであれば、当然な事として、常識
では考えられないような事が起ったとしても、全能の御方がいらっしゃるなら、それは全能主の主権の中で
起こって来る可能性もあると考えるからです。ですから、それを一概に否定したら、私達が全能主の上に
立つことになります。そこで、むしろ遜り「思い巡らすような事が起こっても、不思議ではないな」と、
全能主に対して心を開いた上で、その出来事を確かめつつ、確認して行くべきです。そうしなければ、
「これはおかしい」と思って、自分自身の感情と感覚で、善し悪しを決めてしまう事になり、全能主を否定
する事にも繋がって行きます。ですから、自分自身の経験や教えられた事だけを、私達の判断材料にしては
いけません。私達は、この地上での常識的な物の考え方から、全くかけ離れた全能主の世界を知ったのです
から、その二面性の中で考えて行くべきです。すると、だんだん真理が見えてくるのです。ペテロの場合、
思い巡らしている内に、異邦人の訪問客が来て言いました。「百人隊長コルネリオという私達の主人は、
聖なる御使いからペテロ様をお招きして、お話を伺うようにと告げられました」と言うのです。それを聞いた
ペテロは、ユダヤ人が異邦人を訪問して交わる事は律法で禁じられていたのですが、自分が見た幻と同じ事が
起こっていることを感じ、また御霊が「彼らと一緒に行きなさい」と言われたので、出掛ける事にしました。
そして、コルネリオに会って直接話を聞いた時、「彼も御使いを通して、全能主の導きを受けていた事」が
分かり、一連の出来事が、「異邦人伝道の門を開くという、全能主のお考えであった事」を知ったのです。
私達は、このように遜って、全能主の言葉をきちんと最後まで確認する必要があります。これが、私達
クリスチャンの正しい霊的な判断の仕方です。
(結)私達は、目に見えない全能主を信じたのですから、地上で起こる不思議な出来事にも遭遇します。
それに対して、遜って見て行く必要があります。ですから、傲慢にも、自分の感情と感覚で、善し悪しを
決めてしまう事は慎んで行くべきです。また、単なる神秘的な事柄として、受け留めて行けば良いという
ものでもありません。全能の御方がいらっしゃるという前提の上で考えたなら、全能主の御心を、「御言葉と
御霊の声と摂理」を持って、受け留めて行くのです。ペテロの場合、聖書の御言葉にも記されていること
でした。「わたしの名で呼ばれる全ての異邦人も、主を尋ね求めるようになる」(申命記28:10)。
即ち、きちんと二面性を考えた上で、主に信頼して行く中で、遜った意志を以て考えていくのです。どうか、
「全能の御方がいらっしゃるという前提の上で考え、遜って主の御心を受け留めて行く」という心を持って、
主の御心を受け留め、従って行こうではありませんか。
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