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2023年5月14日


自分の肉を徹底的に否定し、主に信頼していく生き方』

第Ⅱテモテへの手紙 2:11~13


(起) パウロがテモテに伝えた当時の信仰告白に、「もし私たちが、彼と共に死んだのなら、

また彼と
共に生きるのです」という御言葉に目を留めて、「自分の肉を徹底的に否定し、主に信頼して

生きて行く。そうすれば、主が成し遂げて下さる」
という生き方を御霊によって決断し、「最後の

最後まで主に信頼して行く
こと」を学んで行きたいと思います。

(承)さて、第Ⅱテモテ2:11を見ますと、「もし私たちが彼と共に死んだなら」という表現が

ありますが、
私たちはキリストを信じたからといって、現実的には死んでいません。では、「キリスト

と共に死ぬ」
とは一体どういう意味なのでしょうか。それは、自分というものが死ぬのですから、

肉から離れるということです
言い替えると「死んだ肉を、なお現在持っていたとしても、

その肉は全否定されていくものだ」
ということです。
そして、「キリストと共に生きる」とは、

自分の肉の考えから離れ、「全能主の御心の中で生きて行く」という意味です。即ち、全面的に自己

否定し、自分に頼らず、自分に根拠を置かない生き方をして行くということです。
そんな生き方が

果たして本当にできるのかということを、パウロ自身がロマ書で証ししています。6章6節を


見ますと「古い人は、キリストと共に十字架につけられました。罪の体が滅ぼされて、もはや

私たちを罪の
奴隷として仕えさせない」とあります。ところが、7章に入ると、罪の奴隷と

なっている自分自身を嘆いているのです。
古い人は十字架につけられ、罪の体が滅ぼされた

(はず)
なのに、古い人が出てきて文句を言ったり、嘆いたりしていては、おかしな話です。
しかし

ながら、これが現実なのです。要するに、私たちの
信仰の教理は6章にありますが、現実は7章

あるということです。「そこで、私たちがどのように信じて生きて行くべきか」
という解決策が、

8章
に記されているのです。8章4節を見ると、「肉の性質に従って歩まず、御霊によって歩む」と


あります。「肉の性質に従って歩まず」とは、「肉は無力だから、自分の肉には頼らず、自分の肉を

完全否定
して行く」ということです。次に、「御霊によって歩む」とは、「主に信頼せよ。主が

成し遂げて下さるという信仰で
生きて行く」ということです。これが、パウロが語っている8章の

解決策です。すなわち、もう罪深い肉に頼っても惨めになるだけですから、「主に信頼せよ。主が成し

遂げて下さる」(詩篇37:5)という
信仰の一本道によって歩み出すようにとパウロは解決策を

語っているのです。


(転)では、その解決策で歩み出すために、私たちは、どのような決断をして行けば良いので

しょうか。一つ
言えることは、肉による決断は絶対に裏切るということです。即ち、「自分自身の

頭の中で、こうしよう、ああ
しようと考えて、やっぱりこれしかないと決めたこと」は、自分自身の

気持ちが変わる
と、どこかに飛んで行って
しまいます。結局は「自分の都合のいいように、自分の

できることしかやろうとしない」ということを、子供の
頃からずっと経験してきました。だから、

こういう肉の決断は通用しない
ということをまず理解して下さい。ではどういう決断が通用する

のかと申しますと
御霊による決断です。イエス・キリストを信じると決めた時のことを
思い出して

頂きたいのですが、最初は、「本当に自分は信じ続けて行けるのか」という不安と、「自分には


救いが必要だ」という、せめぎ合いの中で悩んだ筈です。でも、最終的に信じると決めた時には、御霊の

働きに
よって「これしかない。信じるしかない」という気持ちが与えられて、信じることが

できたのでしょう
。それが、「御霊によって決断させられた」ということです。その決断は、自分

自身の意思で決めたものではありません。
もし、不安の中で、自分の肉の決断で信じると決めたもの

であるなら、自分の感情によって、また、ひっくり返して
しまうのです
。しかし、主にあって御霊に

よってした決断なら
、私たちは信じることに臆病になることはありません
私たちはこの地上に生きて

いる以上、悪魔の影響力を受け続けています。しかし、いくら悪魔から揺さぶられ
ようとも、

私たちが主にあって決断したものならなくなりません。そこで、クリスチャンが「全能主の絶対的な

力が
、どんなに偉大なものであるか」を味わいたいと願うなら、その秘訣は信じ続けて行くこと

だけ
が大前提です。
だから、主に信頼していけばいいのです。その為に私たちは、臆病の霊では

なく、主を見上げ行く霊的な
根性を持って悪魔と戦うのです。

(結)こういうわけで、決断は自分の肉でやっても絶対にダメです。メッセージを聞いて、そのまま

肉で「そうして行こう」と思っても、すぐに消え去っていきます。しかし、そうではなく、メッセージ

を聞いて、御霊によって決断させられていくなら、消え去ることはありません。
それは、聖書の

御言葉に裏打ちされた、御霊の導きによって、キリストにあって決断して行くことだからです。

頭では「本当に信じてやって行けるかな」と、いろいろ考えますが、最後には御霊の後押しです。

そういう方法で決断したら、それはひっくり返ることはありません
どうか、主の前に聖書を

読んで、「自分の肉を徹底的に否定し主に信頼して生きて行く最後は主が成し
遂げて下さるのを

待つ。
」この御霊による決断をしましょう。もし自分の肉を見るなら、やっぱりダメだと騙されるだけ

です。ならば、あえて自分の肉を無視することです。何故でしょうか。それは、御言葉に「私たち

は、肉に
あって生きていても、肉の性質に従って生きる義務を負っていない」からです。ですから、

「もし私たちが、彼と共に死んだのなら、また彼と共に生きるのです。」
この生き方は、「自分の肉を

徹底的に否定し、主に信頼して
生きて行く生き方」だったからです。だから、駄目な自分を見て、

信仰をひっくり返してはいけません。アオ
リストの救いがあるのですから、全能主のみに信頼して

生きて行くことを始め出しましょう。


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