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2022年9月25日

『「ツロの女」、「パリサイ人とサドカイ人のパン種」について

マタイの福音書 15:21~28、16:5~12


(起)ツロの女(カナン人)と、「パリサイ人とサドカイ人のパン種」について考え、クリスチャンが

自分の内側に隠し持っている罪の根をはっきりと認め、完全にお手上げした中で、全能主の前に下手に

出て、へりくだる心を持って行くことを学んで行きたいと思います。


(承) さて、イエス様と弟子たちがツロとシドンの地方へ行かれると、一人のカナン人の女が、

「主よ!私を憐れんで下さい。娘が悪霊に取り憑かれて苦しんでいます」と叫んで近付(ちかづ)いて

来ました。ところが、当時のユダヤ人社会では、カナン人はユダヤ人から嫌われており、交わりを持ち

ませんでした。ですから、イエス様も彼女の願いを無視され、「わたしは、イスラエルの家の失われた

羊以外の者には遣わされていません」と、はっきりと拒否されたのです。ところが、彼女は、「主よ。

どうかお助け下さい」
と願い続けて、(なお)すがりました。すると、イエス様は、「子どもたちの

パンを取って、小犬に投げてやるのはよくないことです」
と、厳しい言葉で退けられました。普通なら、

ここまでつっけんどんに扱われた場合、「自分はイエス様から嫌われているし、初めから無理なお願い

だったのだ」と思い、へそを曲げて引き下がるのが一般的だと思います。ところが、これだけ言われ

ても、彼女は腐らずに、かえってへりくだり、イエス様に対して「主よ、お言葉どおりです」と答え、

いくら自分が否定され、無視されたとしても、それを素直に受け留め、なお心を閉じることをしません

でした。
そして、「でも小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずは頂きます」と願ったのです。もし、

私たちであれば、言われた言葉に反発したくなるところです。しかし、彼女はその気持ちから意識的に

離れ、下手に出て心を開いた
のです。この「頂きます」という言葉は、最後まで下手に出て求めて

いる表現
であり、その彼女の言葉に、主は敏感に反応し「あなたの信じ仰ぐ心は見上げたものです」

受け留められました。なんと感動的な出来事なのでしょう。この女の姿勢は、「すべての信仰者の持つ

べき心であり、下手に出て、諦めずに求めていく心こそ、全能主が願っておられるもので、全世界の

人間が全能主の前に表わさなければならない心」
であったのです。


(転)では、このツロの女と正反対の心を持っていた者は誰でしょうか。それがサドカイ人とパリサイ人

です。彼らは、当たり前のように、「あなたが天の父から来た者なら、天からのしるしを見せてもらい

たい」と、イエス様に要求しました。しかし、イエス様は、そんな彼らをはっきりと断罪して、「パリサイ

人やサドカイ人たちのパン種に注意しなさい」と弟子達に忠告されました。なぜなら、彼らは、主に

対してへりくだって下手に出る心を全く持っておらず、主を敬う心がなかったからです。
これは非常に

傲慢な態度です。その不遜な心は、いずれ大きく膨らみ、人を巻き込んで行きます。だから、「彼らの

パン種に注意しなさい」
と言われたのです。人間は皆、「自分が褒められたい」、「自分が認められ

たい」、「自分が得したい」という意識を生まれながらに持っています。そして、兄弟に対しても、

親に対しても、同僚に対しても、対抗心をむき出しにして、対等に渡り合おうとします。しかし、

それを持ち続けていたら、その傲慢な思いが、自分の心を腐らせて脱落して行くのです。ですから、

早い内にその我を砕かないと、いずれパン種が膨らみ、勝手にへそを曲げたり、腐ったりして、傲慢に

なり取り返しのつかないことになるのです。それを、この社会に出て、表わし続けていたら、いずれ

全能主に対してもそれを普通に出してしまいます。私たちにとって、それが一番怖い落とし穴です。

だから、私たちが主を信じ続けて行けるかどうかは、自分自身の我を砕くかどうかの戦いであるのです。


このようにして、自分自身の我を砕き、下手に出て、へりくだって行くことが、全能主を信じ続けて

行く上で、大事な信仰の秘訣だからです。


(結)この大事な信仰の秘訣を身に付けるために、まず全能主は、私たちにイエス様からの一方的な

アガペーの愛
と、イエス様のアオリストの救いを下さいました。その驚くべき恵みに感動した

ならば、私たちの人生は、「自分のために生きるのではなく、また世のために生きるのでもなく、

このアオリストの救いを下さったイエス様に対して生きて行く」という信仰が大切になるのではない

でしょうか?そして、この信仰を身に付けた時に傲慢の心は砕かれていきます。そして、イエス様

こそ「私たちが従うべき唯一の御方だ」ということが心に入って来て、ツロの女のようにへり

くだり、たとえ自分にとって「嫌なこと」、「都合の悪いこと」、「損をすること」を言われても、

ただへりくだって心を開き、下手に出て受け留めて行くようになるのです。そして、このような純な

心を表わして行くならば、全能主からの恵みが、増していく事でしょう。そのためには、まず、自分

自身の内側に隠し持っている罪の根を明らかに認めて行く
必要があります。人間の罪深さは、いくら

嫌おうが、それは自分自身の中にあって、決して消えるものではなく、隠しきれない罪です。その

罪をカナンの女のように、純な心で認め、完全にお手上げするなら、この女のように、下手に出て、

へりくだる心が生まれて来るでしょう。
この真実な悔い改めを、なかなかしようとしないのが、

魔物を抱えた罪人の姿です。
しかし、この魔物の心は砕くべきものです。それを砕いた時に、初めて

イエス様の純なアガペーの愛と、アオリストの救いが分かってきます。どうか、勇気を持って真の

悔い改めの中に入りましょう。そして、へりくだりと、下手に出る心から信仰を始め出そうでは

ありませんか。



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