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2022年6月12日

あなたの道を主に委ね、主を信頼し、
主が成し遂げてくださるという信仰のあり方

ヘブル人への手紙3:12~4:11


(起)「今日(きょう)、御声を聞いたなら、あなた方の心を頑なにしてはならない」(4:7)という

御言葉から、「自分の思い通りには決して出来ない」ことを認め、「あなたの道を主に委ね、主を

信頼し、主が
成し遂げて下さる」という信仰のあり方を、学んで行きたいと思います。


(承)さて、この地上では、生まれ持った能力の差で、世間からどう評価されて行くのかが決まって

しまう
場合があります。例えば、子供の頃の学業の成績は、そのほとんどが、その人の持って

生まれた能力の
差で決まってきます。生まれながらの能力は、決して自分の努力で手に入れた

ものではありません。その能力は、個人の努力と言うより、生まれた時に既に備わっていた特質の

問題です。これだけは、自分の思うようには成りません。学業の成績は、子供の頃に備わっていた

記憶能力があれば、特別に努力しなくても、ある
程度の成績は上がって行きます。しかし、大人に

なったら、ただの人ということもよくある話です。それは、
一面の能力に過ぎなく、幼い頃は、

それによって成績も良かっただけの事です。だから、決して誇ることの
出来る事柄ではありません。

しかし、逆に言うと、幼い頃には成績が悪くても、考えて応用する能力は別物ですから、大人に

なって努力すれば、その能力が発揮されて逆転して行く場合もあります。という
ことは、ただ、

生まれた時に備わっていた能力だけでは
、たとえクラスで1番だったとしても、学年が上がる
毎に、

地上の競争社会では負け組の中に入ってしまうのです。しかし、たとえ勝ち組の中にいたと

しても、1番になる人は一人だけです。ということは、この世の中では、勝つ者よりも、負ける

人の方が多いということです。それは当然の如く、1番は一人しかいないからです。それ以外の

人は、全員負け組ということ
です。即ち、能力だけは、自分の思うようには成りません。自ずと、

そこには人それぞれに限界があるからです。すると、私たちは皆、「いくら頑張っても勝てない」

という自分の能力のなさに意気消沈し、落ち込みます。
こういう意味で、人間にはどうあがいても

限界を越えられないものがあり、「自分の思い通りに生きる
ことは出来ない」という現実があり

ます。しかし、そのように、どうにもならない中で、こんな者をも救って下さった救い主が

おられることを、皆さんに思い起してもらいたいのです
。それは、私たちは皆「このお方によって

救ってもらわなければ、自分ではどうにもなりませんでした」
という事を思い知っている(はず)

だからです。そこで、私たちが、自分の力ではどうにもならないことを思い知らされて、イエス様

を信じたのであれば、
その信じた後は、自分に頼るのでは無く、イエス様を頼って生きて行くべき

です。私たちが初めに信じた心は、私たちにとって何物にも代えがたい純粋な心であり、嘘のない

ものでした。ですから、全能
主の前に、この信じる心を失わなければ、たとえこの地上で「自分の思い

通りにならなくても」、天で大きな
報いがあります。その救いを私たちは今持っているのです。

だから、私たちは何があってもこの救いを
ないがしろにしてはいけません


(転)
そこで、今日お読みした中には「あなた方の心を頑なにしてはならない」とありますので、

自分の
思い通りにならなくても、心を頑なにしてはならないのです。これは、詩篇にある、ダビデ

の言葉です。
即ち、昔、モーセを通してエジプトから脱出した者たちが、「荒野で心を頑なにして

しまった」ように、
あなた方も同じように「心を頑なにしてはならない」と言われているのです。

では、どういう時に、私たちは心を頑なにするのでしょうか。
それは、自分の思い通りにならない

時です。
私たちは、自分の思い通りに
ならないと、信じた時の自分の純粋な心も、全部否定して

しまう恐ろしい魔物の心を持っています。
しかし先程申し上げたように、人間は決して自分の

思い通りには生きられません。それは、たとえ、生まれた
ときから記憶能力に()けていたと

しても、人間は生まれたときから、アダムの罪を背負い、罪人のまま、
初めから欠陥商品として

生まれて来たからです。ですから、たとえ、自分の思い通りにしたとしても、
それは魔物の心を

反映するだけで、決して自分を幸せにすることでは無いのです。私たちは、元々、
欠陥商品の

罪人ですから、能力の限界もあるし、思い通りにならないのは当然のことです。ならば、
自分の

思い通りに生きて行くなんてことは(あきら)めて、お手上げすべきです。そして、自分に頼って行く

気持ちを見切って、全能主だけに心を向けて行くべきです。
即ち、何をするにも、自分で判断するのでは

なく、全能主に聞いて判断して行くべきなのです。それは、全能主に祈り聖書を読み御霊様の

声を
聞くことから始まります。そして、全能主の御心を確認し確信してその道に歩み出すのです。

あとは全能
主の御心を知って、その道に一生懸命に励み、お任せして行けば、全能主が成し遂げて

下さいます。
それを最後まで信じて(おこな)って行くのが、クリスチャンの地上の生き方です。


(結)
こういうわけですから、今日、全能主の御声を聞いたなら、その日の内に、私たちは心を変える

べき
です。それは、自分の思い通りにしたいという考えを放棄し、明け渡すことです。そこから

信仰の一歩が
始まります。そして、自分の道を全能主に委ね、全能主を信頼して行くのです。最後

には、全能主が
成し遂げて下さいます。これが聖書に書いてあることです。私たちは、「聖書に

書いてあることは今日(こんにち)起こる」と信じています。なぜなら、全能主は「信じる者に働く全能の

力が、どんなに偉大であるかを示して
下さる御方」だからです。ですから、この聖書に書いてある

ことを心に結びつけて、その通りの生き方を本気で始め出そうではありませんか。


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