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                                                                                                                              2022年4月3日


魔物を抱えた自分を否定して

第Ⅰテモテ6:11~16

(起) 魔物を抱えた自分を丸事(まるごと)否定して、魔物と縁を切って、どこまでも全能主を信じ続けて行く

信仰
」を最後まで表わして行くことを学んで行きたいと思います。



(承)
さて、黙示録には、「この後、様々な災いが起こってきて、死にたくても死ねないような

苦しみの中に
置かれて行く」ということが書いてあります。その部分だけを読んで行くと、「こんな恐ろ

しい時代の中で、自分は
とてもやっていけない」という気持ちが先立って、「黙示録は怖いから読ま

ない」と言うクリスチャンもたくさん
います。しかし、黙示録こそ、クリスチャンにとって一番

大切な書なのです。なぜなら、黙示録は、信じた後の
大切な信仰の在り方について記されており、

「私は信じました」と言うだけでは、「天に行けるわけではない」
ということが、はっきりと記さ

れているからです。
例えば、7つの教会に宛てられた手紙の中で、「生ぬるい信仰なら吐き出され

てしまう」とか、「考えを入れ替えなければ、あなたの燭台を取り除ける」と記されています。


燭台とは教会を指しており、「教会を取り除ける」と言われている訳です。となると、「私はイエス様

を信じ、
教会に行っていました」と言うだけでは、「私たちの永遠を保証する事にはならない」と

いうことです。だから、私たちは、最後の最後まで全能主を信じ続けて行く、はっきりとした信仰を

持って行かなければなりません。


(転)ところが、ほとんどの場合、「イエス様を信じれば地獄に行かなくても済む」という御利益

的な意識で
信じる人が多く、自分の思い通りにならないと、信仰から離れる人もいます。ですから、

「救いは恵みだ、
愛だ」と、御利益ばかりに目を向けて行くような信仰の在り方では、最後の最後まで

全能主を信じ続けて行くことは難しいでしょう
。もちろん、御子を信じる者は永遠の命を持つ」

いう御言葉は真実ですが、その前に
きちんと理解しておかなければならないことがあるのです。

それは、「私たちが生まれた時から、心の底に魔物を
抱えていた罪人であり、信じた後には、この

魔物の働きが活発になり、信仰を(くつがえ)させようと日夜働いて来るからです。」(もちろん魔物は、

信じる前にも、日常的に働いて来ており、私たちを苦しめてきました。)ですから、クリスチ
ャンは、

この魔物の訴え掛けに、騙されて不信仰になってはいけないのです。
一般的に、人はこの魔物の声を自分

の声と勘違いさせられています。又、魔物は「褒められることは善ですが、怒られることは悪だ」

と教え込んで来ました。ですから、「自分は怒られなければいい」と思って、罪を自覚できない

ようなクリスチャンにして、
騙してきました。しかし、それはあくまでも地上的なレベルで、罪を

見させられているからです。しかし、
聖書が語っている罪というのは、「全能主に対して、犯してきた

罪過」
です。ですから、全能主から見た罪人とは
「私たち自身が罪人だと思おうと、思うまいと、

『現実は、アダムの罪の性質を背負って生まれて来た者』で、
オギャーと誕生した時から、心の底に

魔物を抱えていた罪人である」
ということです。ですから、魔物に(そそのか)れて、生まれながらに多くの罪

を犯してきた罪人であった、というのが実態です
そうであるなら、全能主が忌み嫌われる罪を

持っている人間は、文句なしに罪人として裁かれます。すると、今まで自分が幾ら「頑張って
、ああし

ました。こうしました」と言って、一生懸命()って来たことでも、全能主の目から見れば、

始めから罪人がしたことで、「罪人が何を()ったとしても罪人がしたことだ」と言われてしまい

ます。ですから、どれも、これも、
自分が勝手に満足していただけで、全能主の前では罪人でしかなかった

のです。
それが分かったら、
「私には全能主が義と認められる事は、一つもありません。また、これ

からも義と認められる自信はありません。私は正直言って、全能主の前に丸事罪人で、お手上げ

です
」と認めて、初めて私たちの心は、自分から全能主に向けられ、全能主に頼って行く道だけが、

自分の生きる道だと分かってくるのです。そして、この心を持ったときに、
これが「本当の信じる

信仰だ」と分かってきます。これまで私たちには、この信じる心がなかったのです。
ですから、

私たちはいくら「信じています」と言っても、自分の「自我」の影響を受けて、「生ぬるい信仰」と

なり、全能主
だけを本気で信じていく信仰に至らなかったのです
しかし、ここで私たちが、この

惨めな「自分」から離れ、
全能主に心を向けようとすれば、「主に信頼せよ、主が成し遂げて下さる」と

いう言葉が、身に()みてくるのです
この真理の世界にドボンと入ったら、たとえ自分が否定され

たり、怒られたりしても、それに反発しようとする
気持ちは抑えられます。なぜなら、丸事(まるごと)自分は

罪人だと見切ってしまったからです。
ところが、自分を見切っていなければ、「魔物の声」の故に、

未信者時代と同じ反抗心が出て来て、自分が「嫌だ」と思っていることを命
じられると、「それなら、

もういい」と反抗的になり、心の奥にいた魔物が頭をもたげ、反逆心が爆発して、何
もかも否定し、

魔物の心を止めようとする理性さえ切ってしまうのです。ですから、クリスチャンでも、罪人の自分

を見切っていないと、未信者と同じ世界に入ることになります。この思い通りに生きて行こうとする

思いは、
罪の結果、人間が自分の権利としてアダムから受け継いだものです。魔物は人間の「我」の内に

潜み、全能主に
さえ背を向けさせて、全てを投げ出させる「恐ろしい呪い」の声なのです。しかし、

私たちは、生まれながらに、この魔物を抱え込んでいる者ですが、その影響力から抜け出す事も

出来るのです。
それは、「私たちがこの魔物の声を聞きたくない」とはっきり否定すれば良いの

です
。魔物の声は、私たちが天に行くまでは切り離すことは出来ませんが、その声を決して口に

出したくないと悟ったなら、その影響はなくなります。
その影響から
離れるには、自分が罪人だと

いうことを完全に見切ればいいのです。
そうすれば、全能主だけに心が向かいます。そして、魔物の声

はコントロールされていきます。この魔物の声はなくなりませんが、たとえ、魔物が存在し続けて

も、それは、私たちが傲慢にならない為のストッパーの役目になりますから、これも全能主の
深い

お考えなのです。



(結)このように、現実問題として、人間の中で「この魔物の声から影響を受けない人は、一人も

いません。」しかし、私たちには、その影響力から脱出する方法があります。それは、ただ罪人の

自分を丸事否定して、
降参し、自分を見切れば、魔物の声から離れることができるということです。

なぜなら、罪人の自分を見切った人は、当然自分の考えに頼りませんから、自分の中から聞こえてくる

魔物の声も無視し、全能主の考えの方に心を寄せようとするからです。
私たちは、自分の力でなんとか

魔物に勝とうとしますが、それは無理です。勝つ秘訣は、自分でお手上げし、全能主が用意して下さった

「主に信頼せよ、主が成し遂げて下さる」という世界に
、心が向けられればいいのです。即ち、これが

信仰の本当の始まりです。今までの信仰は、ここへ向けられる為の全能主の取り扱いであったのです。

今、私たちは本気で、全能主に信頼して行く道が見えてきました。
どうか、全能主に、無条件降伏

して、お手上げし
魔物と縁を切って「自分がするのではなく、主が成し遂げて下さる」道に歩み出し

ましょう
。そして、この全能主を信じ続けて行く信仰を、最後まで(まっと)うしようではありませんか。

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