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2021年5月9日

キリストの贖いの故に、罪が赦された者として

マルコの福音書15:37~41

(起)マルコ15章40節にあるように、ゴルゴタの丘の十字架の前には、数人の女たちのみで、

肝心な弟子たちは、そこに居なかったという事実から、「私たちも卑怯な罪人ですが、キリストの

贖いの故に罪が赦された者として御国に入れて頂くことをひたすら願い、
最後の集大成の為
使って

頂くこと」
を学んで行きたいと思います。


(承)さて、ここには、イエス様の十字架の目前にいた女たちの名が出てきますが、ここに主の

弟子たちの名が書いてないというのは、何とも悲しい現実です。弟子たちはイエス様の一番近くに

いて、イエス様の話を
一番たくさん聞いて、イエス様に一番愛されていた者たちです。そして、

彼ら自身も「たとえ、あなたと共に
死ぬ事があったとしても、私はあなたを知らないなどとは決し

て申しません」と宣言していた者たちです。
しかし、その弟子たちがここにいないのです。

彼らは、イエス様が捕えられる時、つい自分の身を守り、イエス様を一人残して逃げ出してしまい

ました。即ち、彼らは皆イエス様を裏切って「転んだ」人たちです。ところが、イエス様はその

転んだ弟子たちに対して、「お前たちは、わたしを裏切って逃げたから地獄だ」とは言われません

でした。むしろ、この後イエス様は彼らに現れ、「全世界に出て行って福音を宣べ伝えなさい」と

用いて
おられるのです。そして働きを終えた彼らは、今天にいるのです。だから、ここで覚えて頂きたい

事は、「正しい道
を完璧に歩んだ者たちだけが、全能主の御国に入れて頂ける」というのではない

ということです
。全能主はご自分の御国に誰を入れようかと考えた時に、「私は主のために働き、

たくさんのお土産を持ってきました」と
威張るような者を御国に入れる事はなさいません。何故なら、

そのような傲慢な者の中から、ルシファーのような
反逆者が出て来るからです。でも、主を置き去り

にした弟子たちのように、自分の裏切りの罪に心を痛め、
激しく泣いて悔いた者、また踏み絵を

踏んで転んでしまい、後悔しつつ、悔いて悔いて気落ちしている者たちは全能主の前に顔を上げる

ことは出来ませんが、それでも、そういう「砕かれた心を持っている者たち」の前にイエス様が

現れて、「あなた方のために、十字架の贖いをしたのですよ」と言って、「顔を上げなさい」と

言って下さるのです。
なぜなら、「人間は罪を悔いて砕かれた心さえあれば、それでいい」という

のが全能主のお考えであるからです
。それは、顔を上げられない罪人のために、イエス様の贖いが

あるからです。



(転)しかし、この事を理解しようとする人は、今までの考えを180度変えなければなりません。

何故なら、
人間は罪人なのに、「イエス様の証のために、正しい生き方を目指して生きてきました」

と、「義人ぶった生き
方が正しいと思って、その正しさをイエス様に認めて貰おうとする」間違った

考え方に立っているからです。
この考えは、「罪人でも正しく生きて行ける」という性善説の考えに

立っている生き方です。この性善説は、「人間の本姓は善である」という孟子(もうし)の説です。この世の

中の教育や政治は、基本的に性善説が主流で、 「正しい心を持っているから、誤魔化しはしない」

という前提で社会が動いています。だから、その性善説の
中で生きて来た私たちは、「たとえ罪人

であっても、自分は正しいものを目指して生きているから、自分は
正しい」と思って生きています。

そういう人は、自分は罪人でも自分は悪くないと思う事が、正しいことで有る
かのように錯覚し、

いつも自分を守ろうとする気持ちが働き、自分を誤魔化してでも、認めて貰おうとする
生き方をして

行くのです。ところが、「聖書はどう言っているか」と申しますと、聖書は逆に、性悪説であり、


「人間は生まれながらに罪人です」という考え方です。
それは、アダムの罪を受け継いだ子孫だから

です。人間は生まれながらに、アダムの罪の性質を受け継ぎ、「義人はいない。一人もいない」と

言われている者
ですから、完全な性悪説です。現実に、私たちは、心の中には魔物を抱えており、

生まれながらに罪を犯し続けてきた者です。ですから、全能主に認めてもらえるような人間は一人

もいないのです。だから、全能主はイエス様を身代わりに立てて、人間の罪を贖わなければならな

かったのです。これが私たちの姿です。ですから、私たちはこの事実を認め、180度転換して

性悪説にはっきりと立たなければなりません。
それは、罪深い自分を正直に認め、罪を犯し続けて

来た者として、へりくだり、自分自身の過ちを(なげ)
いて、悔いて悔いて生きて行って丁度なの

です
もし、私たちがこの現実を認めて患難時代に入って行くならば、罪人の自分を
守ろうとせず

「どんな拷問を受けたとしても、私たちの望みはイエス様の贖いだけです」と告白できます。
です

から、
イエス様がご自分の命と引き換えにして与えて下さった罪の贖いは、天の御国に入れて頂く

希望ですから、どこまでも信じ続け、その信じる信仰を666に突きつけて、「勝利を得る者」とし


て、死に至るまで聖徒の忍耐を働かして行くのです。


  また、全能主は、これまでに色々な真理を私たちに解き明かして下さいました。例えば、患難前

携挙説など、今や一般的に受け入れられている考え方ですが、実は「聖書の中には一つも記されて

いない」ということです。これは、完全なこじつけの教理です。だから、クリスチャンは、患難時代

を通っていく者として目を覚まし、黙示録のメッセージにある通り、「勝利を得る者」として殉教して

いくことです。ところが、クリスチャンの多く
は、勝手に患難前携挙説を唱えて、苦難を通って

いかないという(のう)天気(てんき)な考えに立っています。それは間違っています。元々、患難

前携挙説は初代教会にはありませんでした。このディスペンセイション主義は、13世紀のユダヤ教

ラビの「モーゼス・ジェロンディ」から始まり、それがイエスズ会の祭司インマヌエル・ラク
ンザ

(隠れユダヤ人)によって「栄光と威厳の中でのメシアの来臨」という著作によって、キリスト教会の

中に入れ込まれ、それをプリマス・ブレザレン運動のパイオニア「ジョン・ダービー」の思想と、

「切迫携挙の教理」を
学び始めた「スコフィ-ルド」によって、20世紀以後の世界に浸透させて

いったのです。ですから、この
ディスペンセイション主義は、全く新しい人間の作った教理なの

です。その証拠に13世紀以前には、患難前携挙説はなかったのです。だから、初代教会の信徒

たちは、皆苦難を通り、殉教しているのです。「キリストにあって敬虔に生きようとする者は

皆迫害を受けます。」(Ⅱテモテ3:12)ならば、万物の終わりが近づいてい
る今なら尚更の

こと、主の証を立てるために、殉教が起るのは当然でしょう。聖書のどこを見ても、明確な患難前

携挙説はありません。むしろキリストの再臨は、患難時代の()(ただ)中に出現する「荒らす

憎むべき者」の出現の後に起ることが福音書の中に明確に書かれていますので、当然の事として

クリスチャンは患難
を通って行きます。そして、この患難前教理は、クリスチャンが眠っていても、

突然携挙されるというもので、
もし、それらの人々は、患難時代の中で666に遭遇したら、多く

のクリスチャンはつまずく事になるでしょう。それを喜ぶのは、ルシファーしかいません。

しかし、患難時代の中に入ることを覚悟しているクリスチャンなら、患難時代前にキリストの携挙

があったとしても、感謝することはあっても、つまずくことはないでしょう。どちらが聖書的かは、

一目瞭然(りょうぜん)です。しかし、このように患難前携挙説の誤りが解かれても、聞く人は聞くかもしれ

ませんが、
ほとんどの人は自分に都合の良い論理は信じても、苦難を受けることが黙示録に明確に

記されていても、
信じようとはしません。しかし、全ての人を説き伏せる必要はなく、私たち自身

がその真理を心得ており、心に留めているなら、666の前にはっきりと信じる信仰を証しし、

聖徒の忍耐を全うする心構えは
持てるでしょう。これは、全能主のお考えです。そして、「ここに勝利

を得る者たちがいる、という事をルシファ
ーに突き付けたい」というのが、全能主が考えておられる

最後の集大成なのです


(結)これで、私たちの生きる道がはっきりしたのではないでしょうか。私たちはどこまでも御国

を目指し、命閉じる時まで、全能主とイエス様を証しするのです
。罪人が救われる道はイエス様の

贖い以外にありません。
ならば、殉教は罪人にとって当然のことですから、「私たちは、(ただ)

十字架を前にして見上げるだけでなく、まして、苦難から逃げ出すのではなく、全能主の御国を

一心に求め」、
殉教を覚悟し「最後の集大成」為に、使って頂こうではありませんか。


 
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