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2020年2月21日

『右にも左にもぶれない不動の信仰者とされて』

第Ⅰペテロ5:5~10


(起)第Ⅰペテロ5章10節の御言葉から、「右にも左にもぶれない不動の信仰者とされ、聖霊

の力が与えられて、残りの生涯を一心に全能主の御心のために生きて行く心」を学んで行きます。



(承) さて、この手紙は、異邦人の地に離散しているユダヤ人クリスチャンに宛てて書かれた

手紙です。エルサレムから遠く離れた異邦人の地に住み、そこで生活をしていれば、たとえユダヤ

人であっても、知らないうちに異邦人の物の見方、考え方に影響されて行きます。そこでペテロ

は、彼らが救われたユダヤ人の聖徒としての感覚、即ち選ばれた天の民だという意識を失ってし

まう危険性があると感じ、「救われたユダヤ人としての意識をもう一度思い起こさせたい」という

意図でこの手紙を書き送っています。



(転)では、異邦人そのものである私たちは、このペテロの手紙の内容をどのように受け留めて

行けば良いでしょうか。私たちは元々異邦人として生まれ、生まれた時から異邦の民として生活

してきました。ですから、律法には無縁の者で、ユダヤ人のように律法に熱心ではありませんで

した。ところが、そんな私たちでも、イエス様の救いに預かることができ、天にある生ける望み

を頂いた以上、私たちもこの地上の価値観の中で生きて行くのではなく、ユダヤ人クリスチャン

のように天に国籍を持つ者として、全能主中心に物事を考え、全能主の御心のために生きて行こう

とすべきです。しかし、ペテロがユダヤ人に勧めているように律法的に求められても、心が付いて

行きません。だから、私たちは全能主中心の生き方を、律法的な捉え方でするのではなく、異邦人

の罪人でさえ分け隔てなく天の御国に行けるようにされたのですから、「全能主を中心に物事を

考えて行こう」という気持ちに、自然にさせられて行くのが正しい信仰のあり方です。先週も

お話ししましたが、私たちは自分が嫌だと思うことに対しては心が動きません。どんなに強制され

ても、自分が嫌だと思えばやりません。ところが、悪いことだと分かっていても、自分がそれを

愛していれば、手を出してしまいます。だから、重要なのは自分の心の中に、何が入ったかが

問題です。私たちはイエス様を信じた時、「罪人でも、全世界の人のために死んで贖いをして

下さったキリストの救いがあること」を知ったのです。そして、その福音が心の中に入りました。

だから、たとえ人から「現実的ではない」と馬鹿にされても、自分自身の心の中に入ったキリスト

の救いを否定することができませんでした。この心はクリスチャンなら皆持っている心です。

だから、この心を持った者として、私たちは地上の残りの生涯を自分の欲望のためではなく、

全能主の御心の為に過ごして行きたいと思ったのです(第1ペテロ4:2)。しかし、それを

妨げようとする悪魔の声があります。悪魔は私たちの内側から語りかけ、如何にもそれが自分

自身の声のように思わせ、全能主に逆らわせようとします。だから、この悪魔に立ち向い、信仰

に堅く立って戦わなければなりません(5:9)。
要するに、自分の心の中に入った救い「イエ

ス様の贖いを信じた思い」を堅く保って戦うということです。
イエス・キリストの救いは、理屈

と信仰によって、御霊が私たちの心の中に証人として入りました。
その御霊を絶対に失いたく

ありません。
だから、それを失わないために悪魔と戦って行くのです。そして、最終的には不動

の者とされて、私たちは殉教するのです。私たちは、既に天に国籍を持つ者とされており、ただ

それだけではなく「勝利を得る者」として、新しい天と新しい地の「聖なる都」に入る方法まで

知っています。それはこれからやってくる患難時代で、信仰をはっきりと証して殉教していく道

です。私たちは、その道に備えて今歩み出しているのです。



(結)そこで、最後に一つ警戒していただきたいことは、魔物のやり口は律法だということです。

律法は、提案されると初めはその気になりますが、背負ってしまうと、段々それが重荷になり、

最終的には負いきれなくなって(つぶ)れてしまいます。それが悪魔のやり口だと悟って下さい。

元々、律法は異邦人の私たちの心の中に入っていないものなので、ユダヤ人のようには出来ま

せん。
異邦人に出来ることは、心の中に入ったものだけです。心の中に入ったものは、イエス様

の救いです。これだけは、人から何と言われようが、自分の心の中に入ったものですから、何が

何でも信じ通して行きたいのです。
ですから、その純な信仰の心を大事にして行くように全能主

から導かれ、整えられて来ました。そして、私たち自身の弱さ、限界、そういうことも全て知ら

された上で、「私たちには、全能主が下さったイエス様の救いしかない。それしか依って立つ

ものがない」という所まで導かれて来ました。ですから、最後の最後までその心を通して行くの

です。そして、右にも左にもぶれない不動の者とされて、一心に全能主の御心のために生きて

行く残りの生涯を全うするのです。ですから、今こそ「聖霊の力に満たされ」働きを始め出そう

ではありませんか。

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