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                                                                                                                              2021年12月12日

全能主から養子縁組された者

エペソ人への手紙1:3~14


(起) エペソ1章5節の御言葉から、私たちが全能主から養子縁組された者であるなら、父で

ある全能主のお考えに従って生き、その喜びと幸いを味わう
こと」
を学んで行きたいと思います。



(承)さて、4節を見ますと、「全能主は御前に(きよ)く傷のない者となるようにと、世界の(もとい)

据えられる前から、
キリストにあって私たちを選び取って下さった」
とあります。しかし、本来の

私たちが、この地上で(きよ)く傷のない者となることは出来ません。なぜなら、私たち人間は、皆

アダムとエバの子孫であり、生まれながらに罪の中に閉じ込められていた人間だからです。

ところが、そんな罪人の私たちが、(きよ)く傷のない者とされることは、キリストにあって可能

である」
と記されているのです。その根拠は7節に出て来ます。「私たちは、御子にあって、

全能主の豊かな恵みの故に、御子の血による贖い、すなわち、罪過の赦しを受けた」
とあるから

です。しかも、私たちは自分で御子の贖いを信じたのではなく、信じようとする心も頂き、「信じ

ます」と言えるように御霊の
けを頂いた者です。ですから、キリストの救いは、自分の手で得たも

のではなく、キリストにあって選び取って
頂いて、与えられたものです。しかも、「全能主が私たち

を養子縁組するために、予め定めて下さった」
とあり
ます。それはどういうことかと申しますと、

「私たちは全能主から造られた被造物であって、全能主から生まれた者
ではありません。しかし、

それでも『全能主に養子縁組されて、全能主の子となって、全能主から生まれた者と同様な扱い

を頂き、全能主から生まれた家族の一員として迎え入れられる』
ということ」なのです。それを、

世界の基が据えられる前から全能主が定めて下さっていたのです。即ち、私たち自身が「信じます」

と言う
意思を表明する前から選び取って下さり、「予め、子として定めて下さっていた」ということ

です。だから、私たちは
全能主の側の人間であり、全能主の家族の一員なのです。ならば、私たちは

全能主の子として大胆に生きて
行くべきです。全能主の子とされた者なら、いつも全能主の側に

立ち、ジョージ・ミュラーさんのように、どこまでも全能主を本気で信じ通して行く生き方

すべきです。



(転)
ところが、養子縁組された子というのは一つの厄介な問題があります。それは、私たちが養子

縁組される
前には、普通の罪人であり、古い肉の感性やその影響力の中で、生まれながらの罪の

しきたりを重んじて
生きていたことです。ところが、その私たちが全能主の家族に迎え入れられる

のです。ということは、養子縁組
されて、新しい家の中に入った自分が、その家の新しい考え方と、

生まれながらの肉の家にあった時の自分の
考えが、ごちゃ混ぜになって生活することになります。

すると、養子縁組された新しい家の考え方に付いていけなくなってしまうという問題が起って来る

のです
ですから、新しい家に入ったら、古い自分の考えは全部捨てて、新しい家の考えに潔く

切り替えて行くことです。
すると、昔の肉の考えが出て来ても、「自分の
思い通りにやりたい」

という反抗的な思いが砕かれていきますそれが、養子縁組された者の幸いに繋がって
行くの

です。
これは、実に私たちクリスチャンにとって信じた後に現実的に直面する問題です私たち

は、
どこまでいっても「養子」として迎えられた者であって、罪人であった昔の自分の感覚を

持っています。しかし、
罪の中から救い出されて、新しい家の中に入れられたのなら、すっかり

その家の住人として生きて行けばいいのです。即ち、どこまでも全能主を信じて行くと決めて

いけばいいのです。
もし、その新しい生き方を妨げる悪魔の声が聞こえたとしても、はっきり

退けて、全能主の側の人間に成り切って行けば良いのです
ところが、もし悪魔の声を聞き、

「真理を教えてもらっていても、感情が付いていかない」と言って、古い考えに従えば、せっかく養子

縁組されたのに、その縁組みを解消することになります。すると、言うことを聞かないクリス
チャン

になり、キリストにあって、御国を受け継ぐ相続人に定められた、救いの計画を失ってしまう

可能性が
あります。では、私たちはどうしたら良いのでしょうか。それは、「自分は全能主の家

の子として迎えられたのだから、これからの人生は、全能主のお考えと全能主の指示に従って

生きて行きます。過去の自分のやり方、
こだわりは捨てます」と、ミュラーさんのように心を定めて、

はっきりと歩み始めることです。
そのように心を定めた中で家族の一員となれば、全能主も安心して

子として受け入れることが出来ます
。だから、私たちにはその定めが必要なのです。私たちは、

たとえ養子縁組されても、自分の思い通りにならないと()ねる心を出して、「自分は罪人で、

元々は全能主の子ではなかったから」という(ひが)み根性を出してくるなら、その感情は毅然と断ち

切るべきです。なぜなら、それは、魔物の声だからです。「私たちは、どこまでもむかしの過去を

忘れ、養子縁組された者として、父である全能主の側に立ち、全能主のお考えに合わせて、どこ

までも全能主の子として貫いて行く」と定めきることが重要です
。過去に持っていた肉の思いや

弱さや感情は、あえて全部振り捨てて忘れていいのです。私たちは、全能主に養子縁組された、

全能主の家の人間、全能主の子で
あることに自信を持って下さい。そして、全能主のお考えに

合わせ、それを自分自身の喜びとする当事者になってください



(結)
私たちは、「真理の御言葉、即ち、救いの福音を
聞き、イエス・キリストを信じたその結果、

約束の聖霊に
よって証印を押されたのです。(1:13)」ですから、私たちは皆、御霊を頂い

ており、その声も聞こえます。
それは、約束の聖霊によって全能主の養子とされていることの証印が

押されているからです。だから、そこから右にも左にも()れることなく、この事実を心から喜び、

全能主の家の人間として歩みましょう。そして、全能主の子とされた者として心を定めて、全能主から

養子縁組された者なら、父である全能主のお考えに従って生きて
行く喜びと幸いを味わって行こう

ではありませんか。

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