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2020年 NO.728


仕える者の重要な心得


 ヨハネ福音書の6章から読み進んでいくと、何とも言えないイライラ感が湧いて来ま

す。それは、ルシファーの影響を受けた群衆の反発が伝わってくるからです。主を信じた

筈の人々が、「わたしが命のパンです」と、主が言われた言葉に対して、「これはひどい

言葉だ。誰がそんなことを聞いておられようか」と言って、去って行きました。その

去って行った人々は、5000人の養いの中にいた人々であり、しかもイエス様を無理

矢理ユダヤ人の王にしようとした人々なのです。そんな彼らの中には、子供の頃から

イエス様を知っていた近所の人々もいたことでしょう。しかし、それであっても、主の

なされたしるし(5000人の食事)や、ヨルダン川でバプテスマのヨハネが証言して

いたことを実際に目撃した人なら、主のメシヤとしてのメッセージが心に入ってきても

おかしくありません。ところが、絶対主の御子としての証をされた時に、彼らはどこま

でも人間的な思い込みから離れず、主に逆らう者となったのです。この現実は、今日(こんにち)

クリスチャンも陥ってしまう、恐ろしい魔物の心です。なぜなら、人は感情的になると、

絶対主の考えよりも、自分の考えに凝り固まるからです
ですから、クリスチャンが

主に仕えて行くための重要な点は、「どこまでも聖書は正しい、絶対主は正しい」

言うところから離れてはいけないのです。どんなに自分に理解できないことがあっても、

人間は被造物です。その謙りは絶対に持つべきです。ですから、クリスチャンが生涯主

に仕えて行きたいと思うなら、どんな場合でも心を開き続け、自分の反抗心を封印し

て、決して心を閉じない
ということが重要です。それは、人は皆「魔物の心を抱えた

罪人」だからです。ですから、この現実の前では、たとえ、生涯主に仕えていくと決め

ていたとしても、イザ自分の心に嫌気をさすと、人は簡単に心を閉ざし、いとも簡単に

心変わりをし、裏切ることも簡単にしてしまいます。その例は、ヨハネ福音書5章66節

に、「主を信じた多くの弟子たちが、去って行った」という事例にあります。これは、

何故でしょうか? その理由は、「誰でも、自分から出たことを語る人は、自分の栄光を

求めます。
しかし、自分を遣わされた方の栄光を求める者は、真実であり、その者の内に

偽りはありません。」(ヨハネ718)とあるように、自分の栄光を求める人は、自分の考え

に拘り(こだわ)ます。すると、相手の側に立って聞く耳を持たなくなり、「自分から出た考え」を

引くことが出来なくなります。しかし、「自分を遣わされた方の栄光を求める人」は、自分

の考えよりも、どこまでも遣わした方の考えに立ち、 最後まで、その御方の意向に従おう

とします。それは、その方を信頼すると決め、清濁(せいだく)(あわ)()むことも主に反抗しないと

決めた自分の献身の定めだからです。
ですから、その人は反抗することも裏切ることもせ

ず、生涯仕え通すことを選んでいくのです。これは、仕えることを決めた者の重要な要素

です
。しかしながら、人間には、「自我」がありますので、自分の考えを引くことは難し

いことです。それは、心の中に魔物が住んでいる現実は、命閉じる時まで続くからです。

ですから、たとえ自分が決めていても、自分の都合でいくらでも翻す(ひるがえ)ことが出来てしま

います。しかも魔物は、その心変わりを後押しして来ます。ですから、クリスチャンが、

絶対主に仕えていこうと決めた純粋な心を通して行くには、「如何に心を開き続けるか」

即ち「自分の反抗心」を封印するかで決まります。この自分の心の定めは重要です。即ち、

自分の反抗心を封印して自分の自我を引くと決める自主的な心の定め
がないと、

ヨハネ6章66節の「去って行った多くの弟子たち」と同じになり、ルシファーの恰好(かっこう)

餌食になってしまうからです。クリスチャンが「叱られたり、性格をいじられたりして、

自分の嫌なことを言われる」と、いとも簡単に自分の心を閉じ、固まってしまいます。

これでは、絶対主の働きのために用いられることは出来ません。心を閉じる、心を固めると

いうことは、拒否することであり、それは、従うことを自分から放棄する意思表示になり

ます。この事は当たり前のようにしており、多くのクリスチャンは、この事が信仰の障害

となっていることに気づいていません
ですから、絶対主は、そんな私たちを信頼して

用いることが出来るかどうかを、私たちが心を開き続けるかどうかで判断しておられます。

信仰者は、まず心を閉じる事を放棄する訓練から始まります。なぜなら、一般的に子供の

頃から、反逆の心は当たり前になっており、自分の心を固めて無視することは普通にして

いるからです。もし、仕える道を選択するなら、心を閉じる事を封印して、心を固める

習慣を砕いて
いかなければなりません。」
これは、一般の社会でも同じように求められる

事です。ですから、人生は決断と定めの連続です。人間は過去に向かって生きられません。

誰もが明日に向かって生きています。ですから、後ろのものを忘れ、前のものに向かって

(ピリピ313)、この仕える者の重要な心得を決断していきましょう。


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