教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室


2020年6月21日
信仰の勝利者となるために、         
    トコトン絶対主に頼って行く


へブル人への手紙11:32~40


(起) ヘブル11章32~40節に記されている信仰者の証人たちから、「信仰の勝利者となる

ためには、トコトン絶対主に信頼して行くことだ」ということを学び、自分の負けを認めて、

ゼロからの大胆な出発を始め出して行きたいと思います。


(承) さて、ここの記事には、旧約時代の信仰者やパウロの時代の信仰者が記されています。

彼らはライオンの餌食にされたり、火で焼かれたり、石打ちの刑にされたり、剣で切られたりと

・・・そのようなあらゆる拷問を受けながらも、彼らは揺るぐことのない天の都を待ち望んだ「信仰

の勝利者たち」です。ここまでの戦いを通って来た人々ならば、命を閉じた瞬間に、天にある

「約束のもの」すなわち「聖なる都」に入れられてもおかしくなかったと思います。しかし、

ここに書いてあるように、彼らは約束のものは得ませんでした。どういうことかと申しますと、

40節には、「彼らが私たちと別に、完全な者にされることはなかった」とあります。今現在、

彼らは眠らされており、それを味わっていません。その約束が実現するのは、イエス・キリスト

の再臨の時です。「キリストは、2度目には罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々に

救いを与えるために来られるのです」(ヘブル9:28)。この約束の時には、旧約の聖徒も新約

の聖徒も関係ありません。40節の「彼ら」というのは、パウロ以前の旧約時代の信仰者たちの

ことであり、「私たち」というのは、イエス・キリストによって救いに与っ(あずか)たクリスチャン

たちのことです。この両者が区別されることはないということです。それは、エペソ2章14節

にあるように、「キリストは両者を一つにし、隔ての壁を打ち壊して下さいました」とあるから

です。このように、絶対主はキリストを通して隔ての壁を取り去って下さり、旧約の聖徒も新約の

聖徒も皆同じように扱って下さるのです。それは、私たちにとっては、非常に感謝で有り難いこと

です。



(転) では、私たちも彼らのような信仰の勝利者となるためには何が必要でしょうか。

それは、トコトン絶対主に信頼して行く心だけです。昔の信仰者たちは、主を信じる心によって、

弱い者は強くされ、戦いによって勇者となりました(ヘブル11:33~34)このことは、

私たちにも当てはまります。絶対主に対する信仰は、人間的に強いとか弱いとか、そんなことは

関係ありません。
いくら弱い人間であっても、絶対主に信頼して行く心によって強くされるの

です
それは、絶対主にあってリセット出来るからです。どういうことかと申しますと、私たち

は生まれ持った能力で全てが決まってしまうのではなく、絶対主にあってゼロから積み上げて行く

ことから始まるからです。すなわち、自分の力でやって行くのではなく、絶対主に信頼し、トコトン

絶対主にあって一生懸命やって行くのです
。その中で、「自分には出来ないと思っていたことが、

このようにやらせていただけた」ということを経験して行けば、
「何事も絶対主に頼って行けば

出来る」という強さが生まれてくるのです
そして、最後に「勝利を得る者」となるのです。

この信仰の戦いは競争ですが、生まれ持った能力は関係ありません。(みんな)ゼロから始まります。

地上の徒競走は、生まれ持った能力によって結果が決まってしまいますので、そのような中では

「一位になれ」と言われても無理です。もちろん学校の成績も生まれた時の能力で決まってい

ます。しかし、信仰の競争は、自分の生まれ持った能力で決まるものではなく、トコトン絶対主に

頼って行くところから勝利を得るのです。だから、この競争は、「ダメだ」とか「出来ない」とか

「苦手だ」とか「嫌だ」とか、そんなことは一切関係ありません。トコトン絶対主を信頼して
一生

懸命
やるだけのことですそれが、勝利を得るための秘訣です。この霊的な努力は、豊かな実を

結ぶ秘訣です



(結) 私たちは、生まれながらに罪人であり、ゼロの人間です。だから、肉の力や能力で積み

上げても天に繋がりません。しかも罪人の能力を絶対主は使いません。しかし、トコトン絶対主に

頼って行くならば、誰でも可能性はあります。
いくら弱くても、トコトン絶対主に頼って一生懸命

やって行く中で、絶対主が結果を出して下さるからです
だから、私たちはゼロで良いのです。

自分の我を出して、自分を認めてもらおうとする必要はありません。むしろ、
自分の負けを認め、

罪人の肉の努力はゼロであることを認める所から、本気で絶対主に頼って行く心が生まれて来るの

です
そして、そこに絶対主の全能の力が働きます。聖書には、「絶対主の全能の力が、信じる者

にとって如何に偉大なものであるかを、あなた方が知ることができますように
」と書いてあり

ます。私たちは、それを見るまでは諦めません。どうか、自分の負けを認め、自分がゼロである

ことを認めた上で、トコトン絶対主に頼って、絶対主の全能の力を見せて貰いましょう。

 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室