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2020年5月3日

信仰のパラダイム転換、空っぽの器


(起)「ペテロはイエスを脇へ引き寄せて、(いさ)め始めたので、イエスはペテロを叱って言われた。

『サタンよ!引き下がれ。あなたは全能主の方に心を向けないで、人の方に心を向けている』」

言われました。(
マルコ8:32)この御言葉は、イエス様がご自分の受難について語られた時、

ペテロはその意味を理解せず、主の語られた言葉を否定した為に、ペテロを叱って『サタンよ、引き

下がれ』と怒られたのです。なぜなら、
従うべき立場の者が、途中で言葉を(さえぎ)って口を(はさ)み、

主人の言葉を否定したからです。これは、
(へりくだ)ったしもべのやり方ではありません。しもべは

学ぶ立場にあり、教える立場にはないからです。たとえ主人の意見が間違っていたとしても、従う

べき者が意見を言う時、相手を否定するところから始めるべきではありません。このやり方は間違って

います。多くのことは、主人の立場にならなければ、分からない事柄が一杯あります。ですから、自分

の意見を述べる前に、主人の言葉をしっかり聞いて理解した後で、(へりくだ)って聞けば良いのです。


この(へりくだ)りなしに、自分は分かっていると思い込み、つい口を出してしまうのは、従う者のあり方

ではありません


(承)さて、私たちの教会は、これまで空っぽの器について学び、「砕かれた悔いし心」を学んでき

ました。それは、「空っぽの器に油(聖霊)が満たされる」ためです。この「空っぽの器」とは、霊的な

考えを持つため、生まれながらの肉的な考え方から離れることです。なぜなら、この世の常識的な考え

と、霊的な考えは相容れないものだからです。この世の価値観は、霊的な考えとは正反対であり、

これまで自分が培って来たこの世の考え方に縛られていたなら、霊的な考え方は心に入って来ません。

そのために、古い肉の考えを空っぽにして学ばなければなりません。それは、キリストの救いが、

地上的なものではなく、天的なものだからです。その証拠に、イエス様はペテロに「引き下がれ

サタン!」と言った後で、弟子たちに「誰でも、私について来たいと思うなら、自分を徹底的に否定し

て、自分の十字架を負って、私に従ってきなさい。」と言われました。それは、「生まれつき備わって

いた常識的な考え(人間を中心にした考え方)を徹底的に否定し、自分の十字架(死)を覚悟して

従って来なさい」ということです。ギリシャ語のアパルネオマイは、アオリスト形の命令形であり、

今死んでいようが、死んでいまいが、「自分の考えを空っぽにして徹底的に従ってきなさい」という

意味です。そして、新しい考え方の中でイエス様に従って行くのです。しかも、その続きには、「自分

の命を救おうと思う者は、それを失い」とありますので、「自分の命は自分のものはないから、主に

献げなさい」と言われたのです。しかし、このような考え方は、私たちが子供の頃から教えられてきた

教育とは、全く相容れないものです。この世では、「むしろ自分の考えを養って行きなさい。そして、

自分の主張をはっきり持つようになるために、自意識を成長させて行きなさい。」というものでした。

だから、普段の会話の中で、自分の考えと合わないと、遠慮無く相手に割り込み、「自分の考えの方

が正しい」と自分勝手な自己判断を主張したくなるのです。


(転)
さて、こういう風潮の中で、私たちは育ってきましたので、自分の考えを引いて相手の考えを

聞くと言う事が、なかなかできません。それは、長い間の学生生活の中で、自分の知識を養い、自分

の考え方を養って行くことが正しいこととして学んで来たため、自分の考えを変え、更に自分の考え

方から離れて「自分の考え方を空っぽにして学ぶ」ということは、非常に難しいことです。しかし

ながら、キリストの救いは地上的なものではありませんので、キリストにあって生きようとする者は、

これまでの生き方が変えられなければ成りません。それは、根本的に価値観が変わったからです。

それは、長い間聖書の通読を重ねてきた者として、十分知らされていることです。ですから、出来る

出来ないという問題ではなく、「キリストの救いの中で生きたい」と願うなら、問答無用で、自分の

生き方を変えるべきです。そして、「キリストの中で生きる」という意識をはっきり持つことです。

ところが、クリスチャンの多くは、霊的な考えと、肉的な考えをごちゃ混ぜにして区別の出来ない

生き方をしています。だから、自分の考え方の意識をすっきりと変えることが難しいのです。そのため

には、当然キリストの中で生きる行き方の考え、即ち霊的な考え方を学んで行かなければなりません。

(結)そこで、初めに戻りますが、ペテロさんは、生まれながらの世の考え方の中で、イエス様の上

に立って「そんなことがあってはいけません」と、イエス様を(いさ)めています。それは、イエス様の

考えより、自分の考えが正しいと思って、イエス様にもの申してしまったことなのです。その出過ぎ

た、世的な考えが正しいと思い、(りき)んでしまったため、イエス様から「サタンよ!退け」と、

きついお叱りを受けたのです。こういう訳ですから、私たちは、ペテロさんの失敗を通して学ばな

ければ成りません。それは、これまでの考え方ではイエス様の御心に(かな)わないからです。
私たちは、

この世の正義感ではなく、聖書の考え方に立つために、パラダイム転換を図らなければなれません。

パラダイム転換とは、天動説から、地動説に換えることです。すなわち、この地上の常識から、天の

全能主の常識に転換することです。
この転換は、いままでの(こだわ)りがありますので容易なことではあり

ません。しかも、この地上で生きている者は、いつもこの地上の常識に捕われており、世的な考えに

引き込まれていますので、一度、私たちの考えをリセットして、空っぽにしなければ成りません。

それが「空っぽの器」です。この「空っぽの器」を持つためには、砕かれた心と、謙りが必要なのです。

それは、この世の(こだわ)りを放棄し、自分の培った知識から離れることです。これは、相当勇気の

いる決断です。なぜなら、世に逆らうことだからです。もうすぐに、666の獣も姿を現します。

すると、
クリスチャン狩りが起こってきます。先日の都市伝説のTVは、かなり確信に近づいた内容

でした。ですから、「自分を砕くのは、もう少し後で良いではないか」と、(たか)(くく)っていて

は、もう遅いという時が来ます。
この霊的な判断を学ぶ近道は、牧師の判断を学ぶことです。その時、

ペテロさんのように、自分勝手な自己判断で自分の意見を入れてはいけません。まず、すべてを聞いて

から、分からないところは謙って聞く習慣を身につけることです。その為には謙遜が必要です。

牧師の話を聞いて、途中から否定的な意見を口に出すべきではありません。少し分かってくると、

人は、自分の意見を言いたくなり、その意見を語る為に、まず相手を否定してから自分の考えを言おう

とします。これが一番悪いことです。これでは、イエス様から「サタンよ!退け。」と言われてしまい

ます。ですから、自分の意見を言うより、聞く(へりくだ)が大切です。それをしないと、(しか)られます。

人は、プライドの塊ですから、怒られるとすぐ反発の心を顔に出して、むくれるのです。この顔を

出した時に、クリスチャンは「自分を徹底的に否定していない者であること」を 証明するのです。

ですから、普段から下手に出るように心懸け、その心を自分の当り前の「砕かれた心」にするのです。

どうか、イエス様が、なぜペテロに「サタンよ!引き下がれ」と厳しく叱責されたのか? 心に留めて

下さい。それは、この世の考えは、サタンがエバに入れた知識だったからです。サタンの知識を学ん

で誇るのは、空しい事です。それより、聖書から霊的な知識を身につけましょう。そして、それが

すべて正しいことを確信していきましょう。ジョージ・ミュラーの判断こそ、クリスチャンの模範

です。


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