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2020年4月19日
聞く耳のある者は聞きなさい

(起)「聞く事柄に注意しなさい。あなた方の量るその量りで、自分にも量り返され、その上に

尚、増し加えられます。
」(マルコ4:24)

(承)
この御言葉の意味は、「聞く姿勢の量に従って、聞いた内容を理解する力量が与えられ、

しかも、聞く姿勢が真剣であるならある程、尚その人の理解力が更に深くされる」という意味です。

すなわち、私たちが謙っ(へりくだ)て絶対主に聞く姿勢を持つなら、絶対主の御心が良く理解させられ、

分かる様になるのです。また、尚その上に、更に多くの事柄を理解する能力も与えて下さるのです。

ところが、逆に言うと、人が傲慢になって聞く耳を持たなければ、いつまで経っても同じ事を聞くだけ

で、一つも自分の身に()きません。それは、現在の私たちに言えることです。いつまでも自分の

考えに立って「自己主張」を続けて行くなら、そういう人は、絶対主から教えて頂くことはなくなっ

てしまうでしょう。


(転)
では、私たちが絶対主の言葉を聞くとき、聞くには聞くが、どのように聞くべきか考えたいと

思います。まず「聞き方に注意しなさい」と在りますので、聞き方によって、絶対主の言葉が、益に

もなり無益にもなります。そこで、絶対主の言葉をどのように聞くべきかを、種蒔きの4つの例えから

見ていきます。

 1つ目は、絶対主の言葉が道端に蒔かれた種です。その種は、空の鳥に食べられてしまいます。

すなわち、その人は絶対主の言葉を軽く聞き流し、心に止めないのでサタンがその言葉を持ち去り、

絶対主の言葉を聞いても、その人にとって何の益にもなりません。


 なぜなら、元々そのクリスチャンは、「絶対主の言葉通りにしよう」という信仰を持っていないから

です。それは、自分にとって都合のいい事しか受け止めようとしない人だからです。彼には絶対主に

従う、真摯な心がありません。


 2つ目は、絶対主の言葉が岩地に蒔かれた種です。その種は、根がないので枯れてしまいます。

すなわち、絶対主の御言葉を聞こうとはしていますが、本気で聞く信仰の定めがないので、その時

任せの聞き方しか出来ず、まともに主の考えに立つことは、現実的ではないと考えて、また絶対主の

言う通りにすれば人から非常識だと揶揄(やゆ)されたり、困難や嫌がらせが来ることを恐れて尻込みし、

つまずいてしまう人
のことです。


 3つ目は、絶対主の言葉が茨の中に蒔かれた種です。その種は、岩地の種のように絶対主の御言葉

を聞こうとはしますが、イザ、絶対主の御言葉通りにすべきかどうかとなると、臆病風に吹かれ、

世に対し妥協的になるのです。すると、自分の都合を第一に考え、自分の体裁(ていさい)とか世の人の

手前とか、損得勘定に捕われ、そこにいろいろな自分の感情が入り、御言葉は吹っ飛んで行くのです。

そういう人は、いつまで経ってもジヨージ・ミュラーさんのように信仰の決断ができません。頭では

主に従っていきたいと思いつつ、心を絶対主に明け渡さない
のです。だから、気持ちだけで教会生活

を続ける、自称クリスチャンになってしまいます。

 4つ目は、絶対主の言葉が良い地に蒔かれた種です。こういう人は、どんどん成長し絶対主の御心

のままに歩んでいくことを実践する人です。彼は、世に対して生きていません。どこまでも絶対主の

中にあって歩むことを求め続け、絶対主を信じた者として、「御言葉に書いてあることは自分にも

起こる」と信じ、絶対主を信じる者に働く全能の力がどんなにすごいものかを味わうことを願って、

ひたすら追い求めていくクリスチャン
です。彼こそ、「あなた方の量るその量りで、自分にも量り

返され、その上に尚、増し加えられます。」とある御言葉を味わう人です。すなわち、その人の信仰

の量に従って絶対主は、その信仰に(こた)えられ、その信仰の量に応じて30倍、60倍、100倍の実

を結び、絶対主に喜ばれるものとされるのです。その人は、当然「信仰の勝利者」となり、聖なる都、

新しいエルサレム、小羊の花嫁になるのです。


 ということは、クリスチャンにとって、この世は仮住まいであり、本住まいではありません。

しかし、多くのクリスチャンは、サタンに騙されて、この世がすべてだと思わされているので、

近視眼的になって判断を誤るのです。人間はこの世で訳も分からずに生かされているのではありま

せん。また、人の命は偶然に湧いて出てくるような代物でもありません。精巧な設計図(DNA)が

組み込まれて生きる者とされています。ということは、設計図を組み込んだお方によって創られた

命なのですから、偶然の命ではありません。この命は、命を創られた絶対主の中に生きていく命な

のです。なのに、未信者の多くは、命を創って下さったお方を知らずに、この世が全てだと騙されて

目に見える世界の価値観しか持てないでいるのです。しかし、クリスチャンは、私たちの命を創って

下さった絶対主を知っているのですから、命の主にあって価値観を持つことができます。
これは、

絶対主の御言葉を真摯に聞く、聞く耳を持った者の幸いです。ならば、更に聞く耳を持って、絶対主

の御言葉を聞く量を豊かにし、絶対主を知る理解力を増し加え、「絶対主を信じる者に働く全能の力

がどんなに凄いものかを味わい知りたい」
と思います。絶対主に近づけば、絶対主も私たちに近づい

て下さいます。「主の日は夜の盗人のようにやって来ます。その日には天は大音響を立てて消え去り、

天体は焼けて溶け去り、地とその上に造り出されたものは、みな焼け尽くされます。・・・しかし、

私たちは絶対主の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいるのですから、・・・

絶対主の前に出られるように熱心に励みなさい。」(Ⅱペテロ3:10~14)とあるように、

これが、絶対主の御言葉であり、絶対主にある価値観です。


(結)
今は、実に1000分の1ミリというウイルスによって世界中が翻弄されています。もし、この

まま世界中が混乱し、ウイルスに人類が支配されたら、世は終わります。人間は、たったの1000分の

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ミリに狼狽(うろた)えているのです。なんと人間とは、ちっぽけな者でしょうか。ならば、人として傲慢

にはなれません。謙虚に絶対主に聞く耳を持ち、絶対主ありきの中で、生きて行くことを本気で

始め出しましょう。

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