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2020年4月12日
 

コロナ疫病と患難時代


 患難時代に入ったら、今起こっているコロナの感染症のストレスどころか、自然界の大災害が

起こって来て、マスクどころか、食料の買い占めが起こり、本当に食べることも、住む家も失います。

そして、政府のコントロールが効かなくなり、人々は、自分のことしか考えなくなります。

すると、患難時代には世界の混乱の中から、世界を治めるために世界を統一しようとする独裁者が

起こってきます。それが、666であり、「荒らす憎むべき者」です。これが、これからやってくる

患難時代のルシファーの陰謀です。その時、私たちは666の印を押すか、あるいは、どこかに逃げて

いかなければ成りません。山に逃げるにしても大勢ではすぐに見つかります。すると一人一人がバラ

バラで逃げていくことになります。そのような中に置かれると、独りぼっちで心細くなり、テレビも

見れなく情報が入りません。すると、ストレスの持って行き場を失い、イライラしてどうして良いか

分からなくなってしまいます。そんな中で、冷静さを失うことなく、また苦しさから逃げ出すことな

く、キリストを見上げて信仰による判断をして行かなければなりません。しかし、多くの人は、その

ストレスに耐えきれなくなり、不満が募り、つい自分の肉に負けて「手っ取り早くストレスから解放

されたい」という肉の思いを優先してしまうのではないでしょうか?すると、簡単に666の世界に

入り込むことになります。その時には、信仰に立って冷静になり、忍耐して自我から離れて我慢を

続けて行けるかどうかが重要です。
今はマスク一つ手に入れることが出来無い状態です。そして、

目に見えないウイルスの感染を恐れて家の中で、悶々としています。すると、どうなるのでしょう。

この非常事態宣言がいつまで続くのか分からない中で、破産する家々も出て来ます。すると本当に

食べることにも困難になって冷静ではいられなくなってしまうでしょう。これが、今ある現実です。


そこで今回、主はこのウイルス騒動は、これからやってくる艱難時代のほんの前段階だと言われま

した。
そこで、皆さんは、このような艱難時代に入った時、愚痴をこぼさずに冷静な心を保てる

でしょうか?冷静な心を持てなければ、自分のために生きることだけを考えてしまいます。この、

自分を守ることが当たり前になっていたら、悪霊は容赦なく戦いを臨んできます。そして、自分を

守る気持ちでパンパンなら、主のために生きる心はどこかへ飛んで行ってしまいます。すると、苦し

い目に遭うのが嫌で666にさえ従うことになります。それは、背に腹は代えられなくなるからです。


と言うことは今、自分を守ろうとする「我」を今のうちに砕いていないと、大変なことになります。

自分の思い通りにしようという思いは、誰しもが生まれながらに持っているものです。しかし、これは

絶対主を信じる者にとっては砕いておかなければ成りません。なぜなら、自分の思いをどこまでも

優先する事が当たり前になっていると、簡単に666に従うことになってしまうからです。


 この、自分のことしか考えようとしない「我」は、今自分が「その心をあえて砕かなければ」始まり

ません。罪人には、自動的にはできないからです。自分の思うようにしたいという我を砕くとは

「相手の言いなりになる」と言うことです。
それが皆さんには身についていません。本来、子供の時

に親の言うことを聞くことを学ばせられる必要があります。確かに、子供の内は親に逆らえば怒られ

ますし、家にも入れてもらえません。また、食事も食べさせてもらえなくなりますから、嫌々従って

行きます。しかし、大人になって来ると、たとえ親であっても嫌なものは嫌と反発する心が勝って

しまいます。それは、「もう大人だから、自分の考えで生きていく」ということが当たり前になる

からです。それが人間としての権利になっていきます。しかし、それは人間対人間の場合は、それ

でもいいでしょう。しかし、人間対絶対主の場合では通用しません。絶対主は絶対ですから、逆らう

ことは赦されません。
絶対主には、絶対的に従うのが信じた者の生き方です。しかし、信じたクリス

チャンでも「我」を明け渡してはいません。これは、「言いなりになることの怖さ」を痛感するから

です。すなわち、人に利用されることを嫌うからです。そして、その思いが絶対主に対しても働く

のです。この心を砕くのは、相手を信頼するところから始まります。この場合、自分が決め事をして

始まりますから、屈辱感も、怖さもありません。
しかも、これを始めることは、絶対主に対しては

当然のことです。絶対主に対して反発することは、今でも通用しないことですが、艱難時代に入った

時には、尚更通用しません。艱難時代に入った時、666の圧迫が自分の「肉」の故に我慢できなく

なり、そこで楽な道を選んでしまようなら、獣の印を打つことになり、獣と偽預言者が受ける「硫黄

の燃えている火の池の中に生きたまま投げ込まれる」ことになります。それは、絶対主に背を向ける

者の当然の報いだからです。しかし、主の贖いを信じて最後の最後まで信じ続ける聖徒たちは、小羊

の花嫁として聖なる都に入れて頂けるのです。これは、主の十字架以後、殉教していった全ての聖徒

に対する報いです。と言うことは、地獄か天国か二つに一つの道です。


 もし、クリスチャンが、天国の道を選択するなら、自分の「我」に従うのではなく、絶対主に従う

べきです。その選択をするために、「我」を砕いていくことを「今」身に付けて
かねば成りません。

それは、初めにお伝えしたように、まず「我」を砕くと決めるところから始まります。即ち、肉の判断

によらず、絶対主の考えに従う霊的な判断をしていくと決めることです。


 この決め事は、決断だけでは実現しません。決めたなら、地上の権威者にまず従うことから始め出す

ことです。しかし、始め出す中で、つい失敗して逆らう思いが出てくる事もあるでしょう。すると、

「自分は決めても『駄目だ』自分には出来ない」と落胆してしまい、続けて行く力を失います。

それは、その失敗にルシファーが訴えてくるからです。しかし、それで終わりではありません。

人は、そんなに「お利口さん」ではありませんから、反射的に「我」が出てしまいます。しかし、

そこで注意されたら素直に謝り、また始め出すのです。その繰り返しが「今」の時の訓練です。

そして、権威に反発せず従うことが当たり前になっていけば、艱難時代の中に入ったときに絶対主に

従う道を選択できるでしょう。
それは、自分にとって嫌なことでも、自分を守らずに従って行く心が

身に付いて行くからです。ですから、これを始め出さなければ成りません。それには、始め出す決断

が必要です。絶対主は、この事を始め出すことを世の初めから待って来られたのです。クリスチャン

が、患難時代の前に天に挙げられると安易に考えている人は、自分を砕くことをしません。もし調子

に乗り、自分を砕いていないなら、人は、ますます自分勝手になり、それで自分は、天に行けると

勘違いしてしまうのです。だから絶対主は、その危険性を感じて、何とか牧師のメッセージを通して

悟らせ、行動に移らせたかったのです。また、現在コロナによる緊急事態宣言が出て、艱難時代の

前段階として、今の時を考えて欲しいと願われたのです。
「我」を砕くことは、本気で始めなけれ

ば成りません。それは、人の言うことを素直に聞くところから始まります。本気でチャレンジしま

しょう。まず、権威者に素直に、「嫌なことでも聞いて遜る」ところから始まります。信仰は

行いの(じつ)ですから、これを読むだけでなく、実際に始めだして下さい。

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