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2020年2月2日

たとえ理屈に基づかなくとも

ルカの福音書19章28~40節


(起)「絶対主の導きであるならば、たとえ理屈に基づいていないことであっても、『分かりま

した。その通りします』と同意して行くのが私たちの信仰の在り方」であることを学び、その

信仰を身につけて、「絶対主を信じることは当たり前」という信仰に立って行くことを学んで

行きたいと思います。


(承) さて、イエス様はベタニヤに近づかれた時に、二人の弟子を遣わして、「向こうの村へ

行ったら、ロバの子が 繋いであるのを見るから、それを解いて引いて来なさい。もし誰かが

『なぜ解くのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい」と言われました。

そして、弟子たちが行ってみると、すべてイエス様が言われた通りだったのです。この箇所を

読むといつも、「弟子たちはよく言われた通りに出掛けて行ったな」と感心させられます。

なぜなら、ここでイエス様が言われていることは、全く理屈に基づいていない無茶な要求のよう

に思えるからです。予め向こうの様子を見ておいて、「ロバの子が繋いであることを確認して

いた」という話なら分かりますが、そうではありません。もし、出掛けて行って、ロバの子が

繋いでなかったら、無駄足になってしまいます。仮にロバの子が繋いであったとしても、それを

黙って引いて来れば泥棒になってしまいます。そこで、もし「『なぜ解くのか』と聞かれたら、

『主がお入り用なのです』と言いなさい」とイエス様は言われましたが、「そんな身勝手な理由

ですんなりとロバの子を貸してくれるのか?」ということも普通なら考えてしまいます。

私たちは、理に適っていることに対しては従いやすいのですが、理に適っていないことに対して

は、「それは出来ません」という気持ちになってしまいます。しかし、弟子たちは、たとえ

イエス様の言われていることが理に適っていないことであっても、イエス様が言われたことに

同意し、出掛けて行きました。それは、「イエス様の言われた通りにすべきだ」と直感で思った

からです。信仰には、「理屈で理解して信じる面」と、「直感で信じる面」の二面性があり、

それは、このように聖書にも記されている真理なのです。


(転)では、私たちがイエス様を信じた時はどうだったでしょうか。私たちは、教会に来て初めて

「人間を創った方がおられる」という話を聞きました。しかし、誰もその創造主を実際に見ては

いません。それならば、「そのお方を見せて下さい。見てもいないのに、私たちを創った方が

いるなんてどうして分かるのですか」という疑問だって起こって来たはずです。また、「イエス・

キリストがこの地上に送られ、十字架につけられた。それは私たちの罪の償いをするためだ」

という話も聞きましたが、イエス・キリストは今から二千年も前の人物ですから、当然私たちは

見ていません。それなのに、「イエス・キリストが十字架にかかって死なれたのは、人間の罪の

贖いのためだ」ということをどうやって確認出来るでしょうか。私たちは、「聖書の中にこのよう

に書いてある」という話をただ聞いただけです。それは、ある意味で理屈に基づかない話です。

しかし、その理屈に基づかない話を私たちは信じると決めたのです。それをなぜ信じられたのか

と言えば、自分自身の「直感」です。直感という言葉を辞書で調べると、「説明や証明を経ない

で、物事の真相を心で直ちに感じ取ること」とあります。私たちは、絶対主やイエス・キリスト

の話を聞いて、
「それは自分に必要だ」という真相(真実の有様)を聖霊の助けを得て感じ取った

のです。それが私たちの直感であったのです。私たちの
信仰は聖霊の助けによる直感からスタート

している
ことは間違いありません。だから、私たちはこの直感という部分を馬鹿にしてはいけ

ません。確かに、今まで、「理屈に基づいた中で、絶対主がおられる」ということを学んできま

した。それも大切なことです。しかし、直感で理解して心に受けとめた部分があるのも事実です。

私たちの信仰には、
理屈に基づいて信じる面と、理屈から離れた世界を聖霊の助けによって自分

の直感に基づいて信じた面の二面性がある
のです。

(結) 私たちが「信じる」と決めた時には、「自分にはこの救いが必要だ」と自分の心が同意

し、その話を聖霊の助けによって信じるという純粋な動機の中で信じたのは間違いありません。

だから現在も、「絶対主を信じるのは当たり前」と純粋に思うことは正しいのです。逆に、何も

かも理屈で理解しようとして、自分の知恵に頼り、「自分の頭で理解 できたらやるけど、理解

できなかったらやらない」という考え方は間違っています。どうか、
絶対主の導きであるならば、

たとえ理屈に基づいていないことであっても、「分かりました。その通りにします」と同意して

行きましょう。
それが私たちの信仰です。この信仰の在り方を身につけて、「絶対主を信じる

ことは当たり前」という真理に常に立って行こうではありませんか。


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