2020年2月16日
(起)第Ⅰテモテ6章12節の御言葉から、「一途な心を持って、主を信じ続ける戦いを立派に
戦い抜き、永遠の命を獲得する」ということを学んで行きたいと思います。
(承)さて、私たちはまだ天に上げられていませんので、「永遠の命を獲得した」とは言えません
が、キリストの贖いは事実ですので、信仰によって天に希望を置き、一途な信仰の戦いを立派に
戦い抜くことは大切です。特に、これから患難時代に入って行きますので、私たちの戦いは、
本格化されていきます。まさに患難時代では、悪霊が食い尽くすべき者を求めて動き回ります。
そのような中で、「もう駄目だ」という思いを私たちが肯定してしまったら、悪魔が喜ぶだけ
です。弱気になった時点で、私たちは悪魔の側に屈することになってしまいます。悪魔の側に
付いてしまえば、私たちの命は当然天には繋がりません。だから、私たちはたとえ自分自身の
弱さを覚えても、また自分の思うようにならない中に置かれたとしても、それでも主を信じ続け
る戦いを立派に戦い抜いて、永遠の命を獲得しなければならないのです。
(転)では、そのために必要なことは何でしょうか。それは、まず自分自身が罪人であることを
しっかり認めておくことです。自分自身が罪人であることを思い知った者は、もう自分を信じる
ことは出来ません。すると、信じることの出来る相手はイエス様だけですから、私たちは「全能主
を信じ、全能主を信頼する」心を持って、どんなことにも前向きにチャレンジして行くのです。
聖書の中には、「私は、私を強くして下さるキリストによって、どんなことでもすることが出来
ます」(ピリピ4:13)とあります。「どんなことでも」ということは、「出来る範囲を自分
で決めてはいけない」ということです。私たちは生まれながらに罪人で、能力などありません。
そのことを認めたら、「全能主にとって不可能はありません」(ルカ1:37)ので、苦手だ
と思うことに対しても、あえて全能主に信頼して向かって行くのです。人間は、自分にとって苦手
なことは、「出来ないから仕方ない」と諦めることを簡単に許してしまう身勝手さがあります。
しかし、全能主を信頼して行く生き方を本気で始め出したら、そういう臆病な生き方はしません。
たとえ自分にとって苦手なことで、また出来ないと思うことでも、全能主を信じるが故に、チャレ
ンジして行こうとする気持ちが、私たちの心を支配するはずです。もちろん、私たちは罪人です
ので、何もかも100%全部出来るというわけには行かないかもしれません。しかし、ダメな自分
に留まって、何もやろうとしないのは間違っています。私たちは、たとえ自分に出来ないと思う
ことでも、「それを何とかクリアしよう」という意識で向かって行くのです。なぜなら、どんな
ことでも出来る全能主がおられるからです。私たちは全能主によって創られたのですから、創って
下さったお方に信頼し、頼って行くのは当たり前のことです。罪人の自分に頼るとか、ダメな自分
に怯えるということは、「全能主は全能のお方です」という意識から、あえて離れることに
なります。私たちは、その意識を180度変えて行く必要があります。
(結)主を信じ続ける戦いは、今の時代に日々の生活の中にあります。私たちはその戦いを日々
立派に戦い抜いて行くところから始め出さなければなりません。「立派に戦い抜く」と言うと、
何か構えてしまいますが、格好良くやる事ではありません。むしろ泥臭い努力が大切なのです。
ただ、ビビらずに、全能主を信頼し続けて行く意識を強く持って、どんなことにも挑戦して行く
ことが、「主を信じ続ける戦いを立派に戦い抜く」ということなのです。
全能主は、この一途な心を喜んで下さいます。だから、私たちは全能主を信じるが故に、何に対し
ても一生懸命努力して行くのです。「全能主は、一途な心が好きです。」ですから、その者に目を
留めて、天に迎え入れて下さいます。それなら、私たちは何をするにも、一途に主を信頼する心を
持って取り組み、永遠の命を獲得しようではありませんか。私たちは、「イエス・キリストの
贖い」というものを知り、それを信じた者たちです。だったら、何が何でもその命に与らなければ、
ただの空しい人生で終わってしまいます。
どうか、どんなことに対しても、「全能主には出来る」という信仰を働かせ、そこに意識を向け
て、歩み出しましょう。そして、全能主の御心であることが分かったら、後先考えずにやって行く
のです。全能主に不可能はありませんから、やれば絶対に何とかなります。この一途な心を持っ
て、主を信じ続ける戦いを立派に戦い抜き、「永遠の命を獲得する者」になろうではありません
か。 |
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