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2020年10月25日

罪を100%認め、悔い改めて初心に戻る

使徒の働き5:1~11


(起)使徒行伝5章のアナニヤとサッピラの記事を通して、「自分の罪を100%認め、悔い

改めて初心に戻ること」を学んで行きたいと思います。



(承)さて、アナニヤとサッピラという夫婦が、地所を売り、その代金の一部を残して使徒たち

の所に持って行きました。その時彼らは、地所を売った代金の全額を持って来たかのように見せ

かけ、使徒たちを欺こうとしたのです。しかし、そんなことをしなくても、「それは売らずに

残しておいても、自分の物であり、売ってからでも自分の自由になったのではないか」とペテロ

が言っているように、正直に「代金の一部は自分たちの必要のために残しておきました」と言え

ば、それはそれで問題はなかったはずです。ところが、サタンに心を奪われた彼らは、サタン

から「代金の一部を残しておいても、黙っておけば誰にも分からないぞ」と(そそのか)され、「如何にも

全額捧げたように見せかけた」のです。これは、使徒たち、聖霊、そして全能主を欺くことだった

のです。そして、アナニヤとサッピラは まんまとサタンの(わな)()っかかり、夫婦で示し

合わせて代金を誤魔化したのです。しかし、それでもやってしまった後で、正直に告白すれば展開

は変わっていたでしょう。すなわち、自分たちの欺きを正直に認め「全能主の前に間違っていま

した」と責任を取り、自己否定の態度を取ったなら、「死」という結果までには至らなかった筈

です。ところが、そこでも彼らはサタンに唆さ(そそのか)
れ「今、お前たちが謝ったところで何になる。

言えば言うほど惨めになるだけだ。この際突っ張った方がいい」と言う悪魔の語りかけに乗り、

誤魔化しの方向に向かっていきました。この件を通して、全能主の前では「心の中の欺き、嘘、

誤魔化しは通用しない」ということがはっきりと示され、教会全体とそれを聞いた人たちに、

非常な恐れが生じたのです。それは、全能主は私たちの心の中を全部お見通しだからです。 

そして、先程も申し上げたように、
サタンも私たちを(そそのか)し、その後では私たちの(あざむ)きを見透(みす)かして

訴えてくるのです。なぜなら、サタンは心の中の誰にも分からない筈の隠れた部分も知っている

からです。そして、私たちを責め、脅かし、罪の虜にして、自信を失わせていくのです。このこと

は、これからの患難時代で起こってくることです。すると、私たちは一気に悪霊の支配の中に

置かれてしまい、恐れの虜になって信仰から離れてしまいます。ですから、そうならないために

悪霊から離れる
(すべ)を知っておかなければなりません。それを心得ておかないと、私たちは悪霊

にやられて終わってしまいます



(転)では、悪霊から離れる(すべ)とは一体何でしょうか。それは、先程も申し上げたように、

自分の罪を誤魔化さず、正直に認めることです。それは、「もう嘘を言わず、一切誤魔化しをし

ない人間になる」ということではありません。私たちは(なお)、罪を犯してしまい、誤魔化しもする

人間です。その現実は変わりません。ですから、「自分は罪人です」という事実を正直に認めて

いることです。そうすれば、たとえ自分が過ちを犯した時でも、自分を見つめて、悔い改めよう

とするでしょう。本来、「
私たちは、子どものころからずっと自分を誤魔化し、損得感情で自分

勝手な行いをして来た者です。だから、自分の罪を嫌と言うほど思い知らされています。

ですから、自分にあるのは罪だけです
」ということを本当に認めていたならば、罪を指摘された

ときに誤魔化さず正直に認めようとするでしょう
そうすれば、全能主も、「私たちが心の底から

それを言い表すなら、全能主はその罪を赦し、全ての不義から清めて下さいます。」
と言われる

のです。その「悔いし砕かれた心を蔑まない」と言われるのが、私たちの全能主です。ですから、

この悔いる心を持っていたなら、私たちは「自分はそれをやりました。何も申し開きできません。

言い訳もできません」と一切弁解せず、自分の罪をそのまま告白して認めて行くでしょう。

しかし、サタンからは「お前は自分の罪をさらけ出せる訳がない。それを言ったら惨めになるぞ」

と思わされ、その声に従ってアナニヤのように(しら)切っていけば、もうサタンの罠から逃げられ

ません。悪霊と共にゲヘナの火の中に投げ込まれます。これがアナニヤとサッピラの事件の教訓

です。


(結)こういうわけで、私たちが悪霊から離れる道は、自分自身の罪を100%認めることです。

罪を犯さなくなることは出来ませんが、認めることは出来るはずです。すなわち、自分に対する

全面否定です。今現在、「砕かれた悔いし心」を持ちたいと思っても持てないのは、悪霊に心の

(きも)(つか)まれて、悪霊に(だま)されているからです
。私たちが隠し続けてきた、認めていない罪を

悪霊は全部知っています。だから自分の心が見透かされていますので素直になれないのです。

どうか、その悪霊の支配から離れて下さい。離れる道は、自分の罪を100%全能主には認めて

いくことです。そうすれば、聖霊と全能主を欺くことは、しなくなります。私たちは、自分の過去

の一点の過ちだけを悔いるのではなく、子供のころから醜い損得勘定で人を騙してきた罪だらけ

の卑怯な自分である事実を認めることです。その事実の土台の上に立ったら、遜る心を持つで

しょう。そして、全能主を信じ、イエス様を信じるのです。どうか、恵みで何でもかんでも赦さ

れているから、大丈夫と安易に考えるのは止めましょう。そうではなく、「罪を100%認めて、

悔い改めて初心に戻る」
という謙りの中に戻って、一から始め出そうではありませんか。

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