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2019年 NO.692


明治維新の謎と西欧主義の(へい)


 明治維新の立役者たちは「尊王攘夷(じょうい)」を旗印に、天皇の意向を重んじ、外敵を打ち

払うために行動を起こした人々です。ですから、彼らは鎖国を解いてアメリカと通商

条約を結んだ幕府に異を唱え、天皇を中心とした攘夷を行うはずだったのです。

ところが、薩摩と長州は突然方向転換をして、西欧列強の仲間入りを果たそうとして、

いつの間にか開国の方向に向かい、文明開化と富国強兵に力を入れてイギリスの真似を

始めました。そして、明治政府は、元皇族・公家・大名・維新の功労者を新華族として

華族制度を創設し、イギリスの貴族制度を模倣して、公爵、侯爵(こうしゃく)、伯爵、子爵、男爵

からなる五つの爵位を設け、イギリスの傀儡(かいらい)国家となったのです。


 この背景には、明治維新の5年前に長州の5人(伊藤博文・井上(かおる)・野村弥吉

・山尾庸三(ようぞう)・遠藤謹助(きんすけ)がグラバーの援助でイギリスに留学しており、また、明治維新

の3年前には薩摩藩がイギリスに使節団を送っています。この内の一人が伊藤博文で

あり総理大臣となって大日本帝国憲法の起草の中心となり、井上(かおる)は外務大臣・大蔵

大臣となって、明治以後の日本の舵取りをする中心人物になって行きました。このよう

に、彼らの目差した維新は、決して尊皇(そんのう)攘夷(じょうい)ではなく、むしろ日本を鎖国から開国して

西欧列強の真似をすることでした。ですから、この明治維新の背後にはイギリスが

おり、中国をアヘン漬けにして10兆円を清国から巻き上げたイギリスが、次のター

ゲットを日本に絞った戦略だったのです。


 日本は黄金の国ジパングと言われた国です。その日本にイギリスやフランスが目に

留めないはずがありません。1859年(明治維新の9年前)に、イギリスはアヘン

戦争で手に入れた財力を手にして、イギリス人のトーマス・グラバーが来日し、長崎に

グラバー商会を設立しました。この時グラバーは、坂本龍馬を始め明治維新の立役者

たちに、金銀を湯水のように提供し、薩摩・長州の二藩に武器、弾薬を供給し、「内戦

を起こさせろ」と考えたのです。当時、幕府軍には100万人の兵がいました。薩長の

維新軍は5000人です。つまり幕府軍が圧倒的に兵力が上回っていました。なのに、

征夷大将軍(天皇から使命を受けて外国人を打ち払う武士の棟梁)であった徳川慶喜
(よしのぶ)
は、

わずかな側近を連れて夜中に抜け出し、江戸に戻ってしまったのです。

それは、イギリスから維新軍に宛がわれた圧倒的な近代兵器の力にさらされたから

です。そして、本来なら日本の侍は、降参したら「殿を出せ、切腹だ」で終わりで

した。それが日本の戦(いくさ)の伝統です。しかし、わざわざ恭順(きょうじゅん)の意を表していた

会津藩を福島まで追いかけて皆殺しにし、函館まで殺戮(さつりく)に行ったのです。

なぜでしょうか?あまりにも理不尽です。それは、清国とのアヘン戦争で、イギリスを

多くの将兵を失ったので、自国の兵が犠牲を失ったので、自国の兵が犠牲になることを

嫌って、「征服させる民はその国で戦争を起こさせる」という政策に変わって、「日本人

は日本人に殺させよ」というイギリスのアジア戦略があったからです。これにまんまと

乗っかかったのが薩摩と長州藩でした。そして、明治維新は尊皇攘夷(じょうい)ではなく、尊英開

国となり、日本は鎖国から開国して、英国の貴族制度を真似して、欧米式のヒューマニ

ズムの自由主義国家を作り上げて行ったのです。ここで日本は武士道による「滅私奉公

の精神」から、西欧の絶対主から自律した「ヒューマニズムの民主主義」に変遷(へんせん)

して行ったのです。民主主義とは、個人が主権を持つことですから、個人の主権による

多数決で決められて行きます。そこには、個人の主権・自由・自律が尊重され、「滅私

奉公」の心が失われて行ったのです。 このヒューマニズムの個人主義は、今日のクリス

チャンにとって大きな信仰の弊害となっています。それは「誰でも、わたしについて

来たいと思うなら、自分自身を徹底的に否定し、自分の十字架を負って、わたしに

従って来なさい」(マタイ16:24)と言われたイエス様の精神は、「滅私奉公の

精神」
です。西欧のヒューマニズムは、「絶対主からの自律した個人主義」の富の追求

です。そこにはまった日本は、を吸い取られて行きました。しかし、キリストの救い

の真理は、「自分の命を救おうと思う者は、それを失う」(マタイ16:25)とあり

ます。主を信じるとは、地上の幸いを追い求めることではなく、天の御国です。クリス

チャンの国籍は天です。だから、クリスチャンはこの地上にある富の追求ではありませ

ん。
全てを絶対主に懸けて行くことです。私たちは、生まれながらに民主主義の申し子

です。そのため、個人主義の「我」から離れることが出来ません。しかし、救いの根拠

は、自分ではなく、キリストの贖いが全てですから、キリスト中心主義です。
「心を

入れ変えてキリストに依り頼んで行く」のです(マタイ18:3)。
クリスチャンは

西洋の「ヒューマニズムの精神」から、キリストにある「滅私奉公の精神」に入れ

変え、日本人の心を取り戻した生き方に改めて行きましょう。

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