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2019年 NO.685


主に明け渡す決断


  人の命は偶然に出来るような命ではありません。人間は人として一生を生きる能力が与え

られています。そして、人には考える能力があります。だから、単なる物ではありません。

この考える能力は自分で持つことが出来たのでしょうか。(いえ)、自分が造り上げたものは

一つもありません。また、親が造ったわけでもありません。親は子を産む能力が与えられて

いたので、子を産むことが出来たに過ぎません。人は誰一人、自分の意思で生まれて来た者

はいないのです。人の命は全て全能の力を持った創造主の創造の結果、私たちに与えられ

たものです。その方は当然考える能力を持っておられるお方です。
 
 ですから、我々にもこのような考える能力を与えることが出来たのです。また、この自然界

も決して自分で考えて存在したのではありません。自然界の秩序は、全能主の知恵の下で

成り立っています。その自然界の秩序は、全て考え尽くされて仕組まれています。例えば、

海の水は太陽の熱で蒸発してしまえば、いずれ干し上がってしまい海の生物は死に絶えてし

まいます。しかし、海の水は雨となってまた降り注いで来ます。このシステムは偶然には

出来上がりません。全ては、創造主の手によって仕組まれています。また人間の体には

10万kmに及ぶ血管網が身体中の組織に張り巡らされ、60兆個の細胞に栄養を与え続けて、

各器官が毎日働くように仕組まれています。


  このように、自然界や私たちの命は、全て与えられたものです。それなのに、私たちは

「自分の命は自分のものだ」と考えており、私たちは自分を守る思い、自分勝手な考えに

基づく自己主張を当然の権利であると思って我を通して来ました。 しかし、私たちの命は

自分のものではなく、創った方のものであるなら、自己主張は明け渡さなければなりません。

しかし、その決断をすることを私たちの心は嫌がります。なぜなら、自分の思い通りに出来

なくなってしまうからです。そこで、「私たちは自分の我を主張して思い通りの人生を送る

か」あるいは、「この心を明け渡して絶対主の為に使って頂く人生を送るか」、どちらが

私たちの本音でしょうか。もし、私たちの本音が「絶対主のために生きて行きたい」と願う

なら、その本音の心に従って、「この心を主に明け渡して行くべき」ではないでしょうか?


この答えは、自分の本音がどう思っているかで決まるはずです。「自分の本音が主に従って

行きたい」と願っているのなら、その生き方を始め出してもいいのではないでしょうか。


この決断は、人に求められてするのではなく、自分の心に聞いて決断をするのです。そして、

「主に自分の心を明け渡して従って行く」と決めたなら、絶対主は大いに喜ばれるでしょう。

なぜなら、命の創造主ですから。そして、私たちが本来の正しい道理に従う決断ですから、

その決断と共に平安と安堵感が絶対主から与えられます。それは、
私たちが命を頂いて生まれ

て来た、本来の生き方の中に歩み出すことですから、
そこに人としての生き甲斐が起こって

来るのは必然でしょう。
どうか、自分の心を明け渡して従って行くこの定めによって、

私たちの真実な信仰の一歩を踏み出しましょう。

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