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2019年 NO.686


信仰の本音に立てない理由


 私たちの心には、自分が責められたり、過ちを犯した場合、必ず自分の罪を弱める

言い方をします。それは、言い訳となって表現されたり、へり下っているかのように

見せかけて、実は自分の言い分を宣べて、少しでも自分の過ちを軽く見せかけようと

します。この癖はアダムとエバが罪を犯した時から始まっています。ヤハウェなる

絶対主がアダムに呼びかけ「あなたはどこにいるのか」と聞かれた時、彼は「園の中

であなたの歩まれる音を聞き、私は裸だったので、恐れて身を隠したのです。」と

答えました。確かに、一面ではこの返答もウソではないでしょう。しかし、実際には

絶対主の戒めを破って罪を犯したので、 恐れて身を隠したのが本音です。しかし、

アダムは自分の言いたくない理由は伏せて、自分が裸だったので身を隠したと答え

ましたが、「裸だと、どうして気づいたのか」を言わなかったのです。しかし、

「絶対主が近づいて来られたから恐れて身を隠した」と言って、「絶対主が来られ

なかったら、自分は身を隠すことをしなかったのです」と言い訳して、如何にも身

を隠したのは、絶対主の所為であるが如くに言い訳しているのです。これが人類最初

の言い訳をして、自分の罪を誤魔化した人間の罪の性質であり、少しでも自分の過ち

を過小申告しようとする人間の悪知恵の始まりです。これは蛇の悪賢さが乗り移った

証しです。
この罪の性質は、私たちが生まれた時から持ち合わせている罪の性質の

根本です。この言い訳を絶対主は一番嫌われます。なぜなら、イエス・キリストの

命を懸けて、人の罪の贖いをして下さっていたからです。ですから、絶対主の側から

見れば、「自分の罪を薄めず、自分の罪を正直に認めて告白しなさい」と私たちに

求めておられるのが分かります。しかし、私たちは過ちを指摘されると反射的に自分

の言い訳をしようと、心が働くのです。それは、正直に本音を表すと損をすると思う

からです
この罪の性質が、絶対主をどこまでも信頼して行くジョージ・ミュラー

さんの信仰に習うことを妨げる理由となっているのです。それは、自分の本音に立つ

勇気がないからです。だから、信仰の本音に立てないのです。いくら心の中で「絶対

主を中心に生きて行きたい」と思っても、自分の都合の悪い時にはその本音を表さ

ない。だから、全て本音で生きることが出来ないのです。

 もし、私たちが「信仰の本音で生きて行きたい。本音を通して行きたい」と思う

なら、罪を犯した時も、言い訳なしで自分の肉の本音を表すべきです。たとえ、本音

を表すことによって不利になったとしても、絶対主は、正直な本音を表した者を、

「軽しめることはしない」と言われており、その約束によって、キリストの贖いに

よる効力が発揮され、赦しが与えられて、再び()り直すことが出来るのです。


  ですから、何事に()いても、本音で生きるなら、その生き方は絶対主に繋がって

行くのです。ということは、自分が心で決心した霊の本音の決断は、その通り一本道

を通して行くべきです。
せっかく、自分の霊の本音に立ち帰ったのに、その決断に

基づく生き方を始めることを恐れたら、自分の全ての本音を失うことになります。

ですから、何事も本音を貫き、本音で生きる信仰の人生を、勇気を持って始め出し

ましょう。

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