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2019年 NO.668


メッセージを実践して行く祈り


 クリスチャンの祈りは、絶対主の御心に添う祈りでなければ意味がありません。

なぜなら、祈りは自分の思いを絶対主に押し付けるものではないからです。私たちは、

どこまでも絶対主によって創られた命です。ですから、自分の勝手な言い分をいくら述べ

ても、その祈りが聞かれるかどうかは、分かりません。祈りの応答は絶対主の主権にかかっ

ています。
祈る側は自分の気持ちを分かって欲しいと思って、ありったけの感情を言葉に

現して、絶対主に訴えようとします。しかし、祈りを聞いておられる絶対主にとって、

人間の身勝手な祈りは聞きたくないものです。ですから、祈りを無視されることは当然

あることです。逆に絶対主の心を揺さ振る祈りには、絶対主も耳を傾けられ、その人の

祈りに答えてあげたいと思われることでしょう。ですから、私たちはどこまでも自分勝手

な祈りではなくへり下った心によって、絶対主の御心にかなった祈りをすることが、

大事な祈りの基本
です。

 また、私たちがメッセージを聞いて、語られた勧めを如何にも悟ったが如く「自分に

言い聞かせて祈る」祈りをよく耳にします。しかし、そのような祈りは、一見信仰深い

祈りのように思われますが、メッセージが心に結びつけられていないので、絶対主に

対する応答の祈りではなく、ただ頭に留めて、自分に言い聞かせようとしている言葉で

あって、その祈りは心の発露から出た祈りではないのです。メッセージは、律法ではあり

ません。だから、自分に言い聞かせて守らせようとするものではなく、心の中で同意され

たメッセージとして、実践に移して行くための祈りであるべきです。実践して行く祈りは、

そのメッセージに同意し、そのメッセージの当事者となって絶対主の御心に添った信仰の

行いとなって現れてくるものです。
なぜなら、そのメッセージは、自分の心に結びついた

からです。すると、その人の祈りは、メッセージを実践していく前提の祈りになって行く

ので、その祈りが絶対主の心を揺り動かすのです。


 このように、メッセージを実践していく祈りとは、自分の命と自分の心は絶対主が創造さ

れたものですから、絶対主の心に合わせて行く祈りとなって行きます。すなわち、「自分

の命も心も主のものである」というへり下った信仰は、絶対主の御心が分かった時点で、

「その通り行います」という素直な応答となって行くでしょう。その素直な応答の祈り

は、絶対主の御心に添う祈りとなりますので、確信をもって大胆な祈りとなります。

このように、私たちの心を、常に絶対主の心に合わせて行く祈りこそが、「絶対主が喜ばれ

る祈り」なのです
から、自分勝手な心から、まず絶対主を第一とする信仰へと改めて行きま

しょう。



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