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2019年 NO.669


閉じられた系から開かれた系へ


 初期の科学者は、世界が理性的な絶対主によって創造されたことを信じていたので、人々が

理性に基づいて自然と宇宙に関して秩序を発見できるという事を当然のように受け入れていま

した。だから、途方も無い熱心さをもって、自然界と宇宙に関する秩序ある法則を発見する

ために、信じられない程の努力と時間を(つい)やすことが出来たのです。しかし、もし偶然に

始まった世界であるなら、秩序のない偶然の広がりだけの自然界が存在するだけで、科学者は

気まぐれな無秩序の世界を研究しようとは思わなかったことでしょう。

 このように、聖書を信じていた時代の科学者は、絶対主が宇宙的な規模の外側にいる方

として見ていた
ので宇宙の外側には壁はなく、全ては「開かれた系」の中で考えていたのです。

しかし、ヒューマニズムを取り入れた科学者たちは、人間は人間自身から出発して、すべての

問題を解くことができると確信し、「私に時間さえくれれば、私は私の思うことができる」

と、人間の完璧な自律に立ちました。それ故に、科学者は宇宙の外側には人格的な神は存在

しておらず、宇宙を「閉じられた系」の枠内に納めてしまい、絶対主をこの世界から締め出して

しまったのです。こうして、現代思想の多くは、「閉じられた系」の中で科学し、すべての

ものの始まりは、原子又は分子、あるいはエネルギー粒子という非人格的なものをもって

始まると考え、命は、その非人格的なものから偶然によってできた単なる分子の集合体であり、

「岩から自分自身を引きちぎって出て来た命」であると考えたのです。このように、偶然を

自分の命の出所であると信じてしまったら、その人には一体 どういうものが最終的な価値

として残されるのでしょうか?「閉じられた系」の中では、人間の理性や、合理主義的な考え

によって、人間のような超複雑な秩序ある命の仕組みを説明することはできません。なぜなら、

「閉じた系での唯物論の世界観は、偶然のみが生物学的複雑さを生み、その複雑さが増して

行く方向に行くことを証明しなくてはならないから」です。しかし、エントロピーの法則は

「時間と共に秩序を失い、不規則性が増すだけである」と、自然界の法則の事実を逆説的に

証明しているのです。このことから、「閉じた系」の中で全てが成り立つという考え方は崩れ

去ってしまいました。

 
 さて、今日のクリスチャンの信仰のあり方も、「閉じられた系」の中で信じる信仰を探し

求めても、絶対主を発見することはできません。絶対主は「閉じられた系」の外で存在される

のです。
ですから、絶対主を発見したいと願うなら、「閉じられた系」を打ち破り、「開かれ

た系」の中で絶対主を見出そうとしなければなりません。絶対主は、この天地万物を創造

された方ですから、宇宙の外の絶対主がおられるところに目を向け、その方に祈るのです。

人間のちっぽけな頭で考え、自分に言い聞かせるような祈りは相応しくありません。全能の力

を持っておられる 完全なお方に目を向け、「閉じられた系」の中から飛び出して、全能主で

ある絶対主の手の中にある自分として、全幅の信頼を寄せて、不信仰な閉じた系の壁に穴を

開け、全能なる絶対主に全面的に信頼する心を以って、 確信に満ちた大胆な信仰の歩みを

始め出しましょう。



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