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2019年6月30日
聖書は正しい。絶対主は正しい。

第Ⅰヨハネ3:1~12


(起)「自分の内側の声は蛇の悪知恵の影響を受けた知性だと知って、そこから離れ、

『聖書は正しい。絶対主は正しい』というところに立ち戻り、『どこまでも絶対主の

お考えに自分の心を合わせていく事、そして絶対主のために精一杯やらせて下さい』」

という心を学んで行きたいと思います。


(承)さて、ヨハネがこの手紙を書いた目的は、第Ⅰヨハネ2章1節にありますように、

「私たちが罪を犯さないためです」とあります。すると、私たちはすぐ、「では、自分は

どうすれば罪を犯さないようになれるのか」と考えてしまいます。しかし、答えは「どう

すれば」ではなく、「絶対主の言葉に留まり続けることが、罪を犯さない秘訣」なのです。

そのことについて、「人間が罪に陥ったのは一体どこからなのか」というルーツから

考えて行きたいと思います。創世記3章を見て行きますと、エバが蛇に騙されて罪を

犯した記事があります。その中には、「蛇は、絶対主が造られた野のすべての生き物の

中で、最もずる賢いものであった」とあります。「ずる賢い」ということは、「悪知恵が

働く」ということです。蛇はその悪知恵を使い、エバに向かって「園にあるどの木からも

取って食べるな、と本当に絶対主が言われたのですか」と聞きました。そこでエバは、

『私たちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ、園の中央にある木の実に

ついては、それを取って食べてはいけない。また、触れてもいけない。あなた方が、

死んではいけないから』と、絶対主は言われました」と答えました。すると、蛇はまた

悪知恵を働かせて、「あなた方は決して死ぬことはありません。なぜなら、それを食べる

日に、あなた方の目が開け、絶対主のように善悪を知る者となることを、絶対主は知って

おられるからです」と言いました。すると、エバはその蛇の言葉を聞き入れ、木の実を

食べてしまったのです。何故エバは、絶対主から「園の中央にある木の実は食べてはいけ

ない。それを食べると死ぬから」と言われていたにも拘わらず、蛇の悪知恵に騙されて

しまったのでしょうか。それは、「絶対主のように賢い者になりたい」という自分の内側

の声を聞き、その思いに立ったからです。そこを蛇に()つかれ、(そそのか)されたの

です。絶対主の言葉に素直に従い、そこに留まっていれば良かったものの、あえて絶対主

の言葉を横に置いて自分の思いに立ち、自分にとって都合のいい蛇の言葉を聞き入れて

しまったのです。その時から、人は罪の心を持ち、絶対主に逆らうようになって自分勝手な

歩みを始め、エバの子孫として、私たちもそのような自分中心な歩みを続けて来たのが現状

です。


(転) では、私たちがその生き方を転換して行くためにはどうすれば良いのでしょうか。

それは、
「絶対主は正しい」というところに立つことです。すなわち、絶対主が言われた

「園の中央にある木の実は食べてはいけない。それを食べると死ぬから」と言われたこと

が正しかったのですから、
「素直に絶対主の言葉を聞いて行くところに私は戻ります」

という心の転換が必要
なのです。しかしながら、私たちは普段、自分の内側の声を聞き

つつ、同時に絶対主の声も聞こうとしています。それは、
自分の内側の声を完全に否定

したくない
からです。だから、「自分の内側にはこういう思いがあるのです」と主張し、

「自分は正しい」ということを相手に分かってもらおうとするのです。ところが、私たち

の内側の声が自分にとって真実で正しい声だと思ったら大間違いです。私たちの内側の声、

すなわち
私たちの知性は、蛇の悪賢さの影響を受けた知性であり、そこに正しさは一つも

ありません。すなわち、私たちは知性も意志も、全て全的堕落の中に陥っているのです。


もし私たちがこのことを悟るならば、自分自身が過ちを犯した時に、自分の内側の声に

左右されることがなく自分の反発を横に置いて、「とにかく相手が言っていることを

聞こう」と言う方向に向って行くはずです。すると、相手が何のために自分を怒って

いるのかが分かってきます。それが分かれば、「自分が悪かった」と、へりくだって

過ちから離れて行こうとします。それが、「誰でもキリストに在る者は、罪を犯し続け

ません」(第Ⅰヨハネ3:6)という御言葉の意味なのです。ですから、ヨハネは「クリ

スチャンが絶対主を信じてイエス・キリストの贖いを受け、その救いに(あずか)ったの

なら、自分の内側から出る反発の声を聞き続けて行ってはいけません」と語っているのです。

(結) こういうわけですから、私たちはもう自分の内側の声に(こだわ)るのはやめま

しょう。絶対主の御心を行っていきたいと思うならば、いつまでも自分の内側の声に

聞き従っていてはいけません。むしろ、私たちは自分の内側の声を横に置き、絶対主の

声を聞いて行く潔さが必要です。どうか、
自分の内側の声は蛇の悪知恵の影響を受けた 

知性だと悟り、そこから離れて下さい。
そして、「聖書は正しい。絶対主は正しい」

というところに立ち戻り
「どこまでも絶対主のお考えに自分の心を合わせて従います。

絶対主のために精一杯やらせて下さい」という心を表して 行きましょう。


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