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2019年4月14日


絶対主のこだわりの上に自分の信仰を積み上げていく


マルコの福音書4:4~9、14~20

(起)マルコの福音書4章の種蒔きのたとえから、「絶対主のお考えを学び、絶対主のこだわりの

上に、自分の信仰を積み上げて行く」ことを学んで行きたいと思います。

(承)さて、この「種蒔きのたとえ」の中には、道端に蒔かれた種、岩地に蒔かれた種、茨の中に

蒔かれた種、良い地に蒔かれた種が出てきます。そして、それぞれどのような人に当てはまるのか、

解き明かしが記されています。まず、道端に蒔かれた種とは、聞いた御言葉をすぐにサタンに奪わ

れてしまう人です。次に、岩地に蒔かれた種とは、御言葉を聞くと、喜んで受けるが、困難や迫害

が起こってくると、つまずいてしまう人です。そして、茨の中に蒔かれた種とは、世の心遣いや

富の惑わしなどによって御言葉を塞ぎ、実を結ばない人のことです。最後に、良い地に蒔かれた種

とは、御言葉を聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人です。私たちは、幸いにも前半

の三つの種には当てはまりません。なぜなら、今まで私たちの教会に出席していた者たちの中で、

教会を去って行った者たちもたくさんいます。しかし、私たちはずっと教会に留まり、絶対主を

信頼し、絶対主に希望を抱き続けて来た者です。それは、「岩地の中に蒔かれた種ではなく、また

茨の中に蒔かれた種でもない」ということです。ならば、私たちは良い地に蒔かれた種である可能性

が高いのです。ところが、まだ私たちは三十倍、六十倍、百倍の実を結んでいません。

だから、私たちが良い地に蒔かれた種だとは、まだ言いきれません。しかし、絶対主は私たちが、

良い地に蒔かれた種の可能性が高い者と見ていて下さっているのです。なぜなら、前の三つの

「つまずいた種」ではないことは確かですから、何とか百倍の実を結ぶ者になってほしいと絶対主が

願っておられるからです。そして、そのような者になるために、「聞く耳のある者は聞きなさい」

と語られたイエス様のメッセージを心に入れるべきです。実は、この「聞く耳のある者は聞きな

さい」というのが、このたとえの中で一番重要なメッセージなのです。


(転)では、「聞く耳のある者は聞きなさい」とは、どういう意味でしょうか。

それは、ただ言われたことを聞くだけではなく、「
言われたことを受け入れて、そのままやること

です。しかし、イエス様が語られた内容は、決して地上的なレベルの内容ではありませんので、

私たちが知っている地上的な考えで聞いて理解できるようなものではないのです。だから、私たちの

地上的な御利益を願って聞こうとする聞き方から離れ、どこまでも絶対主の側に立って、絶対主の

考えのこだわりを受け入れる心が必要です。その際、
私たちが自分勝手なこだわりを持っていたら、

絶対主のこだわりは私たちの中に入ってきませんから、まず私たちが自分のこだわりを捨て、

こだわりをゼロにして聞く必要があります。すなわち、「空っぽの器です。」
私たちは、自分の中に

ある、わずかばかりの能力によって獲得した知識に頼って、その上に積み上げて行くのではなく、

全くゼロの上に絶対主のお考えを積み上げて行くのです。なぜなら、絶対主の考え方は、この地上的

な考えではなく、天的な判断に基づいているからです。それは、これまでの私たちの意識の中に

登って来なかったものです。ですから、私たちの考え方を、絶対主に合わせる勇気を持って考え

出す事を始め出す必要があります。すると、
自分でも知らないうちに絶対主の側に立って物事を

考えている自分自身を見い出すのです。
植物は、種を蒔くと知らないうちに芽を出し、知らない

うちに成長します。同じように、
聞く耳を持つ者は、どんなに小さく、取るに足らない者でも、

知らないうちに芽を出し、知らないうちに成長している自分を見るのです。それは自分自身の努力

によるではなく、聞く耳を持ってそのまま従って行こうとする者たちを、絶対主が成長させて下さる

からです。

(結) こういうわけですから、私たちは地上的な見方をする自分のこだわりを捨て、まず絶対主の

見方をする自分は素人で、ゼロだという土台に立ちましょう。そして、今ここに残されている

私たちは、「道端に蒔かれた種、岩地に蒔かれた種、茨の中に蒔かれた種」ではなく、「良い地に

蒔かれた種」である可能性が十分あるのですから、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ者となって

行くチャンスがあります。だから、今そのチャンスを掴み、その中に一歩踏み出しましょう。

そのためには、御言葉を聞いて行く素直さを持ち、全面的に絶対主に聞いて行こうとする思いに

切り替えていくことです。「あれを失敗したから、これができなかったから、自分はゼロです」

ではなく、「絶対主の前にあって、絶対主の考え方をしていく経験は、自分にはゼロなのです」

から、へりくだりの心を持って大胆に始め出しましょう。どこまでも絶対主に頼り、絶対主の

こだわり、絶対主のお考えを、積み上げて行くのが信仰です。すると、
自分でも知らないうちに、

三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ者にされているのです。
どうか、この天の御国のたとえの醍醐味

を味わう一歩踏み出そうではありませんか。


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