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2018年 NO.659


主の言葉はとこしえに変わることがない。
Tペテロ1:25



 私たちは聖書のことばを信じて、イエス様の救いを信じました。ですから、信じることの

土台はどこまでも聖書にあります。しかも、その聖書のことばは、永遠に変わることがあり

ません。しかし、人は簡単に移り変わって行きます。御言には「人は皆草のごとく、その

栄華はみな草の花のごとく。草は枯れ、花は散る」(Tペテロ1:25)とあるように、

人の一生は「光陰矢のごとく」、あっと言う間に月日が過ぎ去り、人生の50年は消え

去って行きます。ですから、人の考え方も、世が移り変わって行くように、人生観や価値観

もテレビの影響を受けて簡単に変わってしまいます。なのに、なかなか変わらないのが、

クリスチャンの心です。


 クリスチャンは、自分の命の出所は、この天地万物を創られた絶対主であることを知り、

自分に命の主権がないことを知りました。それなのに、自分に全ての自由意志と主権がある

と思い続けています。しかし、命の創り主なる絶対主を知った以上、私たちは被造物です。


ですから、決して自分たちに主権があるわけではないのです。天地万物の存在は、創られた

お方が全ての主権を握っておられるのです。なのに、信じる前に持っていた自意識だけは

強くあり、自律心だけは旺盛で、聖書が語っていることも全て自分流で解釈し、都合の

悪い御言葉は流し読みしてしまうのです。そして、「自分は、こう思うから、それでいいん

だ」と我を通しているのです。しかし、絶対主の存在が明らかになった今、「自分はこれで

いいんだ」という訳にはいきません。その自分勝手な考えに立つのが、絶対主に対する

「罪」だからです。「罪」は必ず裁きの対象になります。その裁きの主権を持っている

お方が、私たちの命を創られた絶対主です。ということは、私たちの考え方を絶対主を

第一とする考え方に「ガラット」替えて行かねば、絶対主にあって生きる永遠の命の保障は

ありません。


 そこで、私たちの考え方をどのように変えるのかと申しますと、「永遠に変わることの

ない絶対主の考えに、私たちの考えを合わせて行くこと」です。それは、「自分はこう思う

から、それでいい」というのではなく、「聖書にはこうあるから、それでいい」、「絶対主

がこう言われているから、それでいい」という考え方に替えて行くのです。このアプローチ

なら、「『自分の我を砕いて、自分を徹底的に否定する』ことによって、絶対主の考えに

合わせて行く」というアプローチよりも、素直に考え方の土台を変える方が替え易いはず

です。自分の我を砕き、否定して行くのは正しいことですが、自分の思いは、死ぬまで

消えませんので、自分の思いを無くして、考え方を替えるのは難しいことです。

しかし、私たちの信じる土台は聖書ですから、永遠に変わらない聖書の考え方に変えて

行こうと決心する方が、替え易いはずです。女性が嫁いだら、嫁ぎ先のしきたりに変えるの

が当然と思うのと同じです。どうか、信じたクリスチャンの心が変わらず、未信者時代と

同じでは、クリスチャンの新しい生き方は始まりません。ですから、たとえ生まれながらの

考え方を持っていても、聖書の考え方に取り替えて行こうと決心することは出来るはず

です。どうか、この本当のクリスチャンの歩みを始め出しましょう。

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