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2019年 NO.660


砕かれた心とは


  絶対主が罪人の人間に求めておられるのは、「砕かれた心」です。詩篇511617節には

「たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを望まれません。絶対主へのいけにえ

は、砕かれた魂、砕かれた悔いし心。絶対主よ!あなたはそれをさげすまれません」とあり

ます。この「砕かれた心」は、絶対主の前に信者も未信者も必要な心です。

特にイエス・キリストの救いに預かった人は、この砕かれた心を土台にして、絶対主を信じ、

絶対主に従って行くのです。


   では、この「砕かれた心」とはどんな心なのでしょうか?それは、「自分ありき」の心から

「絶対主ありき」の心に、自分の心の立ち位置を変えて行くことです。クリスチャンは、自分

の罪に気づき、自分が罪人だと分かった時、「自分ありき」の心から「絶対主ありき」の心に

変えて信じたはずです。また、クリスチャンが献身の心を持った時、やはり「自分ありき」の

心から「絶対主ありき」の心に変えたはずです。それは、私たちの心の中には魔物が住み着いて

おり、魔物は私たちの心をいつも自分勝手な考えに立たせます。それは、アダムとエバが悪魔の

言いなりになることを決めた時からです。ですから、クリスチャンは、その言いなりになる

相手を間違えていることに気づくべきです。
本来、人は絶対主に創られた者です。

ですから、絶対主の前に生きることが分かったクリスチャンは、絶対主の言いなりになる心に

変えて行く必要があります。キリストの救いを信じた時には、そのようにすると決めたはず

です。しかし、いつの間にか、魔物の声に聞き従うように(そそのか)されて落ちてしまったの

です。ですから、今一度信じた時に戻り、明確に心の立ち位置を「絶対主ありき」に変えて

行かねばなりません。この絶対主ありきの心は、「絶対主を重んじる心」です。また、自分が

他人に対してへり下りの心をもって、「互いに人を自分より優れた者と思いなさい」

(ピリピ2
3)とあるように、目上の者に対して、重んじる心を持つことです。しかしながら、

今の時代は、自分が正しいと思うとすぐ反発し反抗します。自分の考えを主張するのが正しい

生き方だと思っているからです。だから、男も女も同等だと考え、たとえ目上の者であっても、

自分が正しいと思えば、聞き従おうとはしません。これが今日の教育です。
しかし、この考え

方は絶対主の前に通用しません。なぜなら、全ての人間は罪人ですから、自分の考えが正しい

とは言い切れないからです。ですから、クリスチャンは絶対主の創造の秩序に従って、

「目上の人を重んじる心」の立ち位置に変えて行くべきです。その心の定めを持つと、

「絶対主を重んじる心」へと魂は自然に変えられて行くでしょう。その時、初めて「砕かれた

心」を持って絶対主に従う道が開かれて来ます。「絶対主へのいけにえは、砕かれた魂。

砕かれた悔いし心」です。その心の立ち位置に変える定めをして、人は、絶対主の御心に仕え

従って行くのです。この聖なる決断を、心の立ち位置を変えて表して行きましょう。

心の立ち位置を変えなければ、いくら反省をしても自分に言い聞かせているだけで、決して

生き方は変わって行きません。このことを肝に銘じて、まず「心の定めありき」を始め出し

ましょう。

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