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2017年 NO.609


『心の努力をあきらめず、心の耳を持って聞く』

 人は学ぼうとすると、頭を使って自分の記憶の中に(とど)めようとします。そして、記憶の中に

(とど)めた範囲の中で
 答えを出そうとします。これはペーパーテストの場合はある程度は有効で

あっても、イザ動作をもって覚えようと する仕事やスポーツなどには、頭の暗記だけでは

成果を出すことは出来ません。かえって動作を記憶に頼って 再現しようとしても、身体(からだ)

カチカチになり、頭でいくら考えても体が動いてくれません。


 ですから、ただ覚えた自分の記憶だけに頼るのではなく、話の全体を心で受け留めて

聞くのです。心で受け 留めたものは、頭の記憶ではなく、心のイメージとして留められます。

すると、そのイメージに従って体は動いて くれます。それはメッセージのように話の内容を

理解するためにも有効です。メッセージの全体を記憶に留めることは、まず不可能です。

そこで、聞いた話を心で聞くようにして、話の内容をイメージとして心に入れます。すると、

その話の中心が見えて来ます。後は、その中心を心で再現して行こうとすればいいのです。

ところが、頭を使って再現しようとすると、メッセージの場合も信仰の行為を結果として

要求されますので、「出来る、出来ない」という思いが交錯し、考えれば考える程カチカチに

なって、信仰の実践が出来なくなってしまうのです。すると、あきらめが先立ち、主に在って

努力していくことが出来なくなります。しかし、心のイメージは、出来ても出来なくても

残像として残りますので、どこまでもそのイメージを追求する努力は続けられます。これが大切

なのです。絶対主は、聞いても悟らず行わない人に目を留められません。しかし、心で受け

留めた人は、イメージだけは残りますので、そのイメージの追及をどこまでも追い掛けて

行きます。すると、そのあきらめない心が絶対主の心の琴線に触れて、私たちへの心情に好感を

持って下さり、実現へと導いて下さるのです。ですから、心の努力を失わないことこそ、

「真理を悟るピカッ・ドン」に繋がって行くのです。


 ですから、「聞く耳を持って聞く」ということは、「心の耳を使って聞き」、そのイメージに

向って「心の努力をしていくこと」です。「絶対主の全能の力が、私たち信じる者にとって

如何に偉大なものであるか、あなた方が知ることができるように」(エペソ1:19)という

メッセージは、心のイメージとして抱き、追求しつつ現実に味わいたいもの です。是非、

心の努力をあきらめずに求め続けましょう。これが私たちの信仰ですから。



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