ショートメッセージ
  
  
教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室
2017年 NO.608


『心の中にある心理の二面性』


 人の心の中には魔物が住んでいます。これは、クリスチャンだけが理解する真理ではなく、

人類の全ての人の心の中にある現実の姿です。たとえ聖人と言われるりっぱな人物が存在して

いたとしても、心の奥にある魔物の存在を否定することは出来ません。聖書には、このような

一節があります。「私は自分のしていることが分かりません。なぜなら、私は自分のしたい事は

行わず、かえって自分の憎む事を行っているからです」(ロマ715)。それに続いて、

「だから、善をしようと願っている私に、悪が入り込んでいるという原理を見い出すのです」

(ロマ721)と、パウロという著者が自分の心の内を証ししています。これは、自分では

どうすることも出来ない魔物が、心の奥底に存在している事実を示しています。


 確かに、人の心の中には「善をしようとする性質」はあります。しかし、その性質に反して、

心の中には、その思いに戦いをしかけてくる罪の原理が存在するのです。だから、人間は

生まれながらに「善人」というより、生まれながらに魔物を心の底に抱えている「悪人」です。


この現実を否定することはできません。このような人間の姿は現実ですので、いくら人の

性善説」を信じても、人の悪はなくなりませんし、人の善意があっても、交通違反は

なくなりません。


 ところが、このような罪人を救いに来て下さった救い主がおられます。キリストは、

罪の原理の中で苦しんでいる人間の罪を贖うために、絶対主の御子が人間の身代わりに、

罪の代価を払って下さいました。ところが、この救いは、私たちの罪が綺麗さっぱりなくなって

しまったということではありません。どこまでも身代わりですから、罪人である私たちの存在は

変わりありません。しかし、絶対主の前では、身代りの贖いは現実に完成していますので、

私たちの罪の裁きは終わりました。ですから、この救いを信じたクリスチャンは、罪人である

の現実を自覚していますが、絶対主の前には、罪が贖われた者として、キリストの生きた

助けの中で歩んで生ける救いを知っています。それは、
罪人の惨めな姿を持っていても、罪の

贖いが成された者として、絶対主に頼りながら、弱い自分を自覚しつつも、精一杯キリストを

見上げて努力して生きて行く道です。


 たとえ、その努力が失敗しても、また罪を犯す現実があったとしても、絶対主に信頼して

前向きに生きて行くことは赦されております。しかし、未信者の場合、失敗し罪を犯した場合、

悔い改めて、また前向きに生きて行くところまでは同じですが、依然変わらない不完全な自分に

頼って行くしか道がありません。しかし、私たちは、不完全な自分に頼って努力するのでは

なく、完全な救い主キリストに頼って前に進むことが出来るのです。これが全く違うところ

です。すなわち、生まれながらの魔物を抱えている自分の現実の真理の一面と、完全な救い主に

頼って、前向きに生きて行ける現実の自分を、真理の二面性として持っているのです。


 両方共が現実ですので、罪人の自分を消そうとして生きて行くのでなく、100%罪人の自分を

認めて、へり下って主を見上げ、大胆に主に信頼して努力して行く生き方に向かって

行きましょう。



 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室