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2017年 NO.614


『クリスチャンのリセットされた生き方』

  罪人の人間が、絶対主と心が繋がる重要なポイントは、「砕かれた悔いし心」です。それは

全的堕落の中にあった 人間が絶対主に受け入れられる道は、イエスキリストによる贖いしか

道はなかったからです。それは、自分は生まれ  ながらに罪人であったのですから、ただ遜って

自分の罪を悔い「砕かれた悔いし心」を差し出すしかなかったのですから。それなのに、

信じた後にガラッと態度を変え、如何にも自分は救われたのだから、自分の熱意と努力と

正しさをもって、絶対主の役に立つ者になって行こうとする生き方は、絶対主の心を逆撫でする

ことです。なぜなら、まずその前に、心をリセットする必要があるからです。すなわち人間が、

どんなに罪深い者であったのかを知らされていく必要があるからです。罪は頭だけで認めていく

だけではいけません。心底、心から救ってもらえる余地のない罪人であったことを思い知らさ

れる必要があります。それは、生まれながらの人間は、罪人であるにもかかわらず、謝れば

許してもらえると安易に考え、自分の罪を軽く考えて自分をかばおうとしているからです。

私たちの罪は、謝れば消えていくようなものではありません。なのに、罪の裁きと、その報い

から逃げようとする傾向を、クリスチャンでも持っているのが 現実です。むしろこの思いは、

クリスチャンに強くあります。なぜなら、「自分は救われたのだから、もう裁かれることは

ない。それが救いだ」と、都合よく考えてしまうからです。
しかし、クリスチャンであっても、

毎日罪の心を抱き、罪を犯しているのが現実なのですから、罪の報いを受けたくないと未信者

時代から持っている身勝手な心を、自分の反省や悔いで誤魔化すのは間違っています。その心が

リセットもされず、そのままいい加減に考えていたら、いずれ、本当に自分を地獄で裁かれる者

としてしまうでしょう。なぜなら、それは自分の罪を棚上げにして行くことだからです。

絶対主は、罪の自覚を持たない者を救われることはありません。それは、御子の命をもって

償いをして下さった行為に、あぐらをかくことになるから です。ですから、罪の自覚が頭だけの

人は、御子の死を軽んじることであり、絶対主が一番嫌われる事です。しかも、 罪を毎日犯して

いるにもかかわらず、受け入れてもらえると考えておれば、絶対主の心と繋がることは

ありません。
そこで私たちは、もし罪を指摘されたら、無条件でその事実を素直に受け入れる

べきです。裁きを受けたくないと思いながら謝っても無駄です。そんな都合のいい謝罪は、

絶対主に見抜かれます。罪は裁かれるものです。だから、 自分の罪をいつも有利に取り扱って

もらおうとする心から、完全にリセットすることです。それが、罪を認めた人間の 「砕かれた

悔いし心」です。
罪は反省しても消えません。ですから、罪は謝っても、反省しても赦されない

罪人であったことを心底認めて、そこから、「自分は、罪だけのものです。」と、100%

無条件に罪人であることを痛感し、もう自分に根拠を置かず「ただキリストにあって生きて

行く生き方」にリセットしていくのです。
その生き方こそ、絶対主が罪人に下さった救いなの

ですから。

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