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2017年 NO.613


救いの原点

私たちの救いは、全てイエス・キリストの御蔭です。それは、私たちが生まれながらに罪人

であった為、自分で自分を救うことが出来なかったからです。ですから、絶対主は、ご自分

で創られた人を自分のところに引き寄せるためには、罪人のままでは御国に引き上げることが

出来ないので、人間の罪の贖いを御自分の御子によって成し遂げ、御子が払われた罪の代価

によって、人を受け入れると決められたのです。ですから、救いは御子の犠牲による憐れみ

です。そこには、私たちの努力、行い、功績は一切ありません。ただ、ただ、キリストの御蔭

です。
ではこの救いは、私たちにとってどんな救いなのでしょうか?それは、生まれながらの

罪人であった私たちが、救いのゆえに、良い人間に生まれ変わることでしょうか?

とんでもありません。

 それは、実に身勝手な期待です。なぜなら、私たちは、絶対主の御許に行かせて頂くために、

何一つ努力をしていません。また、救いに預かるための資格を得るために、何一つ関わって

来なかったのです。それなのに、信じたからといって、当たり前のように自分の思い通りの

人間に生まれ変われると思うのは、あまりにも都合の良い身勝手な考えです。どこまで

いっても、キリストの救いは、絶対主の怒りをなだめ、罪人を受け入れるために、絶対主の

御心が収められるためのものです。だから、人間が勝手な救いを思い描いてはいけないの

です。もし、絶対主の怒りが収められることがなかったなら、人間は、地獄の裁きしかな

かったのです。ですから、この地上にあっては、私たちは、生まれながらの罪人に過ぎません。

いくら心が変えられることがあっても、所詮は弱い罪人です。ですから、地上での残された

時間は、自分の幸せのための時間ではなく、罪人が、絶対主に受け入れて頂いた恵みを感謝

して、キリストを信じる心を最後まで通させて頂くことです。
だから、「死に至るまで忠実

であれ」と言われているのです。
それが、自分の幸せの追求や、自分の願望を満たすための

信仰であるなら、キリストを利用すること
になりますから、命を閉じた後で「わたしは、

あなたを知らない、主よ主よ、と言う者が天の御国に入るのではない」と言われてしま

います。私たちの救いの原点は、罪人が自分の願望をこの地上で叶えてもらうことではなく、

イエス様の御蔭で、命の主である絶対主の許に迎え入れて頂くことが私たちの救い
です。

ですから、この地上で御利益を受けることではありません。むしろ、キリストのために命を

懸けて行くことです。この真理に目覚め、遜ってキリストにあって生きる生涯を全うさせて

貰いましょう。


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