ショートメッセージ
  
  
教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室
2016年 NO.554


 
棚から()()(もち)ではないキリストの救い


  キリストの救いは、棚から牡丹餅ではありません。自分の罪を本当に認める者のために、

キリストは来て下さった のであり、その罪の贖いをして下さいました。そして、
キリストの

救いが実際に実現するのは、キリストがもう一度ここに来て下さる時です。「今、信じたと

しても罪はなくなりません。」ですから、「一生、キリストの救いを信じ続けていくこと、

又自分の罪は悔いていくこと、口で告白して認めていくこと」それが信じたクリスチャンの

今して行くことです。
今まで「悪いことは悪い、いけないことはいけない」と思っても、罪の

報いが怖くて口に出すことは出来ません
でした。しかし、イエス様は「口に出して認めた

罪人のための救い主」でしたから、「罰は罰として、今は責任を負って行けばいいのです。」

しかし、「
責任を負えば、負っただけ報いが跳ね返って来ます。」だから、それが怖くて、

罪を認めることが出来なくなります。しかし、罪を認めなければ、キリストの救いは

ありません。だから、「永遠の裁きに比べたら、今負った方が楽ちん、楽ちん」です。

なぜなら、人間は必ず、「永遠の天国か、永遠の地獄か」の  どちらかで暮らすことに

なりますから。罪を償うことは辛いかも知れません。しかし、永遠の地獄の罰は受けなくて

済むのです。それなら、自分の口で自分の罪を認める方が、正直でいいのです。
しかし、

口に出して告白することが出来ない罪もあるでしょう。
それなら、それはイエス様に密かに

告白して、その罪を自分が背負って行けば、それでいいことです。それは、死ぬ時までのこと

です。罪のために永遠に苦しむことからは、解放されたのですから。これは棚から牡丹餅と

言えば、そうですが
永遠の苦しみから解放されているにもかかわらず、地上の罪の責任も

取れないクリスチャンがたくさんいることも事実です
。だから、私たちは自分の罪を正直に

認めて、地上の報いだけは受けていきましょう。イエス様の故に御国に入れて頂けるのです

から。こうして、
自分の罪の報いが怖くても、潔く受けて行くなら、キリストは「それで

いいのです」と仰って下さいます。
キリストは「砕かれた悔いし心をさげすまれない」から

です。それは、罪人のための贖いだったからです。そして、その時、クリスチャンの心には

罪の赦しの光が灯るのです。そして、クリスチャンが天に上げられた時、罪は消え去ります。

キリストと同じ者とされるからです。(第Uコリント3:18) 
しかし、罪人は天に行っても

罪人であったことを忘れてはいけません。その心があったからこそ、絶対主の前に受け入れ

られたのですから。

 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室