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2016年 NO.556

罪人の「安全圏」は
「砕かれた悔いし心」の中にある



「罪人の安全圏」とは何でしょうか? それは、クリスチャンであっても罪人であることには

変りありません。ですから、
救われたクリスチャンが罪の現実の中にあっても、罪に問われ

ない領域のことです。
イエスキリストの救いは、イエス様が全人類の罪の償いをして

下さったが故に、その償いを受け取った者は、現在は罪人のままの状態であっても、罪の

裁きを受けて地獄に行かなくても済む者となりました。この救いは、命を閉じた時に現実に

味わいます。しかしながら、この救いを頂いたから、「もう安心だ」と言って、地上の

残された人生を、好き勝手に罪を犯してもいいという訳ではありません。
罪を犯したなら、

この地上にある間は、当然報いを受けなければいけません。
もともと、イエス様は、「罪を

犯さない正しい人間だけを選んで救いを与えた」訳ではありません。むしろ、罪の呪いの中で

苦しんでいる人間が、「生まれながらの罪人であると正直に認めた時」その罪人を救って

下さいました。ですから、クリスチャンと言っても、罪の性質が無くなった訳ではありません

から、
依然、罪人の性質から出てくる悪を行ってしまうのです。そんな私たちが地上に

あっても罪の赦しを頂ける領域があります。それは、まず、
イエスキリストの罪の贖いを

否定しないことが前提です。
その上で、自分が犯した罪の罪過は、正直に認めて、

その報いだけは受けて行くことです。この報いを受けるのが怖くて逃げて行くなら、自分は

罪人ではないと誤魔化すことになりますから、罪人を救って下さったイエス様は、それを

お赦しになることはありません。その報いとして、「平安」を失うのです。この平安を

もう一度回復するには、「自分の罪を隠しておきたい」、「告白して怒られたくない」、

「恥をかきたくない」、「自分の面子が潰れるのが嫌だ」という心の思いを砕いて、

「悔いし心」を持って怒られに行くことです。この心に立ち戻るなら、また「平安」が

返って来ます。
罪を認めた正直な心を、絶対主は、蔑まないからです。(詩51:17) 

ですから、
クリスチャンが、この地上で平安を持って過す「安全圏」は、「砕かれた

悔いし心」にあります。それは罪に対して正直である世界に留まることです。
その

安全圏は、罪の度合を越えない程々の範囲の中にあるなら、絶対主もいちいち咎め立てを

なさることはありません。
その領域は、人と摩擦を起こさない常識的な範囲です。

その程々の度合を越えた場合でも、もう一度謝って、安全圏の中に立ち戻るために、

「悔い改めて、報いを受ける正直な心」に帰ることです。すなわち、人間は、罪人である

ことを絶対主は承知の上で救って下さったのですから、
罪を棚上げせず、その面子を砕いて

「悔いて行く心」があれば、赦され続けて行くのです。この領域が、私たち罪人の地上にある

「安全圏」なのです。
しかも、
天に迎えられた世界では、この罪は完全に消滅しますので、

地上では罪を棚上げせず、地上の安全圏に留っていた者が、天での真の安全圏の中に置かれ

ます。これが救われた者の永遠の救いなのです。

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